▼ 怖い人
江雪君が木のバケツを下げて馬小屋から去ろうとしている。俯きがちの顔はいつも悲しげに淀んだ表情で、唇はへの字だ。
「江雪君。馬当番、お疲れ様でした。……大丈夫でしたか?」
『君』と言うより『さん』と言う風情だが、みんな平等に扱うと決めているのだ。頑固に『君』で通す。
「ええ。生きとし生けるものに触れることは救いですね。安らぎの時間を過ごしました」
顔色は、別段安らいだ感じもない。あの馬は好いた人間の顔を舐め回すクセがあるけれど、江雪君の顔には舐められた跡もない。
「それはよかったです。お疲れでしょう。少しお休みになって」
「はぁ……」
「じゃあ、ちょっと経ったら、一緒にお茶でも如何ですか。よろしければ後で部屋に来てくださいな」
「……わかりました。着替えてきます」
感情が見えない。面倒だと思われているのかもしれない。ため息のような返事。
背中を見送ってから、江雪君を見送った馬当番隊長の五虎退君と秋田君に視線を向ける。
「主様〜」
二人とも鞠みたいに駆け寄ってきてくれた。可愛い。この子達は顔中がベトベトだった。臭い。両手を伸ばして頭を撫でてあげる。もふもふ。
「ご苦労様です。……様子は如何でした?」
「馬が怯えてました」
と、秋田君。
「小夜君のときと似てました……宗三さんはとても好かれていたのですが……」
おずおずと五虎退君。小さく震えた声で言葉を続ける。
「多分、優しい方だと思います。でも、悲しげで、そっけなくて……なんだか怖いです」
「僕は少し苦手です。……怖い」
秋田君の言葉ははっきりしていた。思ったことはけっこうズバズバ言っちゃうタイプ。そして、江雪君はそういう雰囲気で、言われてもしょうがないタイプ。
「……悪い方ではないはずです。どうぞ、よしなに」
彼らの言うことはもっともだ。私だって、江雪君と接するときは重厚な圧力と迫力に緊張する。……多分、小夜君のとき以上に。それは、彼の貫禄か、それとも。
*****
お菓子は妖精さんからいただいた。お茶は、私が淹れた。
江雪君は綺麗な姿勢で正座をする。小夜君の倍くらい大きいから、なんだか、いつもの部屋がとても狭く感じた。
「……ここの暮らしには、慣れましたか?」
「ええ、まぁ」
短い返事。出したお茶に手すらつけない。拒否されている感じだ。ため息すら聞こえてきてしまう。
私ってば、すっかり怯えてしまっている。怒ったりする人ではないことをわかっているけれど、こんな風に気まずい空気になると、なんだか自分が悪いようで。
「……出陣をしないわけには、いかないのですか」
悲しげな口調。憂いを帯びた瞳。俯いて、呟くように言う。
「しなくていいのならば、私もそうしたいのですが。やはり歴史を改変されると平和ではいられないと……すみません。これは、みんなには秘密です」
口元を手で押さえる。明かすのは二人目。小夜君のとき以来だ。
「交渉は試みましたか」
威圧的な視線が。NOと言えばじわじわと糾弾されてしまいそうだ。この人に責められるなんて、怖くて泣いてしまいそうである。これは恥を偲んで短刀達しか知らない真実を言う他ないか。
「……大変お恥ずかしい話ですが、以前、城攻めをされたことがあります」
「そんなことが」
「ええ。とてもとても恥ずかしいのですが、降伏宣言をして命乞いをしました。全然ダメでしたね。尻尾を巻いて逃げて籠城しました。……あのときは死ぬかと思いました」
「交渉の仕方が悪かったのでは……?」
「私なりにプライドを捨てて頑張ったので……あまり追い詰めないでいただきたいところです」
「……それは申し訳ないことを。失礼しました」
江雪君に謝られて尚更恥ずかしい。言葉通り申し訳なさそうに謝らないで欲しいくらいだ。
私は顔が真っ赤になってしまう。本当にあのときは……もう思い出したくない。小夜君と確実に歩み寄れたからよかったし、生きているだけで儲けものだけど。しかし情けなくなる。
「愚かしいこと……戦いは悲しみしか生みません。あなたは刀でもないのにその定めを背負ってしまった……あなたもまた、哀れです」
何か近づく気配がある。ゆっくり手が上がっている。怖くなって近づいてくる大きな手を見ていたら、なんか、頭を撫でられてしまった。
……あれ、優しい?人に頭を撫でられて嫌な気はしない。多少、馴れ馴れしい気はするけれど、彼から見れば私は小さな子供にすら思えるのだろう……一応成人しているけれど。まあ、そんなところのはずだ。
「お願いします。更なる哀れが起こってしまう前に、お力をお貸しください」
「戦いは好みませんが……致し方ありません」
仏頂面のまま撫でられ続ける。動作が優しいため、気持ちがいい。私も小夜君に、こういう風にできてたらいいなぁ……。
「……ところで、あの……」
「はい」
「いつまで撫でられるのでしょうか……?」
「……嫌でしたか?」
「いえ、そうではないのですが……」
「それでは、もうしばらく……あぁ、生きとし生けるものと触れ合うことは癒しです……」
「……私は馬と一緒ですか」
憂いのある顔しながら、何この人、すごく失礼。
「何やってるの。江雪兄さん」
「小夜君!小夜君!私馬鹿にされてる!なんとかして!」
「小夜もいらっしゃい」
「……僕はいいよ」
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