とうらぶ 小夜隊長 | ナノ



▼ 黒夢

審神者は柔らかい。暖かくて、いい匂いがして、優しくて、僕のことを一方的に抱きしめてくる。ふっと気を抜くとズブズブと沼に沈んで行くような錯覚。「自分は何故」と在り方を問う暗く冷たい沼なら今までいくらでも身を浸してきたつもりだけれど、「自分は誰」と意識を問うような、自分を見失うような沼は初めてだった。

「悪い夢は、見なくなりましたか?」

とろんとした甘い声。うつらうつらと瞼を重たくした審神者は、布団の中で、僕の手をやんわりと両手で包む。審神者は横を向いて背中を丸めると落ちつくみたいで、眠くなると猫みたいに丸まっている。まるで子供だ。

「……時々ね」

眠気を飛ばさないように答える。前よりは酷くない。だけど見る。恐らく死ぬまで逃れられない呪いだ。自覚している。

指先にきゅっと力を込められた。温もり。ジワジワと触れたところから安心が流れ込んできて、心の黒い物が隅に追いやられて行く。追いやられた黒い塊は、だけれども消えずに、僕の心に尖ったしこりとして存在を主張する。チクチクと。ズキズキと。切ない。

「今日は、いい夢だと、いいですね……おやすみなさい……」

言葉が間延びして、かすれて、消えて、呼吸がゆっくり、長く、深くなる。僕より断然寝つきがいい人だ。最初は僕を寝かしつけるつもりだったようだけど、結局、僕より先に寝てしまう。僕があまり眠れないせいかもしれない。

「……おやすみ、審神者」

言葉を返す。甘ったるい「ん」というのは、返事か、それとも、寝言か。どちらにしても、この人はとても優しくて、可愛くて、僕は安心していて、幸せだということは間違いない。……そんなのは間違いなのに。

無防備な寝顔をじっと見つめる。

僕なんかただの人殺しの道具なのに、彼女に触れていていいのだろうか。少しでも力を込めたら、肌にぷつっと切れ目が走って、切れて、死んでしまうのではないか。そう思うと、縋り付くのが怖い。

「僕の刃なんか受け止めなくていいんだよ」

呟く。ほとんど、声にならないくらい。起こすのは可哀想だから。

軟い彼女は傷付いてしまう。きっと死んでしまう。そんなのは絶対に嫌だ。チラリと自分が殺してしまう可能性も考える。殺しかねない。なんせ僕は自分が誰だかわからなくなり始めている。誰のための復讐なのか、何のための復讐なのか。

もしも彼女に裏切られたと思って、彼女に復讐をしようと思うことがあったら。……大いにあり得る。矛盾のようなのに、ちっともそうではない。僕は彼女に感じている愛着と同じくらい、なぜだかとても憎らしい。ふとすれば殺してしまいたくなるほどに。

「……嫌だ」

そんなことは。裏切られることは何よりも嫌だけれど。審神者は裏切らない、裏切らない、絶対に裏切らない。裏切るはずなんかない。言い聞かせる。彼女こそ僕の主であると。

……でも、彼女は他の刀の主でもある。とても、好かれている。皆にいい顔をする。僕だけではない。僕だけの主ではない。男ばかりの中でたった一人の女性なのに、気負けせず、しっかりしていて、とても格好いいと思う。だけど、腹が立つ。いつもニヤニヤ愛想を振りまいて適当に騙しているように思う。そういう日和見で不誠実なところもある人だ。

ちょっと抓ってこらしめてやろうか、と思う。寝顔を見つめる。まっさらな寝顔。そんなことできなくなる。

狡い。まったく狡い人だ。悔しくはならない。間違いなほど幸せだった。

「……えい」

人目があってもなくても気恥ずかしい。僕は勇気を奮い立たせるように小さな声を出して、審神者の胸元に額を寄せて、ぴったり密着した。審神者の柔らかい体も、暖かい体温も、温すぎる優しさも、信頼も、命も、全部独り占めしている気がする、一瞬。心臓がドキドキして、いけないことをしている気分になる。だけど変え難く幸せ。

今夜も殺された人の悲鳴が聞こえることだろう。僕が幸せになればなるほど怨嗟の声は大きくなるだろう。ますます審神者が疑わしく、憎くなることだろう。だけど僕は。

「審神者、大好きだよ」

独り言のようにこっそり呟いて、擦りつく。審神者は、ふにゃ、と呻くけれど、起きない。

懺悔はその後でいいと思えるこの瞬間のためだけに、絶対に、彼女を殺さないと、死なせないと、誓う。……固く誓う。

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