○罰△、今日が死んでく 水谷 | ナノ



行きつけのファーストフード店で落ち合って、それから。今日はミーティングだけで部活が早く終わるんだって言ったらじゃあ帰り遊んで帰ろうよってことになって、今こうしてオレは財布からチャリ銭をがさごそと取り出しているわけなんだけども。740円になります〜。なーんて、そんなとびっきりかわいい笑顔で金銭を要求してくるちょっとお化粧の濃いバイトのお姉さんに740円をぴったり差し出せば、あとはレジの前からちょっと横にずれてオレの夕飯が届くのを待つばかりだ。

し め
 
や ゃ
り く
 
い ゃ
よ に


高校に入ってからこういったファーストフード店にはめっきり行かなくなった。もともと熱心に通っていたつもりはないけれど、それにしたって中学の頃は一ヶ月に3度くらいは訪れていたような気がする。行かなくなった理由、それは野球部に入ったからだと思う。1年の夏の大会でベスト8になり損ねて、みんなで甲子園を目指すって目標を掲げてからは、毎日のキツイ練習をやり通して、勝つためには食も大切なんだってシガポやモモカンから話しを聞いて。それからだ。それからオレは毎日の食にちょっとだけ耳を傾けるようになった。
トレイの上にはチーズバーガー、オレンジジュース、ポテト(Mサイズ)が身を寄せ合っている。ボリューム的には聊か足りない程度。でも栄養面を考えたら眉を顰めてしまうレベル。そんな740円分の夕食だけれど、たまにはこんな夕食の日があったっていいんじゃないか。オレは開き直ってすでにポテトに手をつけている彼女のもとへと向かう。お待たせ〜。当の本人はポテトを摘まんでいる逆の手でカタカタとケータイのボタンを押しており、こちらには気づいていない様子。恐らくメールを打っているのだろうと察してオレは返事を待たずに席に座る。どっこらしょ。声に出して言ったら「水谷、おじさんくさーい」なんて言われてしまいそうだ。
咽を潤そうと思ってオレンジジュースを片手で持ち上げ、ストローを使って液体を吸い上げる。味が薄く、水っぽいオレンジジュースだった。ちょっと左右に振っただけでがらがらと音が鳴るところから大量の氷によって水かさが増し、その量が誤魔化されていることを悟る。ぼったくりだよなあ。毎日通ってたら財布がすっからかんになっちゃうよ。ストローを口からは離し、テーブルに置く。ふと横を見れば、透明ガラスの向こう側にネオンがきらきらと輝く夜の世界が広がっていた。
パタン、彼女がケータイを閉じる。


「あ、早かったね」
「うん。さすが学生の味方だけはあるよね〜」


だよねえ。けらけらと笑いながら、さっそくと言わんばかりにストローの紙を破く彼女。ポテトは摘まんでいたようだが、ジュースの方は多少なりとも遠慮していてくれたらしい。別に気にしなくていいのに〜なんて思っていると彼女がプラスチックのストロー口にストローを刺し、口に含み、吸い上げ、飲み始めた。


「ふ〜生き返った」
「ちょ、何それお前」
「いやさ、秋とはいえまだ暑いじゃん?」
「あーそういえばもうそんな季節だよなあ〜」


また、透明な液体を吸い上げる。
彼女とオレが出会ったのは西浦高校に入学してすぐの4月のことだった。入学式が終わり、割り当てられたクラスが発表され、オレは自分が所属するクラスが7組だということを知った。訪れた教室で真っ先に目を引いた存在が、今こうして目の前にいる彼女だった。
西浦高校には制服というものが存在しない。言い換えれば服装が自由なのだ。と言っても、ほとんどの生徒はジャージやジーパンにTシャツといったラフな格好をするのがふつうだ。服装に縛りがないということは一見ありがたいことのように思えるが(特に女子にとってはそうらしい)実際はそれほど大層なものでもないようにオレには思える。毎日のように着て行く服を選ぶのは面倒だし、それなりとは言えお洒落に気を使うのも疲れるし‥‥‥そう考えてみれば制服という存在のあることがどれほどありがたいことなのか。中学の頃はワザと着崩して先生に目をつけられる度につらつらと文句を言っていたものの、高校生となった今になってようやく理解できた。成長したのかも、オレ!
しかしそんな中、彼女はいつだってキレイだった。昨日まではお洒落な格好をしていたはずの子たちがつぎつぎとラフな格好をして学校を訪れてくるようになりつつあった、残りもあと僅か、となったそんな最中。爪、髪、服装‥‥‥どれをとっても彼女は誰よりも群を抜いてキレイだった。そんな彼女にオレは興味を持った。
同じクラスということもあってオレたちは必然的に会話を交わすようになった。隣の席になった日なんかはこれでもかというくらいアピールした。
はきはきとものを言い、毅然とした態度で話す彼女をオレはすぐに好きになった。オレには無いものを持っている子だと思った。尊敬できると思ったし、同時に羨ましかった。そして願ってもないことにオレと彼女は趣味や好みといったものが似ていた。こうしてオレたちはふたりきりでファーストフード店に訪れるほどにまで仲良くなったのだ。


「浮かない顔してんなあ」
「いやさ、彼氏がね」
「うわ、またかよぉ」
「別にいーじゃん。何なら水谷の彼女の話し聞かせてよ」
「今彼女募集中なんだよねえ」
「この前の子、別れたんだ」
「部活が忙しいからなかなか会えなくってねえ」


彼女はオレの話しを楽しそうに聞いてくれたし、オレも彼女の話を聞くのが好きだった。キッツイ部活のあとに教室に駆け込んで「おはよ、ギリギリじゃん」「慣れてますから!」なんて掛け合ったあとにお互いを見合って小さく笑い合うことも好きだったし、こうやって店先でくだらない会話に花を咲かせてげらげら笑うのも好きだった。オレは彼女と過ごす時間が好きだった。


「お前の彼氏、ほら、他校の‥‥‥なんてったっけ?」
「名前はヒミツ。ただ、野球部なんだけど、笑顔がとにかくかっわいくてね!あ、もちろん野球も上手なんだよ?レギュラーでセカンドをやってるんだって。それにすっごく優しくてさあ!このあいだなんか‥‥‥」


うんうん、と相槌を打ちながらオレはオレンジジュースを持ち上げる。この手の話題になると途端に彼女は饒舌になる。滑らかな舌遣いが奏でる言葉の羅列はオレの鼓膜を揺らしてゆっくりと体内に浸透してゆく。ああ、これだ。この息詰まるような違和感は何だろう?以前は彼女と過ごす時間がとても好きだったはずなのに、こうしてふたりで他愛ない話をすることが何よりも至福だったはずなのに、それが今はどうしてかそれを楽しいと享受することができない。好きだと、思えない。

(いつからこんなふうになっちゃったんだろうなあ)

彼女の話を笑顔で聞き流しながらオレンジジュースを置く。身につけようと長い間苦闘した儀礼的無関心も、最近ではなかなか板についてきたような気がする。
こんなふうになってしまったのがいつからなんて、オレには分からない。けれどオレ自身が彼女との会話で言い知れぬ不快感に似たようなものを受け取ってしまう理由なら分かっているつもりだ。そこまで馬鹿なオレじゃない。それはきっと不信感からくるものなのだろう。と、オレは知っている。そして知っていて口に出せずにいることも。
彼女が自分を磨いている本当の理由。それは彼女が言うその彼氏さんのため。野球部で、レギュラーで、ポジションはセカンドで、優しくて、笑顔が可愛くて‥‥‥そう、まるで、


「それってまるで栄口みたいだよねえ」
「えっ?栄口」
「そ、栄口。知らない?オレと同じ野球部なんだけど」
「元どこ中?それにクラスは?」
「1組。中学は知らないなあ、阿部と一緒だったらしいけど」
「阿部と一緒‥‥‥うーん、知らないなあ」
「一組ってあんま関わりないもんねえ〜遠いし」
「だね。今度部活見に行った時にでも教えてよ」
「ん、了解!あーでも、似てるからって栄口に惚れるなよぉ?」
「ばっか、惚れないってば〜」


あ、じゃあもう行かなくちゃ、このあと約束あるから。と、席を立つ彼女。いつの間に飲み干したのだろうか。あれだけ割と一方的に話していたにも関わらず、彼女のジンジャエールはすでに空っぽだった。


「彼氏?」
「そ」
「もしかして、デートの約束だったり?」
「アタリ」


これから彼女が会いに行くのは一体どこのだれだろう?野球部で、レギュラーで、ポジションはセカンドで、優しくて、笑顔が可愛い子?まるで栄口みたいな子?それともまったく別の知らない子?それとも?


「あ、最後のポテト。お前にやるよ」
「えー、いいよ」
「いーからいーから!遠慮せずにもらとけって!」
「んーじゃあ遠慮なく」


オレは知っている。知っていて、知らないフリをしている。本当は知っていて、言い出そうとして相手のことを思うあまり口を噤んでしまう、そんな小芝居をしているだけ。もちろん、それがサイテーな選択だってことくらい分かっているつもりだ。オレは悪役を買うつもりなど毛頭ないのだ。
不幸なところだけをキレイに切り取って捨てるようなことを永遠と繰り返している限り彼女は本当の意味での幸せなんてなれやしない。それとも「話すこと」が彼女を幸せにするのか。でもけっきょくは自分の首を絞めることになるとオレは思う。‥‥‥現時点では、まだ分からないけれど。
もっとお互いに嬉しくなるような言葉を交わしていればよかったのかもしれないなあ。
鞄を肩にかけ横を通り過ぎようとした彼女の腕を掴み、腕を掴んでいない方のポテトを摘まんでいる方の手を彼女の口元に寄せる。彼女は一瞬目を見開いて戸惑っているようだったけれど、仲良し男女のスキンシップだと思えば何てことはないはずだ。彼女が口を開くのを待って「いらないの?」追い打ちをかけるようにして囁いてやればおずおずと開き始める薄い膜。ポテトを咥えようと半分ほど開きかかった唇の隙間から垣間見えた赤い舌。生物の時間で習った。唾液だけではこのポテトは溶けやしない。食道を伝って胃に押し込められて。そうやってじっくり時間をかけて形を変えて食べ物たちは栄養となり、老廃物となり、吸収されたり排泄されたり。それは彼女が生きている限りこれからもずっとつづく。
まるで泉から沸き出した水の如く、彼女の舌先で溶けだす嘘は無限だ。際限ない。いつかそこに蓋をしてくれるような何かが起きない限り泉は溢れんばかりだ。でも、ただ蓋をするだけじゃ駄目だ。しっかり蓋をして、栓もして、且つ彼女を嘘だらけの言葉の雑踏の中から救い出してくれるようなだれか、もしくは何かじゃないと。そんな役目を買って出るやつがいるのかは分からないけれど。そんな役目から早々に辞退した、芝居のかかった下手な演技を披露するオレを中傷してくれるようなそんなだれかや何かが現れる日をオレはずっと待ち侘びている。とっくの昔に舌は慣れてしまった。猫舌は直る見込みがないけれど。
また1からはじまり直せることができれば、いいのに。オレも。そして彼女も。


「みふたに?」
「あ、ごめんごめん」


今離すよ。ぱっとポテトから手を離すと彼女が不思議そうな顔をしながらもぐもぐと咀嚼し始めた。
まあ、どちらに転がるにせよ。今日も愛するひとのために前へと歩き出す彼女の背中をオレは後押ししてやるわけでもなく、かと言って追い風を起こすわけでもなく、ただ後ろから笑顔で見守るわけで。そしてオレは表情をけして崩さずに小さなため息をひとつだけ、そっとこぼすのだ。


「愛するって、むつかしいよねえ」


あたしはまたしても溶け合えないまま、孤独だけを抱えて白い足を凝視してしまう
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食べて仕舞おうへ提出
title by みみ