獣の恋 | ナノ
 One night

 ヘルサレムズ・ロットにやってきて驚いたのは昼間よりも夜のほうがとても明るい。
 暗くなれば霧も関係ないのか、窓の外はギラギラしたネオンが散らばっている。元紐育だった名残なのかもしれない。残念なのはもはや綺麗を通り越してえげつなさを感じさせることだ。
 そんな百万ドルを通り越した夜景をバックにベッドサイドの椅子に腰かけて物思いに耽る男はあまりにも不釣り合いに映った。

(座る姿はとても優雅な分、ギャップがあるのかも)

 そんな相手とこれから子作りに専念するのかと思うと、なんともいえない気持ちになる。
 声をかけるべきか悩んだものの、ここまできたらもう逃げられないので覚悟を決めて声をかけた。

「Mr.ラインヘルツ」

 呼びかければ男、Mr.ラインヘルツが振り向く。Mr.ラインヘルツは先ほどのベストスーツの上を脱ぎ、ワイシャツだけというラフな格好になっていた。対する自分はバスローブ。用意されていたのがそれしかなかったから着たものの、なんだかヤル気満々みたいで少し恥ずかしい。
 ベッドサイドのランプしか点いていない部屋でMr.ラインヘルツは自分の姿を捉える。なぜか黙ったままこちらを見つめ続ける。見つめる、というよりは凝視だ。あんまり見つめてくるもんだからとても居心地が悪さを覚えてしまう。

「な、なんですかっ?」
「……いや、なんでもない」

 そっけない物言いで視線を外されてさすがにカチンときた。ドン引きしたならしたでこうも態度に出されると癪に障る。だが、ここで色々いっても大人げないと判断してそれ以上の追求はしなかった。
 そのままベッドに向かおうとしたら、Mr.ラインヘルツに呼び止められた。応えると自分に向けて手を差し出してくる。

「こちらへ来てはいただけないだろうか」

 頼みを口しながらも、それ以外の拒否権を一切与えさせない。この男はやっぱり重種であり高貴な身分の持ち主なのだと再認識する。半重種といわれても結局は重種に近い中間種でしかない。本物の重種の命令を拒否するなどできるはずがなかった。いわれるがままにMr.ラインヘルツの元へ足を向ける。椅子に座る彼の前に立つと差し出した手がゆっくりと頬に伸ばされる。

「体調のほうは」
「少し寝たんで、もう平気かと」
「それは時差ボケが治った証拠だろう、先ほどよりも顔色がよくなって安心した」

 無骨な掌で輪郭をなぞるように頬を撫でながらじっと顔をのぞき込んでくる。
 赤茶の前髪から覗かせるエメラルドグリーンの瞳。初対面と変わらず淀みなど一切ないない澄んだそれが少し苦手だった。それ以上に眼力があるもんだから睨まれてる気がしてある意味ドキドキしている。

「……でもまさか来て早々にベッドに寝かされるなんて思いませんでしたよ、しかもこの年でお姫様だっこされる日が来ようとは」
「すまない、顔色があまりに悪そうだったもので……」

 だがさすがに成人男性にするべき行為ではなかった、と頭を下げられてしまい、ぐっと押し黙る。いま思い出しても顔から火が出るほど恥ずかしい体験をさせられたら嫌味の一つや二ついいたくなる。しかし、こうも素直に謝罪をされてしまうとなにも言い返せない。

(なんかこいつと話してると調子狂うな、野獣みたいな見た目と中身のギャップ激しすぎるだろ)

 見た目は美女と野獣の野獣っぽいのに、蓋を開けば真反対。重種という立場を鼻にかけず、ブリーリング相手として偉そうに振る舞いもせず、ただセックスだけを考えもせず、どこまでも紳士的に対応してくれる。たとえ相手がいい年した成人男性でもだ。ブリーリング相手としては申し分ない。これはさぞや沢山の女性たちから種を求められてるに違いない。

「ところで、一つ質問があるのだが」
「はい」
「……同性との性行為経験はあるだろうか」
「ぶっ!」

 唐突すぎる質問に勢いよく吹き出す。幸いMr.ラインヘルツにはかからなかった。同性との性行為、つまり男とヤったことがあるのかといいたいようだが固苦しい言い方がなんとも彼の性格が出ている。いやそれよりもMr.ラインヘルツの質問だ。
 どう答えるべきか言葉に迷って黙り込む。だがMr.ラインヘルツは急かす様子もなく、黙ったままじっと見つめて律儀に返答を待ってくれている。それがさらに追い込んでいることに気づいていない。どうしたものかとMr.ラインヘルツの瞳から逃げて視線を泳がせた。
 経験がないと答えても、経験があると答えても、自身の立場を考えたらどちらを選んでも面倒なことになるのは予想がついた。できれば、この紳士の心証を悪くしたくない。
 さんざん悩みに悩んで、やっとこさ答えが出た。

「あー、うーん……ノーコメント」
「……それはどちらの意味に受け取れば」
「Mr.ラインヘルツのお好きに受け取ってください」

 素直に答えるのではなくMr.ラインヘルツに判断を委ねるあたり、自分も大概人が悪い。
 自分の意地悪い返答にいささか納得しきれていないMr.ラインヘルツの眉間の皺が数本増えてしまった。我が家の甥っ子たちが見たら大泣き間違いない迫力のある顔に自分も身を縮こませる。
 さすがにまずったかと自分の出した返答にものの数分で後悔し始めたところで、Mr.ラインヘルツが口を開く。

「先に答えさせてしまったところ申し訳ないのだが、私は同性との性行為の経験はこれまで一度もない」
「……ですよね」

 よくいえば真面目、悪くいえば堅物。まだ知り合って半日も経っていないものの、抱いた印象はあながち間違いではないだろう。男同士どころか女とも経験があるのか、それを聞くのは野暮なのはもちろん理解している。

「だから、行為に及ぶ前に約束をしてほしい」
「約束?」

 Mr.ラインヘルツの口から約束なんて不釣り合いな単語が出てきて首を傾げる。Mr.ラインヘルツは自身から目を外さず、数秒の沈黙を置いて口を開く。

「もし辛くなったり、無理だと判断したらすぐにいってほしい」
「……ん?」

 一瞬なにをいわれたか理解できなかった。この男の見た目からしてもっと恐ろしい提案がくるのではないかと思っていたものだからいわれた言葉を脳が理解するまで数秒を要した。
 戸惑いを隠せずにいる自分を察してMr.ラインヘルツが言葉を続ける。

「私はこのとおり人よりも体格がいい」
「……そうですね」
「もしかしたら、貴殿を傷つけてしまう可能性も少なくはない。それだけはどうしても避けたいのだ」

 頬に触れる手が下へと降りていき、自分よりも一回り以上も大きい手が自分の手を包みこむ。

「だから貴殿を傷つけぬように最善を尽くす。私は貴殿を―――貴方を絶対に傷つけないと、ここに誓おう」

 ベッドサイドの照明でゆらめくエメラルドグリーンの瞳が自分を映す。まるで体を射抜かんとばかりに見つめる真摯な眼差しが彼の言葉が本心だと物語らせる。体中の血液が沸騰するのではと危惧するくらい、一気に熱が襲いかかってきた。

(な、なんだよこいつっ……たかが、たかがブリーリングだろうがっ)

 たかがブリーリング、そうこれはビジネスだ。
 ただの子種提供するだけ、突っ込んで出して終わり。たったそれだけだ、それがビジネスなのだ。なのに、どうしてこの男はそこまで真面目に向き合おうとするのか全く理解できない。クソ真面目にもほどがある。
 目の前にいる珍獣とどう接したらいいか分からず、そのまままじまじと凝視してしまう。

「Mr.ミョウジ?」
「……あんた、これがブリーリングだって分かってるか?」
「? もちろんだが」

 驚きや戸惑いでいっぱいになっているせいで敬語を使うのも忘れて尋ねてしまう。自分の敬語がはずれたのに気にした様子もないMr.ラインヘルツはきょとんとしていた。なぜいまそれをいうのか、と顔に書いてある。むしろこっちがいいたいくらいだ。
 額に手を当てて大げさに溜息を吐き出す自分に「もしかしてまだ疲れが残っているのでは」「やはり今夜は休んだ方が」と変な勘違いを起こして的外れな気遣いをしてくる。
 違うそうじゃない、自分じゃなくてお前に対してこうなっているんだ。それも言う気にならないぐらいに脱力感に見舞わられていた。

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