▼ (17)接近
宗三は食事に来なかった。すっぽかされてしまった。
なぜか三日月さんが「馬小屋の付近にいるぞ。まぁ、握り飯でも持っていってやるといいさ」と、穏やかに笑いかけてきた。この人は一体、なんて思いながらも、言われた通りにしたら、本当に宗三がしょんぼりと枯れた花のように俯きながら柵に腰掛けていた。帰ってきたときのままの、ちょっと汚れてしまった格好だ。
「三日月さんですか」
足音を聞きつけたらしい。先制攻撃のように不機嫌な言葉を投げかけて、こちらに振り返る。目を見開いてから、しかめられてしまった。
「私でごめんよ。そんなに重い足音してた?」
「……まったく、余計なことを」
「でもお腹すいてんじゃない?」
不愉快そうにフンと鼻で笑い捨てられる。
「やることがあざといんですよ。鼻につきます」
「いらないなら別にいいよ」
それでも宗三はツンとしたままだ。本気で拗ねてしまったのか。嫌われてはいないと思うんだけど……近づき難い理由もわかる。それでも心配は心配なのだ。
「……怪我は大丈夫? 包帯、持ってきたけど」
「遅すぎますね。三日月さんにやっていただきましたから、結構です」
「そっか。ごめん。ええと……手入れ部屋、開いたよ」
「あぁ。小夜の手入れ、終わったんですか」
棘のあるくらい素っ気ない言い方だった。取り澄ました喋り方をするから尚のこと冷たく感じる。だけど、小夜君に対してドライというわけではないのは、今までのことで重々承知している。接し方がわからないだけなのだ。
じろり、と、尖らせたオッドアイがこちらを射抜く。
「……冷たい男とお思いでしょう。なら、とっとと帰ってください。このまま手入れをせず、誰ということもわかならいほど、戦場で折れてしまうのもいいかもしれない」
確かに少し、いやかなり、面倒臭いやつであることは認めよう。ここまで思いつめているとは思わなかった。人間とは違い、物に宿る想いが神格化しているからこそ、繊細で偏ったところもあるのだろう。……いや、人間もそうかもしれないな。変な差別はおかしい。ただの環境と性格の問題だろう。
「嫌だよ。なんでそんなこと言うの」
「あなたの優しさは迷惑なんです。人の心に土足で踏み入らないでください」
「……なんで、そんなに怖がるの」
宗三も、小夜君も。必死になって身を守ろうとしているけれど、一体、何から。何がそんなに怖いのか。
「たかが田舎者の小娘のあなたには一生わかりませんよ」
はぁ、と、宗三は、湿っぽく尾を引くため息を吐いた。田舎者かはさておき、小娘はその通りである。一生とは余程の話だが、ムッとすらしない。突っぱねられただけだ。
「ここには化け物が多すぎます。三日月さんは本当に恐ろしい方だ。心をまるきり見透かされて、実に心地が悪い。『俺も通った道だ』なんて笑って言えるものでしょうか? あぁ、嫌だ嫌だ……あんな醜いものになりたくない」
ぞっとしたように肩を竦める宗三。足元を見下ろして、こちらには視線が向かない。見えるのは線が細く青白い横顔だけ。
醜いもの、なんて、三日月さんとは正反対の形容詞だ。一体、宗三は三日月さんに何を見たのか。しかし……それが全てと言えないけれど、私も少し片鱗を見た気がする。確かにあの人は底知れなくて怖い。尊敬できると思って師事を仰いではいるけれど、頼りきろうとすれば、私のことを見限って突き放すだろう。
気分を取り直すように、宗三はいつものお愛想笑いを浮かべた。心持ち陽気に声を弾ませおどける。
「それに比べれば兄はまっとうかもしれませんが……やっぱり化け物ですね。今日の戦闘、すごかったんですよ? 兄が一振りするだけで敵がなぎ倒されていくんです。僕なんか隙を狙って攻撃するだけで精一杯なのに、兄は、正面からぶつかって、叩き折るんです。その勢いのすさまじいこと。さすが左文字唯一の太刀。誇らしいくらいです。いつもは仏頂面ですけど、今日は表情も輝いていましたよ。殺すために作られたんだ、これが自分の本職だと言わんばかりに……兄さんがいるから、もう僕は必要ありませんね。お荷物なだけです。実質、小夜は庇われてばかりのお荷物でした。僕ももうすぐ、そうなるんですね」
笑っている。唇だけ。目も、眉も、泣きそうだ。肩から手に力が入ってブルブル震えている。
口を挟もうと息を吸い込む。声を出そうとして、拒否するみたいに宗三に言葉をさえぎられる。私はフッと噛むように息を吐いただけ。
「ふふ……嫉妬で焼かれるみたいです……あなた、焼かれたことなんかないでしょう? どれだけ苦しいか、想像つかないでしょう?」
小馬鹿にしたような自嘲の笑みは、心底おかしそうに見えた。いつもみたいに、不満と空虚が内側を支配している張り付いた笑みではない。二の句を告がせない感情のこもった早口に気おされてしまう。
「どうしようもなく馬鹿で救いようのないほどつまらないことに苦しむなんて。あなたと出会わなければ、こんな気持ちにならなかったのに。……本当に、僕を狂わせるあなたが憎い」
じっと見つめられる。裏腹な言葉の内側が覗くみたいに、左右の色が違う垂れた瞳の奥の光がじりじり揺れている。知っていたけれど、綺麗な顔立ちだ。飾って見せびらかしたくなる気持ちもわかる。それはもう、言葉に悩んでいることを忘れて魅入ってしまうほど。
「僕が刀でも、あなたが人間でも、もう、なんだっていいです。考えることに疲れました」
節ばった指が、私の頬に触れた。腕の上がった瞬間から意図は察していたけれど、ひんやりと冷たい指先に触れられると、わ、と声がこぼれて、思わず肩をこわばらせてしまう。腰が引けているのだと思う。
「叩くなり逃げるなり、今のうちに突き放してください。諦めもつきます」
「諦めとか、突き放すとか、そういうのは、宗さんのキャラでしょ」
「後悔しますよ?」
吐息を吹きかけるような問いかけ。
私に確認するようでいながら、それは、自分自身へ尋ねているのだ。後悔するのは宗三なのだ。だから距離をとろうとしたのだ。そんな残酷な答えを私にゆだねないで欲しい。いや、求められているのは共に後悔を背負う覚悟ではなく、後悔したときの言い訳材料だろうか。
卑怯には卑怯で返してやろう。
「……ご随意に、どうぞ」
宗三の言葉を借りてみる。なんだか緊張して、もう目を開けていられなくなった。この流れは、きっと、キスされる。どうしよう。どうしよう。体がガチガチになってしまう。どうしていいかわからない。ちょっと怖い。
ふ、と、鼻で笑う気配。額を指先でトンと押された。
びっくりして目を見開く。宗三は勝ち誇ってニタニタと唇を吊り上げていた。
「唇に触れられるとでも思いましたか? 自意識過剰では?」
「だ……だってさぁ!」
「必死ですね」
「っく、ぐううぅっ……!」
からかいを含んだ言葉が私の言い訳を抑えた。その通りに必死。抑えられたけれど、いいようのない気持ちは、抑えようもなく、うめき声になっていく。
「さ。手入れ部屋に行きますか。そうそう。そちらの握り飯、あなたが作ったのでしょう? どうせ不恰好でしょうけれど、せっかくだから受け取って差し上げてもよろしいですよ」
「あー! もう、宗さんなんか知らないっ!」
「はいはい。ところでさにわ」
何気なく、左頬に手を当てられた。えっ、と思っている間に、右頬へ宗三の顔が近づいて、柔らかくて湿った何か。ちゅ、と、頬肉をついばまれる感じ。ほっぺにちゅーされたのだ。頭の中が真っ白になって硬直してしまう。
宗三はするっと耳元へ口元を移動させる。キスされたところが空気に触れてじんわり冷えていく。
「僕はあなたのことを好いています」
潜めた甘い声が囁く。背筋が逆立ちそうになった。息も止まってしまいそうだ。三日月さんに口移しされたときは、苦しかったせいかもしれないけれど、こんな気持ちにならなかったのに。いつからこんなに気になっていたんだろう。言われてそんな気になってしまったのか? ……わからない。けど、なんだか、どうしようもなく。
「は……はい……」
必死に返事をしたけれど意味がない。私の反応がそんなにおかしいのか、宗三の笑った吐息が肌をくすぐる。
「あなたも、そうでしょう?」
ここまでとは一変、強気な言葉だ。プライドが高くて負けるのが許せない人だからこそ、なのかもしれない。こんな風に言われたら追い詰められて困ってしまう。どうしたらいいのか。いいや、私がどうこうしなくても、任せておけば勝手に好きなように誘導してくれる。そんな素直にしたがっていいのか? 審神者の矜持は?
あう、と、呻く。選択肢が拮抗する。目が回りそうだ。
ふと耳に飛び込む……足音。
「いやー。はっはっは。ぼんやりしていたら迷ってしまった。おや、馬小屋か」
三日月さんの聞かせるような無駄に張り上げた笑い声に、私は慌てて宗三を突き飛ばし、声とは反対方向へ転がるように駆け出した。風が冷たい。頬が熱い。
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