獣の恋 | ナノ
 Two night

 カチカチカチカチ。
 壁に飾られたアンティークの壁時計が一定のリズムで秒針を刻む。自分以外誰もいない部屋ではその音がやけに耳に障る。
 時計に目を向ければ針は1と指している。外はとっくに夜を迎えているためいまは午前一時だ。
 もうそんな時間になってしまったのか、その事実にうんざりした気分で嘆息を吐き出す。

 突然やってきたMr.ラインヘルツの執事との攻防の末、彼が淹れた紅茶のせいで結局自分が折れる形となった。
 フィリップ・レノール。声はでかいが仕事はできる。本物の執事の実力を間近で見せつけられて不覚にも感心してしまったぐらいだ。
 ただ、問題が一つ。Mr.ラインヘルツ直々に遣わされたならば自分の事情くらい知っていると思っていた。しかし、フィリップは全くそれさえ教えてもらっていない。というか、
 ブリーリングの知識もない。それもそのはず、フィリップは至って普通の『猿人』だったのだ。
 フィリップがいうには「クラウス様の御友人の護衛を任されるなんて光栄です!!」らしい。ごめんなフィリップ、俺あの人と友人どころか六日ほどベッドで掘って掘られるだけの関係なんだ。なんていえるはずもなく、俺は曖昧に笑ってごまかすことしかできなかった。
 一応Mr.ラインヘルツも気を使ったそうで、フィリップには他の部屋を取ったらしい。何かあったら電話をと部屋の番号を教えてもらって颯爽と立ち去ったのはもう3時間も前。

 その間、俺はずっと一人でMr.ラインヘルツの帰りを待っている。
 飯も食わず、尻の準備も済ませ、あとはMr.ラインヘルツの帰りを待つだけ。なのに帰ってこない。

「なーにーがー早く帰れるように早急に終わらせようだよっ!全く終わってないじゃねぇか、というかこんな時間まで仕事とか一体なにやってんだあいつ。ブラックか?あいつの会社もしかして真っ黒なのか?こちとら金払って尻穴も洗ってんだから休暇ぐらい取っておけよあのデカブツ!!」

 一人しかいないからと大声で喚きながらぐいっとグラスのワインを飲み干す。上品な味わいが一気に食道を通って肺へと流し込まれる。アルコール特有の喉が焼ける感覚などもう気にしていられない。もう飲みたい気持ちで一杯なのだ。人はこれをやけ酒という。
 ちなみにこのワイン、値段は知らない。部屋に置いてあるルームサービスのメニューはあろうことか値段が書いてないのだ。さすがスイートルーム。なので腹いせにいかにも高そうなのを選んでやった。誰が払うかって?もちろんこの部屋を用意したやつに決まってる。

「だいたいなんで猿人連れてくんだか、友人どころか会ったの昨日……ってもう一昨日か、に初めて会ったばっかりだろうが。それに友人は男の尻に突っ込むなんてしねぇよ。本当によう、あいつ言い訳考えるの下手すぎやしないか?真面目か、いや真面目だからああなのか。たくっ、ああいうタイプって仕事も手抜けらんないんだよなぁ……人がどんな気持ちで待ってるかわかって」

『もしMr.ミョウジが嫌でなければ、貴方に触れたいと思っている』

 不意によぎった声が鼓膜を震わせる。もう数時間の前のことなのに、未だに耳に残るそれ。一瞬だけ固まるもすぐに力を抜いて乱暴に髪をかき上げる。

「……わかって、ないからいえんだろうな」

 男との経験がないとはっきりと口にしていた。だからどれだけ苦労を強いられるか想像仕切れていないのだろう。
 自分とMr.ラインヘルツが行う行為で使う場所は本来それに使うための器官ではない。女のように濡れてすぐに受け入れてくれるなんて到底無理な話で、そこに至るには面倒な過程がある。
 Mr.ラインヘルツはそれを知っているのだろうか。もしかしたら帰ってからすぐにできるなんてお手軽なことを考えてるのだろうか。
もしそうなら、とても腹が立つ。

「あいつ貴族で執事とか当たり前にいるってことは絶対坊ちゃんだよなぁ、世間知らずなのかも……」

 そう思えば納得できなくもない。
 だが、それでも癪に障る。そう考えてるのであればあいつがどこまでも自分を女扱いするのが理解できてしまうからだ。
 むかむかする胸の内を誤魔化すためにワインを再びグラスに注ぎ、一気に流し込む。
 あの男は自分を女の同じように抱こう思ってるのならば、一体どうやって抱くのだろう。
 あの紳士的な態度を崩さないのか、それとも斑類の本性を露わにするのか。
 あの無骨な手でどう触れ、あの声でどう自分を呼ぶのだろうか。
 グラスを空にしたのを見届け、ゆっくりと口を離していく。

「……懐蟲使えば、少しはヤんのもマシになんのかね」

 ぽつりと、無意識に口から出た台詞にぴしりと石みたいに固まる。
 いま、自分はなんていった。

「……待て待て待て待て待て待て、なに恐ろしいこと口走ってんだ俺!?んなことしたらガキできんの確実じゃねぇか!そうならないように使わなかったのにヤるためだけで使うとか俺は馬鹿なの?死ぬの?ていうかなんで俺あいつとヤりたいみたいな感じになってんだ!?どんだけ昼間の尾引いてんだよ!!思い出せナマオ・ミョウジ!!俺がここにきたのは親父の1000万を払わないためだ!!」

 もう自分でもなにをいっているのかわからなくなっていた。我を忘れて頭をぶんぶんと横に振る。すると突然ぐらりと視界が大回転を起こした。酒の飲み過ぎの上に激しく動いたものだから酒が一気に回ってしまったみたいだ。この年でなんという失態。
 ぐらぐら視界が揺れるわ気持ち悪いわでその場から動けず、そのまま体を投げ出す。幸いなのは自分がいる場所がリビングルームのでっかいソファだったことだろう。横になればひんやりとした皮生地が頬に当たって気持ちがいい。横になってしまえば最後、今まで感じなかった睡魔が津波のごとく襲いかかってくる。寝ては駄目だと脳が言い聞かせても、瞼はどんどん重くなっていく。

『どうか眠らずに待っていてほしい』
 昼間からずっと耳から離れない声が囁く。あっちが先に破ったけれど自分も働いている身だからそれなりに大変なのは理解できる。それでいて自分勝手に腹が立ってこうして破ってしまうのは少しだけ罪悪感が湧く。

(起きたら、ちゃんと謝らないと……)

 それで、仕事お疲れぐらいはいってやりたい。
 たかがブリーリング相手に、と自分で自分を馬鹿らしいと笑い飛ばしてやりたかった。もうそんなことさえできないほど、眠りの世界へ堕ちていった。


 夢を見た。
 誰かに抱えられる、ただそれだけの夢だ。
 いい年をして一体なんて夢を見ているのか。人肌でも恋しいのか。だが、不思議なことにその腕の中はとても居心地がよかった。
 まるで子供に戻ったみたいに夢うつつのままその胸に顔を埋める。それに相手は嫌がる素振りも見せず、自分の耳元で何かを囁く。
 その言葉は全く聞き取ることができなかったが、その声色はとても優しいものであった。


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