とうらぶ 宗三 | ナノ



▼ (10)江雪爆弾-3

 しょぼしょぼと俯きながら人目を避けて部屋に戻る。こんな風に落ち込んでいたら仕事の効率が下がってしまうのに。どうしても駄目だ。向かいたい方向はあれども、その道が正しいのか、間違っているのか、わからない。

 ひとまず席に着こうと思ったら、私の座布団の上にお盆が置いてあった。

「……えっ」

 思わず声が漏れてしまう。悲鳴のように息が引きつって、口を押さえた。

 形状は保っているけれど、表面がミンチみたいにぐちゃぐちゃになった剥き途中の柿。オレンジ色の果汁がお盆の上に広がっていた。とどめとばかりにナイフが真ん中に突き立てられている。

 やったのは、小夜君しかいないだろう。

 膝が笑って、尻餅をついてしまった。さーっと血が引いていくのがわかる。胃が冷えて、頭がくらくらしてしまった。

 静かな足音が二歩、三歩。最初から近くにいることがわかった。あえて私に察知させて、じわじわと怖がらせるのが目的みたいな、ゆっくりした確かな歩調だった。すぐ近くでぴたりと止まる。小さな気配がそこにある。

 振り返ると、刀を持った小夜君がいた。

「僕の気持ちより宗三兄さんを優先したよね。そういうことだろう。嘘吐き」

 小夜君の目が鋭く冷たくギラついていた。笑っていた。声は深い深いところからくすぶった煙がゆっくり上がってくるかのような、細くて暗い、かげろうのような不安定なゆらめきを纏っていた。

「やっぱり人間なんてみんな同じだ」

 私は、試されていたのだ。急に甘えたのも駆け引きだったのだろう。小夜君の心と知識は年相応に発達途中だけど、思考能力猜疑心の強さは心の防衛本能。どうしてこうなることを想像できなかったのか。

「あぁ、このモヤモヤした救いようのない暗雲は、やっぱり復讐だけで果たされるんだなぁ」

 小夜君が、自分に言い聞かせるように呟いて、小夜君を振りかざす。冷たくてよく冴えた輝きだ。小夜君の目も同じ色をしている。人を殺すためのものだ。

 私はなんにもできないどころか、怖い人になっていたのだ。こんなに大好きだったのに。悔しくて切なくて悲しい気持ちで胸がいっぱいになって涙が溢れてきたけれど、きっと、小夜君のほうが何倍も何十倍も何百倍も辛かったのだろう、辛いのだろう。それが尚のこと苦しかった。

「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し……死んでよ!」

 小さいけれど十分に殺せる刀が私に向けて振り下ろされる。小夜君の苦しそうな顔が、心をねじ伏せるためのドーパミンに屈している笑みが、怖い以上に悲しくて、私は目を閉じることができなかった。

「おやめなさい」

 ひゅっと空を切って、石が飛んできた。小夜君の肩にバシッと当たる。痛そうに顔をしかめて、飛びのいて身構える。

 木の陰から江雪さんが幽霊のように現れた。小夜君が隠れていたように、江雪さんも隠れていたのだ。最初見たときのような悲しくて怖い顔をしていた。

「審神者は小夜を信じていました。それなのに、小夜は何故、審神者に信頼を返さないのですか」

 ずかずかと足早に大またでこちらに歩み寄ると、小夜君の腕を掴んでたやすく引き寄せる。小夜君の細い腕がもぎ取れてしまいそうなほど強く引っ張っているようで、その乱暴さが怖かった。

「うるさい! 離せ! こいつを殺さないと、僕の心はいつまでも冴えないんだっ! こいつのせいで僕は! 僕はっ!」

 小夜君は体全体をばらばらにしたみたいにもがいて、その全てが尖っているかのように殺意と敵意を撒き散らしていた。

 ストン、と、小夜君の首に江雪さんの手刀が落ちた。小夜君はぐったりと意志をなくして頭を垂れさせる。四肢がだらりとぶらついた。物理で黙らせたのだ。

「……なんと憐れな」

 怒っている、悲しんでいる。それなのに、誰に向けた感情もでなかった。あまりにも厳しい声とブレない姿勢、やっぱりこの人は怖い人だと再確認する。確かに彼は正しいかもしれないが、その正しさをまっすぐに信じすぎている――まるで筋の通った刀のように。

 視線を向けられて、ビクついてしまった。感傷的な悲しさは、江雪さんの姿勢と厳しさのおかげで、底冷えする怖さへと傾いた。私のビクつきを誰に向けたものと受け取ったかはわからないが、江雪さんは眉を下げて、深く頭を下げた。

「怖がらせてしまい、すみません……。この件は私に預けてください。あなたが傷ついて喜ぶ者はいません。……小夜も含めて」

 俯き見、江雪さんはさっきは刀になった手で、小夜君の頭を撫でる。なにも悲しいのは私一人ではないのだ。

 声にならなかった。自分がどうしたらいいかわからない。滅多に泣くもんじゃないと言い聞かせているのに、どうしても涙が溢れて、止まらない。

「どうすれば、救われるのか……本当の心は、どこにあるのか……一体、私はどうすれば」

 江雪さんはあてどなくつぶやいて、私の涙を袖で拭ってくれた。

 ふいに、ドスドスドス、とばかりに、遠慮のない足音が近づいてきた。かなり体の大きい人。その体格でこの歩き方をするのは本丸にはだ一人だ。

「なーんかあったのかい?」

 急いではいるけれど能天気な次郎さんの声が投げられる。さすが現隊長、気にかけてくれているし、気づきがいい。すぐ近くまで来ていたらしく、江雪さんはそちらへと体を向けた。

「うるさいと思って来てみたんだけどさ、一体全体、なんだってんだい」

「弟が粗相を……。すみません、失礼致します。申し訳ありませんが、審神者をお願いいたします……」

 次郎さんへ一度、私へもう一度、江雪さんは頭を下げた。とても静かに足を擦るように廊下を進んでいく。代わりに、次郎さんがひょっこり顔をのぞかせる。

 私は呆然とすることしかできなかった。たぶん、ずっと顔色が死んでいたのだと、今更気がつく。まるで抜け殻のように力が入らない。どうやら震えているみたいだ。

「ちょっとこりゃ……」

 私の姿に、ただ事ではないと判断したのだろう。次郎さんの顔がギッと鋭くなって、事態の情報を集めるために眼球だけ動かして周囲を観察する。私の姿。椅子の上の柿。それ以外は異常なし。細かいことはわからなくても察することはできる。そして、私の気持ちは見てわかるくらいはっきりしているらしい。

「……よしよし。次郎さんが守ってあげるからねぇ」

 頭を抱えるように抱きしめられる。お香の甘いいい香り、硬い胸板は母性を感じるほどにただただ優しい。次郎さんが忠告した地雷をわざわざ踏みに行って爆発させてしまったのに、踏んでしまったら『それ見たことか』ではなく『可哀相』と慰められる。なんて私は馬鹿なんだろう。でも、そうせざるを得なかった。どうしてもそうしたかった。今は少し、後悔しているけれど。





 小夜君の暗い顔はどうにもならなかった。小夜君の傍にはずっと江雪さんがついていた。心配で付き添っているのか、監視をしているのか、といえば、多分両方なのだろう。江雪さんは宗三に話していないようで、ぎこちない溝が発生していた。私も宗三とギクシャクして距離を置いていたし、なんだか、大切に築いたと思っていた関係が、あっという間に全て無駄になってしまった気分だった。小夜君は暗い顔、宗三は寂しそうで仲間はずれにふてくされた顔、江雪さんはずっとぴりぴりした顔、私はどうにも落ち込むしかない。

 こんな状態だが、みんなには言わないで、と、次郎さんを口止めした。フランクとは言え主従関係だ。冗談抜きの謀反など笑えない話である。会議にかけられて処罰されることがあってもおかしくはない。何もなかった顔は上手にできないけれど、せめて、小夜君を守るくらいはしたい。

 次郎さんは落ち込んでいる私の傍へずっと付いていてくれた。さすがに変だと思ったようで加州君が様子を伺いに来たけれど、話すわけにもいかず、とても寂しそうな顔をされてしまっては、また落ち込んだ。

 三日月さんは先生みたいに気まぐれに目をつけたヤツの稽古をつけていたけれど、暇を見つけては、私のところにお茶を飲みに来る。

「まぁ、雨降って地固まるという」

 脈絡なくぽつりとそんなことを呟かれる。話してもいないことを見抜かれて、安心以上の恐ろしさのようなものを感じてしまった。そんな私の顔色すらも三日月さんにとっては些細でよくあるものらしく、ふ、と達観した笑みを向けられた。

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