▼ 手負いの獣
今日の祈祷はうまくいったらしい。妖精さんが新しい子を連れてきてくれた。
随分ときたな……否、ブリティッシュライクな服装だ。くら……否、静々と俯いて、顔を隠している。
妖精さんはそんなことも気にせず、私のところまでただ誘導するだけなので呑気。連れてきたら、あとは一礼して帰ってしまう。「お疲れ様です」の一声で嬉しそうに笑うから可愛い。
問題は、俯いている彼は積極的に行動を起こそうとしないところだ。人見知りなのだろうか。襖を越えて入ってこようともしない。
「どうぞ、お上がりになって下さい」
声をかけたら、渋々という調子でこちらに踏み入ってくる。しかし、部屋の真ん中にきたら、何も言われる前に座布団の上に粗野な動作でどっかり腰を下ろして顔を上げた。
薄い目の色、髪の色。繊細な造りの顔立ち。まつ毛も長い。王子様系の美形、というのがピッタリな表現だろう。ただ、不機嫌なようにムッツリしている。
「俺は山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀だ。・・・山姥切の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない。国広の第一の傑作なんだ・・・・・・!」
なんか、いきなり勢いよく語り出した。妙に前のめり。
「……そうですか」
若干、引き気味になってしまう。それ以外、私に何て言えと。本人は『言ってやったぞ、さあどう扱う』みたいに私をまっすぐ睨みつけてくるけれど、その前に、空気を読んで欲しい。いきなり初対面の人にそんなことを言われても困ってしまうのは当然だ。
私の困った反応をどうとったか。興味がないとでも受け取ったのか。
「ええと、山姥切君は……」
「山姥切国広だ! あんたは俺を本物の山姥切として扱うつもりか!? 写しなのに! 写しなのにっ!」
「ち、違います違います。お名前が長かったので、ついつい他の方と同じよ……」
「俺は山姥切国広なんだよ! 贋作だからって馬鹿にしやがって!!」
喚いた山姥切国広君は、ダンッと足を踏み鳴らして立ち上がる。
相手は帯刀している。いきなりキレて刀を抜かれてしまったら。
「ご、ご無体っ!」
以前、似たような経験をしたことがあるため、私は思わず肩をびくっと跳ねさせて正座から尻餅の姿勢になってしまう。
しかし相手は怖い顔をして立ち上がるだけだ。肩を怒らせて、そのまま出て行こうとした。
というところ、立ちはだかる男が一人。腕を組むと派手なコサージュが指先にかかり、まるで蝶が留まっているかのようだ。腹が立つ。
「なんだい、大きな声を出して。みっともない……せっかく庭を見て風流を楽しんでいたのに」
歌仙君は整った顔をしかめ、口の端に冷笑を浮かべた。フン、と鼻から失笑。
「おや? ずいぶんと酷い格好だな。それは溝から拾ってきたのかい?」
「……邪魔だ、退け」
低い声で威嚇をする山姥切国定君。こちらからは見えないが、おそらく顔はズタ布に隠されているのだろう。ただ、歌仙君の表情はよく見える。カチンと来たらしい、口が尖った。
「新入りのくせに先輩を敬わないとは、一体どういう教育を受けてきたんだ。おい、審神者、説明しろ」
「そう言われましても……」
お手上げでございます。山姥切国定君だけじゃなくて、歌仙君も、私を主と認めていないのか、それとも自分が世界の中心なのか、たいへん手が焼けるし。
「僕はこんな小汚いやつと組みたくないな。ぜんぜん、まったく、微塵にも、雅さを感じされない」
「必要がないからな」
山姥切国広君が小さな声で歌仙君に言葉を返した。まるでそこらを飛んでいる蝿でも見るような目で、歌仙君はチラリと山姥切国広君を眺める。
「では、どなたとなら組んでくれるのでしょうか……」
私もついつい低い声が出てしまった。誰と組ませても駄目出しをしてグチグチネチネチ文句をつけてくる。それが歌仙君だ。
歌仙君は、やれやれ、とため息でもつきそうに肩を竦めた。
「いないね。どいつもこいつも、風流をなんたるか理解していないのだから。ふう、文系にはまことに生きづらい世界だよ。実に困ってしまう」
もうやだこの人……疲れる……。いつか結婚するとしても、絶対に歌仙君みたいな人とは結婚したくない。
歌仙君は、再び山姥切国広君へと視線を向けた。そして、馬鹿にしたように一笑。
「おおかたどこかの冴えない写しなんだろう。畑仕事でもやっていればいいさ」
見事に地雷を踏んだ。
すでに山姥切国広君は手負いの獣のメンタリティだ。キレてもしょうがない。というか、これを言われたらどの刀だってキレる。
「貴様ぁ――っっ!!」
叫びながら刀を抜く山姥切国広君。汚れた布がぶわっと広がって、おそらく顔も見えたことだろう。
歌仙君はバックステップでふわりと中庭に降り立った。
おかげで障子が真っ二つ。綺麗に斜めにスライドしてパタンと廊下へ倒れていった。
「俺は山姥切国広! 山姥切の写しだが、ただの偽者じゃぁない! 国広一の傑作だっ!!」
山姥切国広君は、凛とした声音で言い切る。すっとした立ち姿も、その声も、きっと、まっすぐに見たら意思の強い瞳も、綺麗なことだろう。
「な、なんて雅な顔立ちをっ……」
歌仙君が驚愕と同時にちょっと嫉妬するくらいには。
そんな歌仙君は、鼻の頭が切れてしまったらしい。鼻の頭から横に向かって一筋の赤い線ができた。ぴりりと痛んだようで、手で押さえる。傷口の感触を確かめてから、手のひらを見る。
「……!」
顔色がサッと青くなった。
……もう駄目だ。手に負えない。
青くなった顔を赤くして、歌仙君はキレた。刀を勢いあまるくらいに力強く引き抜くと、山姥切国広君へ切っ先を向ける。
「……首を差し出せぇ! 手打ちにしてくれるっ!」
「俺を写しと侮ったことを後悔させてやる! 死をもってな!」
チャンバラ、始まっちゃったー。私は白目を剥きそうになったけれど、助けを呼ぶためにふらふら立ち上がる。切られないように気をつけないとー……これから先、この二人の扱い、どうしよー……。
「おい! お前ら、なーにやってんだよ!」
加州君の爽やかでちょっとチャラけた声が近づいてきた。救い! 私は悲鳴に近い声をあげる。
「お願い! 二人を止めて!」
にらみあいながら刀を擦り合わせていた山姥切国広君と歌仙君。乱入者による集中の乱れが発生したのだろう。どちらとも言わず、すっと刀を滑らせて距離をとった。
「騒がしいと思って来たら、なに、これ。審神者の部屋の前でやることじゃないよ」
一緒に駆けつけたらしい。大和守君が、静謐なくらい落ち着いて優しい声で、きわめて冷たく言い放った。既に刀を抜いており、いつでも切る準備はできている。ひしひしと溢れてくる殺気がこちらにも漂ってくるほどだ。
さすがに二人も頭が冷静になったようだ。気まずいようにそっぽを向いて刀を納める。
「ていうかお前、誰? 新しいお仲間か?」
加州君が山姥切国広君に怪訝な顔で絡んだ。無視されているけど。
私は肩から落ちるため息。
「歌仙君。そんなに激昂しては風流じゃありませんよ。少し散歩でもして心を静めてきてください」
苦いことを思い出す。
以前、歌仙君と口論になった。どうしても内番を嫌がる彼と、泣きついてくる先輩分の短刀達。いい加減腹が立った私は「この勘違い風流男!」と罵ってしまい、あやうく切り捨てられてしまうところだった。
問題児。……まさに、彼こそ。
「あ、じゃあ俺もいってきまーす」
ひらひらと笑顔で私に手を振る加州君。苦い顔で頷いてよろしく頼んでしまう。彼ならへらへらしながら歌仙君の気難しさを受け流してくれるだろう。以前、「お前の派手さは雅じゃない。品がない」とか言われていたけれど、怒らずにおどけてさらっと受け流していた。信頼できる。
大和守君は切る準備をしたまま山姥切国広君をじっと眺めていた。少しでも変な動きをしたら、頭と胴体を分離させてしまうつもりなのだろう。彼が物言わずにじいっと一点を観察しているときは、あまり穏やかではない状態と言っていい。
「山姥切国広君」
私は、今度はきちんとフルネームで呼ぶ。すると、険しい目が私を射抜いた。手負いの獣は神経を研ぎ澄ませているものだ。傷に触れれば牙を剥くのも当然だろう。
酷い有様の周囲の風景に一つため息。大丈夫、妖精さんが超技術で直してくれるから。ちゃんと笑える。彼と向き合ったら、つまらないことも忘れることができるはずだ。
ほら笑える。許せる。彼はアイデンティティの救いを求めて彷徨う哀れな一人の青年だ。だから疲れた声を出してはいけない。優しく優しく。
「あなたはあなた。私にとって、一人しかいないあなたです。だから自分を大切にしてください。私も、あなたのことを大切にしたいです」
謎の空白があった。彼は目を丸く開いて、ぼうっと数秒、硬直していた。空気が不思議なくらいに静止していた。
山姥切国広君の両目から、だばっと涙が溢れた。うわっ……。
「うわっ……」
大和守君は素直に口から出した。軽く瞼が下がる。
崩れ落ちるように号泣する山姥切国定君。肩を震わせて男泣き。
「う……うぅぅっ……お、俺はっ……! 所詮写しだけどっ……! あ、あなたのためにっ、例えこの身が朽ち果てようともっ! 忠誠を誓うぅっ!」
なんとも雅で仰々しい表現だなぁ……しかもたった一言でいいんだ……。正直言って、チョロい。
「たった一言に対して、大げさだなぁ……」
呆れたように、だけど目元以外には表情に出さないで、大和守君がつぶやいた。同感だ。こんな茶番つきあってられるかよ、と言わんばかりに背中を向けて、さっさと自分の時間に戻ってしまう。
「俺の主はあなたしかいないいいいっ!!」
うるさい。
しばらく彼は泣き続け、顔が真っ赤になる頃「取り乱してしまった」なんて恥ずかしそうに真顔を作っていたけれど、今更遅い。大和守君が特別に意地悪ではなく必要でなければ情報を漏らさないクールな性格でよかったね。
*****
短刀を引き連れて遠征していた小夜君が戻ってきた。
斜めに切れた障子と荒れた部屋を見て、一言。
「……今晩は月がよく見えそうだね」
「風流なことです」
「やめてよ」
小夜君は軽く眉間に皺を寄せた。
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