▼ (10)江雪爆弾
やっぱりどの刀も兄弟やお友達と組めると嬉しいらしい。人間の気持ちとして当然のことだろう。だから左文字兄弟も当然そうである、とは言わないけれど、もしもそうでないとするのならば、この本丸で少しはそういう気持ちを持てるようになって欲しいと思う。切実に思う。
畑は本丸の賑やかさとは程遠い静けさに満ちていた。三人共、黙々と農作物に向き合っている。加州君や獅子王が当番のときは半分遊びながら作業するから『学生が授業の一環でやっています』的な風情があるけれど、左文字兄弟は根が真面目らしく、なんというか、趣味で家庭菜園やバラの育成を楽しむお金持ちみたいに見える。ついでにガチ農家に見えるのは三日月さん。
「やっほー。一休み、どう?」
冷やした緑茶をお盆に載せて私は少し声を張り上げた。毎回ではないけれど、時々こういうことをして労っている。こまめな視察とも言える。
江雪さんと宗三は気まずいように「だそうですよ」とか「そうですね」みたいに、互いに気を使いあって無駄な言葉をぽつぽつと交わした。宗三が来たばかりのときより表面的に穏やかなのは、江雪さんと宗三が大人だから。……つまり、宗三がずいぶんと落ち着いたのだ。気まずさを許容してもらえなかった小夜君は拗らせてしまったから、まだまだ時間がかかるだろう。
作務衣の江雪さんは、暑さ寒さのない涼しげな顔をしているのに、額に汗をかいていた。そろえた前髪が少し張り付いている。
「お気遣い、ありがとうございます」
硬い言葉。無理して表情を和らげたように中途半端な顔をして、お茶を受け取った。普段からこうなのか、遠慮しているのか、慣れたいのか、私にはわかりかねる。ただ、目から威圧感がなくなったから、心中はわりと穏やかであることが察せられた。
特に何も言わず笑い返すと、江雪さんの口元がはにかんだ。慣れない場所と生活への緊張があったらしい。繊細で神経質、だけど感情豊かなのは兄弟揃ってよく似ている。
「ここはいいところですね」
江雪さんは穏やかに呟いた。無理をして言っているわけではなさそうだ。
距離を寄せようと苦労している人がいる。ならば私も少し無理をしてでも詰めすぎるくらいに近づいてしまえば、きっと気楽になってくれるだろう。
「みんなのおかげだね」
私は手元を気にしながら頭を縦に振って、敬語をやめた。大きいけれど、こちらに刃を向けられなければ怖い人ではない。親しくなれば、小夜君や宗三みたいに、きっといい人だろう。……ちょっと難しい人かもしれないけれど。
「僕はいささか賑やか過ぎると思いますよ」
少し遅れてやっていた宗三は、お茶を受け取ってゆるく口元を引きつらせた。宗三も襟首の髪がぺたりと張り付いている。この二人が汗をかくというのが、なんだか不思議だ。刀であるということ以上に温度感覚があることが変なイメージ。
「宗さんってばいつもそう。格好付けちゃってさ。なんか言ってやってよ、雪さん」
雪さん、と呼ばれて、江雪さんはびっくりしたように目を丸くした。厳しいしかめ面にほけーっとしたような優しいところが微かに浮上して、なんだか、可愛い人のように思う。
「僕だけならともかく、兄さんにまで情けない渾名など。左文字の品格を下げるようなことはやめていただきたいですね」
高圧的に嫌みったらしく。宗三は手で口元を隠しながら尖った目で私を見下ろしてきた。何か裏腹な気持ちがあるんだろうな、とは思うけれど、一体なんだろう。
「いえ……私は構いませんが……」
「兄さんにも少しは自覚を持っていただきたい」
宗三がむっとしたように眉間へ皺を寄せた。あ、これは、焼きもちか? ニックネームがあるのは、宗三と三日月さんだけだ。特別感があって嬉しかったのかもしれない。
「はあ……すみません……」
困ってしまったようで、江雪さんはきょとんとに宗三を見つめていた。ここで謝っちゃうって……けっこうおっとりした人だな。一人で拗ねているんだか怒っているんだかわからないけれど、面倒臭い宗三に私も少し困り気味だ。
話をそらそう。最後の一人は一体いずこかな。目で探す。
「あら、小夜君ってばあんなところに」
畑の小脇の柿の木へ小夜君がよじ登っていた。私はおかしくてちょっと笑ってしまった。江雪さんもほほえましいように見つめている。……わあ。思わず見入ってしまう。あんな怖い顔をしていた人が、こんな風になるのか。
「小夜はずいぶんと木登りが上手なんですね」
「うん。猫さんみたいにひょいひょいって登っちゃうんだ」
小夜君を見ているはずなのに、なぜか二人分の視線がこちらへ向いた。
「猫さん、ですか」
江雪さんがリピートする。彼の口から出てくると笑っちゃうくらいに可愛く聞こえるなぁ。どうやら宗三も同じところが気になったらしい。半笑いだった。
「……聞き流してよ」
普段は別段気にしないのに、こんな風に取り上げられると恥ずかしくなってしまう。
「子供ですね」
ここぞとばかりに、嫌味ったらしく宗三は口の端を歪める。普段からかわれている分を仕返しするつもりなのだろう。悔しいけど反論ができない。睨み付けてやる。
「何が悪い」
「そうですよ……可愛らしいではありませんか」
江雪さんってば、悲しみに打ちひしがれているからあんな喋り方になるのかと思っていたけれど、単純に普段からゆっくり喋るだけの人だったんだね。なんて他人事みたいに思考をそらしている。さっきの倍ほど恥ずかしくなった。
「す、ストレートに言われると、照れる」
「はあ」
特別な打算もなく言ったらしい。私の照れまでそのまま受け止めて受け流すように、江雪さんはぼんやりとした顔をしていた。のれんみたいな人だ。裏を返せば、争いごとがなくなると腑抜けてしまうのかもしれない。
「……へらへらして」
舌打ちなんてしないけど、不愉快そうにぼやく宗三。そんなこと言われたって困る。むしろ宗三が私をへらへらさせるようなことを言わないのが悪い。江雪さんもさっきから眉を下げて困りっぱなしだ。
そんなことをして空気が微妙にぎこちなくなる間に、小夜君の地面をしっかり踏みしめるのに軽い足音がこちらへ駆けてきた。
「さにわ。あげる」
目はキラキラしていないけれど、ずいっと片手で乱暴に差し出される艶やかなオレンジの丸々した大きな柿。なんて可愛いんだろう。私は柿を受け取る。小夜君の頭を撫でたかったのに、両手がふさがってしまった。なんということだ。それでも小夜君は渡せただけで満足したらしい。お盆を付き出したらお茶を両手で受け取った。
「ありがとう。みんなで食べようか」
お盆を地面におろして、ようやく片手が開く。小夜君の頭をぽんぽんと撫でると、うっすら目が細められた。しばらく落ち込んでいたけれど、江雪さんが来てから、前よりもっと懐いてくれた気がする。理由はわからなくても嬉しいものは嬉しいのだ。
私は懐に入れている刀を取り出して、皮をむく。いざというときの自決用の刀――残念ながら折りたたみ式の万能ナイフだけど。仕事が仕事だから覚悟を決めないといけない、と思って、戒めに持ちはじめた。こういうときは包丁の代わりになって便利だね。
三人の視線が私の手元に向いた。誰も何も言わないから、何を思ったのかわからない。誰ともなくアンニュイなため息を吐いて、空気が冷たくなった気がした。私が刃物を持つことへの悲しみみたいなのを感じる……種類の話ではなくて。刀のくせに、と思う反面、刀だからこそ、思うこともあるのだろう。言葉が潰えて、シャリシャリと皮を剥く音だけが響く。
「こんな時間がずっと続けばいいのにね。みんなで楽しく過ごせる時間」
せっかく楽しいのにわざわざ憂鬱な気分になる必要はない。私は戦うためのモチベーションを作らなければならないのだ。なんせ彼等は彼等自身の苦悩と向かい合うために人の形になったようなものである。敵側に付かれてもおかしくない。そこを引き止めておくために、私はできることを精一杯やる。精神的に不安定な左文字兄弟に今を幸せと思って欲しいのはそういうところもある。
……まあ、それだけではないけれど。
「ならば、私の妻になりませんか」
思わず手に変な力が入って、柿が斜めにスパッと切れてしまった。空気が固まった。顔を上げる。みんな間の抜けた表情で、江雪さんを見つめている。目と眉の離れた江雪さんは顔色がちっとも変わらない。
「……はい?」
ものすごく失礼な聞き返しをした気がする。しかし私にはこれ以外の選択肢がなかった。もしかすると聞き間違えかもしれない。
「あなたを娶れば、今を続けることができるような気がしました」
淡々とした言葉は極めて手段的に思えないこともない。ただ、嫌な相手だったらこんなことは思わないだろう。好きになれそう、という相手だったら、結婚を前提にお付き合いを、なんてフィーリングで言えてしまうかもしれない。年齢も年齢だし。
「……あ、あなたという人は! ズレた人だからと見逃していましたがっ……あぁ! 本当に! いい加減にしてください!」
慌てとも怒りともつかない。ひっくり返りそうなほどに声を荒げて青白い顔を真っ赤にすると、宗三は江雪さんへ詰め寄った。当の江雪さんは目をぱちくりしている。
そして、胴にぎゅーっと圧迫がかかった。小夜君が抱きついてきたのだ。もう柿をむいてるどころの話ではない。刃先は危なくないように、柿はつぶさないように、とは思うけれど。
「え。え。え? 小夜君? ……とられちゃうと思ったの?」
「うん」
私を見上げた小夜君は、眉を下げて、頭を縦に降った。か、かわ、可愛い……死んじゃう……。柿を持っていなかったら抱きつき倒していたのに。危うく犯罪かもしれないので、両手がふさがっていてよかったかもしれない。
「小夜も! 侍がそんなことでどうするのですか! 離れなさい!」
宗三はあっちこっちに噛み付く調子で、この場の全員が敵とでもいうように喚いている。彼らしい気だるい落ち着きというものがどこかに行ってしまった。焼きもちで取り乱す姿は最近見るようになってきたけれど、ここまで過剰反応するなんて。いや、まさか、もしかして。
小夜君は宗三に振り向いて、何かアクションをとったみたいだ。私からは後頭部しか見えないのだけれど、どうやら煽ったらしい。舌でも出したのか。
「さ、小夜っ!」
宗三の声が今度は完全にひっくり返った。これはただごとではない。私までびっくりしてしまった。
「……もしかして宗三は審神者のことを好いているのですか?」
はっとしたように江雪さんが宗三へ真面目な視線を向ける。この『好いている』は、他の子達の言う好きとか愛しているとかと違うニュアンスを感じる。独占欲とか、そういうのが見え隠れする。……率直に言うと、私、モテてる?
宗三の顔が引きつった。赤いのは、さっきからずっと。もう笑うしかないという感じで、口の端を吊り上げさせて、声を震えさせた。
「ま……魔王の刻印を持つ僕が小娘程度に狂わされるなどありえません。勘違いされてしまいましたね……」
意味もなく空笑い。宗三は私のことをチラと見る。せめて皮肉を返してあげればよかったのに、私もリアクションがうまく取れなくて、困って固まったままだった。私自身、まんざらでもないのだろう。……なんてこと。
「気分を害しました。少々失礼します」
言葉は思いっきり刺々しいのに、宗三は完璧に浮ついていた。背中を向けて進めた足の最初の一歩二歩がフラフラしてしまうほどだ。
「……あ、兄は……余計なことを、してしまいました……争いとはこういう形でも起こるものなのですね……なんと悲しいことでしょう……」
江雪さんは顔色を真っ青にしてうつむいてしまった。私もフォローできない。小夜君は抱きついたまま一向に離れない。
「そうです」
はっとしたように顔を上げる江雪さん。眉間に皺は寄っていないけれど、とても真剣な顔をしている。
「審神者を分割すればよいのでは? 三分割すれば……」
「却下」
小夜君が短く、しかしはっきりとした声でスパッと切り捨てた。実に切れ味がいい。
「雪さん、それ冗談だよね? 私、死んじゃうよ?」
私はちょっと怖くなって笑えなかった。安定君のブラックジョークと同じ内容を真顔で言うなんて、この人、やっぱり怖い。三日月さんが言う通り、基本的に戦場にいるのが向いている人なのだ。
「……そうですね」
今気が付いたみたいな顔をしているし。もうやだ、この人怖い。そんな顔しないで。花を愛でるにしても何も考えずにぶちっと摘んでしまうタイプなのだろう。矛盾に気が付かないとか、気が付いたとしても生命の儚さとか争いとかに責任を全部転嫁してしまいそう。ものすごく怖い。
「わ、私、宗さんを追いかけてくるね。いーい?」
半分くらいは逃げたい気持ちもあった。誰からって、江雪さんから。引き止めている小夜君へ、婉曲に離して欲しいことを伝える。
「駄目」
やっぱり短い言葉だ。こんなわがまま言われたら、そりゃ、嬉しいけど。小夜君は腕に力をこめているせいか、少し息が苦しかった。子供でも戦う人間なのだ、どう考えても私より強い。
「ごめんね。でも、宗さんも大事なの。今直さないと、後で気まずくなっちゃう。だから、行かせて」
「……僕と宗三兄さん、どっちが大事なの」
心細く震えた声だった。本当はずっと心細くて寂しくて悲しい気持ちを抱えている子だから、こういう風に気持ちをぶつけてきてくれるのはどんなに困るときでも本当に嬉しい。
「同じくらい大切だよ」
「さにわは綺麗事を言うのが仕事だから時々わからなくなる。僕は騙されているんじゃないか。手元に置いて、鑑賞して、そのときは褒めるけど、捨てるときにはいらないものから切り捨てていく……人間は笑っていても心の内側に黒い気持ちを持っているんだ。さにわはそうじゃないと信じたいけれど、きっと、また裏切られる」
泣きそうな呟きに心が痛んだ。小夜君はきっと、どうやってもそういう風に生きるしかないのだ。信じたいけど信じられなくて、信じたら裏切りの恐怖に震えて、そんな自分がどんどん嫌いになっていく。だから誰も信じたくない。
視界の端の江雪さんも悲しく顔をしかめていた。同じ事を思っているのだろう。そして、自分は兄なのに、だからといって何もできないことに気がついている。血縁なのにここまで何もできなくて、何も知らなくて、自分達もまた、自分が一番不幸だと思っているのだから。……だからこそ、彼等はきっと仲良く穏やかにできると思うのだけれど。傷を舐めあうことの何が悪い。自分以外の人格を完璧に理解などできるはずもない。人格を持った以上、自己と他己の境界ができる。元来孤独に生きて死んでいくのだ。そして、孤独だからこそ寄り添うことができるし、そうしたい……のだと、思う。
「ごめんね。私は打算的だし、小夜君が言う黒い気持ちっていうものを持っていると思う。小夜君が思うような綺麗で立派な人間じゃないんだ」
小夜君は「え」と声を漏らして顔を上げた。暗いところから小さい子供が怖がって見上げてくるようだった。だけど、私は怖いものにも悪いものにもなりたくない。せめて彼にとっては……彼等にとっては。だから笑いかける。
「だけどね、小夜君を大事に思う気持ちは本当だよ」
「本当? この世の中の本当のことって、何。物事は、起こったこと以上の本当があるの?」
「……それも、人に聞いて出る答えじゃないかもしれないね。だけど、私はね、そういうときは信じるしかないかな、って思うよ。本当のことはあると思う、そう思う自分を信じる」
「まやかしだね」
「そうかもね」
まやかしでも嘘でも冗談でもいい。生きる悲しさを忘れて生きたい。だから私はたくさんの戦略を巡らせる。悪いことをしているとは思わない。左文字の兄弟もそういう適当さを持てたらきっと少しは楽になるのだろうに。
「だから、裏切られたと思ったら私を殺していいよ。私は命をかけて小夜君に本当のことを証明する」
なんてね。心に闇のある刃物の彼等の気持ちを引き受けるということは、命がけのことなのだろう。あのとき次郎さんが私を引き止めた理由がわかってきた。
「わかった。……行っていいよ」
小夜君の声が低く暗くなった。気持ちが落ち着いたのか。それとも、引き締まってしまったのか。顔はこちらに向かず、腕がするりと落ちていった。張り詰めた様子が少しだけ怖かったけれど、きっとそれは、小夜君の信じることの怖さそのものなのだろう。
「それ貸して」
ぶっきらぼうに、小夜君が手を差し出す。ナイフと柿のことだろう。気をつけて差し出すが、きっと彼は私より扱いがうまいに違いない。
黙ってみていた江雪さんは、やりきれないようなしかめ面で視線を合わせた後、小さく会釈をしてきた。弟への触れ方はわからないのかもしれないけれど、兄という自覚があるのだなぁ、なんて、ぼんやり思った。
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