▼ 薬研汁
はぁ、とため息を付く。次の行動に移るのがしんどかった。
「大将、どうした?お疲れか?」
どうやって気が付いたのか、廊下を横切ろうとした薬研君が声をかけて来た。白衣にシャツ姿、何やらたくさんの葉っぱをザルに乗せている。
「ありがとう。歳ですかね」
「はっは、冗談言っちゃいけねぇぜ!あんまり無理すると体に響くから、ちっと休んどけよ」
「ふふ。そうします。薬研君は優しいですね」
頼れる兄貴分とはまさに。戦いも立ち回りも上手なので、ニ番隊で一と三の繋ぎをしてもらいつつ、各部のフォローにも入ってもらっている。賢く度胸もあるから細かいところの判断は任せているし、本当に、楽。
「大将に言われると照れんなー」
へへ、と口の端から軽快に笑みを零す薬研君。こういう精神的に安定した爽やかで頼れる子が本丸に来てくれると、なんていうか、ホッとする。心の負担がちょっと軽くなる気分だ。
「おっと。そうだ。ちっと待ってな。いいモン持ってきてやる」
薬研君はパチンと指を鳴らし、とととっと廊下を駆けて行く。
入れ替わりに、小夜君がひょこっと顔をのぞかせた。こちらは精神的に安定していないけれど、彼なりにとても私のことを気遣ってくれている。
「差し入れ」
泥だらけの手で鷲掴みにした柿をずいっと差し出された。ワイルド。両手を広げて受け取る。
「まあ。小夜君、ありがとう。今日は畑当番の日でしたっけ」
「そう」
「お疲れ様です。私も一度参加してみようかしら」
「別にいいよ。あなたは必要なときに働けるように、休んで」
愛想もなんにもない調子で淡々と言われる。けど、その三白眼が果てしなく愛おしい。
私は体を伸ばして、膝を擦るように小夜君へと近づいた。そして、頭をぎゅーっと抱きしめて、撫でる。泥と汗は大変健康的な子供の匂いだ。
「いいこいいこ」
「泥つくから」
少し慌てたように小夜君は言うけれど、抵抗は言葉だけ。可愛いものである。小さく竦められた体を、全力でぎゅーっ。
「おっと。焼けちゃうね」
薬研君が廊下の端から急いだように駆けてきた。小夜君が気まずいように体を強張らせて、スッと身を引いた。
「あら。薬研君も来る?」
両手を広げる。
「いいの?」
薬研君の涼やかな目が、わっとキラキラした。薬研君はお兄ちゃん分だけど、だからこそ甘えたい時もあるのだろう。どんなに頼れる性格でも、年齢的には幼い部類である。
「それは何?」
眉間にシワを寄せて不愉快に怖い顔をした小夜君が割って入った。どうやら嫉妬したようだ。可愛い。
機嫌を損ねることなく、薬研君は自慢げに胸を張る。持った盆には茶の器が一つ。中身は見えない。
「これかい?これは薬研特製の栄養満点な飲み物だ。名付けるなら『薬研汁』。これで大将の疲れも一発回復!」
ぱんぱかぱーん。そんな感じで派手な背景が見えた気がする。薬研君はぐっと拳を握って自信満々の様子。
小夜君が眉間にシワを寄せてお盆を取り上げた。「あっ」と薬研君。
「疲れは一発で回復したらいけないんだよ。そんな怪しげなもの審神者に飲ませるな」
「怪しげじゃないぜ。栄養価に間違いはない……計算上はな」
あら。不穏な倒置法。とってと頼れる薬研君だけど、なんだかうんとは言い難い気分になってきた。
「絶対、体にはいいから。俺っちは大将の顔色が悪いのが心配なんだよ」
「君の顔色の方が悪く見えるよ」
小夜君、迷いのない切り返し。本人はさして気にせず「そうか?」と肩をすくめるだけだ。
……とりあえず、ここは薬研君の気持ちと顔を立てて置こうかな。腹をくくろう。
としたとき。
「おや。小さいのが二つ。手遊びでもしているのかい」
歌仙君が暇そうにぶらついてきた。また何か不満を訴えられるのだろうか。それとも支給品の相談か。
薬研君は歌仙君の小馬鹿にした嫌味を「ははは」とおかしそうに笑い飛ばせる。小夜君はいちいちつっかかるけど、今日は聞き流したようだ。
「歌仙。新しい茶があるんだけど、飲み比べしてよ」
盆のまま差し出す。歌仙君は「へえ」と覗き込み、薬研君は目をパチクリさせて成り行きを見守っていた。
「ふぅん。色は抹茶みたいだけど……匂いが青臭いな。なんだい。茶というには雅さに欠ける。茶に対する冒涜だよ、これは。世の中の茶という茶を馬鹿にしているのか?こんなもの緑色の吐瀉物だよ。器の中に緑色の溝があるようなものだ」
「そこまで言うこたねーだろ!栄養価は間違いないんだって!」
さすがに薬研君も声を張り上げた。ストレートな暴言は私の想像力を掻き立てる。うん、雅。まだきちんと見てすらいないけど、飲みたくない。
「薬研君。気持ちはありがたいんだけど、私、青臭いの、苦手なの」
両手を合わせてごめんなさい。無理。
「おっと、そりゃ本当かい?良薬口に苦しって言うが、そうか、大将がそう言うなら改良しねーとな。悪かったな」
薬研君は気にした様子もなく、けろっとして言った。……いい子!逆にこちらが悪いことをした気分になるけれど。
「小夜。つまり僕は騙されようとしていた、と」
歌仙君の笑顔が引きつっていた。雅でも穏やかでもない。小夜君は鼻で笑うように短い言葉を返す。
「今頃気が付いた?」
「……首を差し出せ!」
同時に刀を抜いて対峙する二人。
「おいおい、二人とも落ち着けよ」
そんな二人の間に割って入る薬研君。本当に頼りになる。
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