▼ (10)江雪爆弾-2
落ち込むときに暗いところへ行きたくなるならわかる。しかし馬小屋の馬に相談するのはどうかと思う。
「どうしてこうなってしまうのでしょうか……そもそも、小夜がませているんです。なぜあんなに憎たらしく育ってしまったのでしょう。嘆かわしい……。兄さんは変ですし。どうやったらあんな三段飛ばしの結論が出てくるのですか。わけがわかりません。さにわも、あんな変な人の言うことを真に受けないで欲しいですね。三日月さんの求愛は冗談だと受け流すのに、どうして。あの人の考えていることがちっともわかりませんよ。そうです、あの人にとって特別なんかないんです。いくら僕が魔王の刻印を持ち、天下人の傍にあったとしても、ここでは意味がありません。純粋な強さと経験が歓迎されるんですよ。それは僕にはないもの……期待なんかしたらいけないんです」
馬を撫でながら、宗三はぶつぶつつぶやいていた。表面上は仲良くやっていても、人の形のものは本当の意味で信頼していないことがよくわかる。それとも弱みを見せたくないのだろうか。同意義だろう。
出て行き辛い。いっそ聞かなかったことにしてしまおうか。でも、聞いてしまったのに、なかったことにできるのだろうか? ここで解決しなければ聞いたことを引きずってしまう。それすなわち、宗三に心を隠しながら過ごさなければならない。心を接続しにくい状況は不都合が多いからなるべく避けたいところだ。
よし。覚悟を決めた。
「宗さん」
声もなく驚かれた。息を呑む音だけが聞こえてきた。肩が跳ねて、おずおずとこちらを振り返る宗三。恥ずかしさも気まずさも一気に押し寄せてきたようで、どんな顔をしていいのかわからないと、目を見開いて表情を失っていた。私はひたすら恥ずかしさに顔を赤くするだけだ。
「ご、ごめん……小夜君と雪さんの愚痴のあたりから、聞こえてた」
「……なんて趣味の悪いことを」
「だから聞こえてきたんだってば」
「言い訳は結構です」
睨まれながら怒ったような言い方をされると、いささか喋りにくくなってしまう。実際、独り言を長々と聞かれたら照れ隠しに怒ってもしょうがない。それは言うほうも聞くほうも、どっちもどっちだけど。
「……あぁ、惨めだ。焼かれたときよりはマシですけれども」
はぁ、と、宗三は肩を落としてため息をこぼした。例の口角を下げながらの不満そうな笑みが浮かんだ。落ち込む気持ちがわかってしまうので、私は肩を竦めて小さくなる。
「女々しくて滑稽でしょう? 少し一人にしてくださいよ」
細い声が自嘲の笑いで震えている。私の答えを求めないところは、彼の臆病さなのか、それとも自信のなさなのか。それを守るためのプライドだということが、なんとなくわかってしまった。
「……別に、そうは思わないけど」
「お気遣い痛み入ります。今はあなたと話したくないんです」
「私は話したい」
「わがままな人だ」
聞けよ、と、私は歩幅小さく歩み寄り、宗三の着物の端を掴む。心の方で会話をすれば齟齬なく伝わるだろうけど、それだけは絶対に避けたかった。今ならもれなく気持ちは筒抜けだろう。
「ええと」
足元に視線を向けたり、チラリと困惑する宗三を見上げたり、どうしても視線を落ち着かせることができない。
「立場上、言いにくいんだけど……ひとまず、仕事が終わるまで、そういうのはナシのつもり」
「懸命ですね」
やや後ろ向きに受け取られたようだ。宗三は瞼の力を抜いて、うっすら目を曇らせる。そうじゃない。はっきり言えない。全て肯定するにもまだ不確かだ。
「だけど、その……仕事が終わったら、また……考えさせて」
どちらとも言えない曖昧な返事になってしまった。今はこれしか言えない。しかし、拒否ではない。期待を持たせるだけ残酷かもしれないけれど、私自身、期待を持っている。
宗三も、わかってくれたらしい。顔を苦く歪めて癖みたいに口角を下げながら笑う。だらりと肩の力を抜くと、私のよく知っている、諦めきって疲れた宗三がそこにいた。
「まあ、どうせ、物珍しさの興味でしょうから。仕事が終わる頃にはあなたへの関心なんかなくなっていますよ」
「酷いな。私ってそんなに変わってるかな」
「変ですよ。歴代の持ち主も皆揃って変人でしたから、それに比べれば豆粒ほどのものですが」
皮肉に鼻で笑い捨てた。私なんかが対等に接して使っていい相手じゃない、なんてことはすっかりわかりきっているのだけれど、みんなが優しいから、時々忘れそうになる。そういうことをしてわざと距離を作っている。
宗三はふっと空を仰いだ。秋空はくすんだ水色。雲一つなく広がっている。
「見て御覧なさい。空はこんなに高いんですよ。どうしてこんなに虚しい色をしているのですかね……天下統一の夢も、人の命も、儚く虚しいものです。僕は憐れが戦いの中にだけあるとは思えません」
すごい。心なんか繋がなくてもわかることがある。私達、きっと同じことを考えている。
人と刀が結ばれるはずがない。
ほんの少し。ほんの少しだけ、出会ったことを後悔している。
「人は人、刀は刀。こんなものはくだらない戯れにしか過ぎませんよ」
私は何も言えなかった。悲しい気持ちが胸元までせり上げていた。
私は正しいことをしているのか? 宗三も、小夜君も、楽しく過ごせるようになって欲しいと思ってやってきたのに。
さっきの小夜君の怖い顔を思い出す。踏み込めば踏み込むほど裏目に出ている気がした。
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