▼ 嘘の約束
手伝いをすると言ってきたものの、結局は口実でしかないのだろう。安定君は大きく息を吐き出して、手足を放り投げてラフに座りなおす。足がパタパタと泳いだ。
「座ってばっかりの仕事なんて気分が落ち込むよなぁ……暇だ暇だ」
「だから、素振りでも何でもしてきていいですから」
「じゃあ寝る。おやすみ」
そのまま大の字になって目を閉じてしまった。ただのご機嫌ななめかもしれないけれど、自由だ。
歌仙君がこちらに来ないことを祈る。歌仙君は兼ねてより彼らの無作法が気になっていたみたいだ。小夜君はあてにしてはいけない、江雪君は加州君とともに出陣。今、喧嘩が始まったときにとめられる人がいない。
結局、私は人頼み。みんなには心配されてばかりだ。だらしないことこの上ない。……ため息。
息を潜ませるような足音。こんな歩き方をするのは一人。普段なら、音も立たないくらい。
「……なにこれ」
小夜君は畳に転がった安定君を怪訝な顔で見下ろした。なんとも言い難いものがある。私は人差し指を立てた。
「お手伝い……かな……多分」
「人には向き不向きがあるよ」
呆れた調子で淡々と呟くように言う小夜君。まったくごもっともだと思う。
「これ。歌仙が差し入れってさ」
スッと書類の脇に差し出される小皿。オレンジ色のどろっとした半固形の上に飾りの赤い実が乗っている。木の小さいスプーンは、二つ。
「歌仙君が?」
それとなく仲直りというか、話し合いのきっかけを作ったり、諭したりしたのではないだろうか。
小夜君は気まずそうに外を見ている。
「琵琶と柿を甘く煮付けて冷やしたそうだ。そんなことしなくても甘いのに。台所の妖精が邪魔そうにしていたよ。まったくわがままなやつだ」
そっけない風に、でも沈黙は嫌なようで、悪口が飛び出した。悪口は悪口なりに、本当は彼を気に入っていることが伝わってくる。
「……いただきましょうか」
スプーンをとって、一口分をすくう。食べやすい上品な大きさだ。口に入れるとひんやりと爽やかな甘みが広がる。料理は得意と自称するだけある味だ。
「まあ。おいしい」
「そう。よかったね」
本当にそっけない。それどころか、突き放すような言葉だ。私はどうしていいのかわからなくて言葉が出てこなくなる。離れたくない。近づき過ぎても駄目。駄目な理由は? いっぱいあると思う。
「……やっぱり、夢は、まだ見る。昨日も見た」
視線はこちらに向く気配はない。もう、見ないようにしているのかもしれない。とても寂しかった。おかしいことに、私が一人ぼっちにされたような、そんな気分。
「たぶん一生見続ける。でも、大丈夫だよ。大丈夫なように頑張れる。だから、僕がもっと強くなったら」
少しだけ、小夜君の声に力が入って、大きくなった。そのことに自分で気がついたようで、まず安定君に視線を向ける。寝てる……たぶん。もしくは寝たフリをしている。
小夜君は、膝で歩いて私の横に並び、口の横に手を立てる。内緒話をするのだろう。私は小首を傾げて、そっと耳を寄せる。
「……そのときは、お嫁さんになって」
恥ずかしそうなささやき声だった。きっと顔が真っ赤になっているのだろう。私は口を押さえて、ちょっと照れてしまった。
お互いに、きっと無理だな、なんて思っている。重々承知だ。それでも、世の中には優しい嘘はある。誰が正しくて、誰が間違っているかもわからないなら、目の前の大切な相手を、ただ信じたい。嘘に嘘を返しても、気持ちが本当ならば。
「ええ。約束、しますよ」
私は小指を差し出した。すぐ近くに小夜君はいて、やっぱり、ふっくらとした頬っぺたは赤くなっていた。でも、どこか悲しそうに眉が下がっている。きっと、私もそんな風に笑っているのだろう。
小さくて細いのに、農作業や戦闘ですっかり荒れている小夜君の小指。私がこんなにのんびりして傷一つつけていないことを申し訳なく思うくらい。でも、そんな楽しか知らない指へ、小夜君は、こわごわと小指を絡めた。
「指きりげんまん……嘘ついたら、殺しちゃうかも……」
不穏でも、声は暗くない。恥ずかしくて潜めているだけ。
嘘みたいに穏やかな日常が流れていく。でも、過ごした時間は嘘じゃない。そんなゆとりを許すことができれば、約束をたがえても、恨みも復讐もない、どこかに、いつかきっと。
「指切った」
小夜君は、名残惜しく手を離した。
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