獣の恋 | ナノ
 First day

 厄介なことになった。
 いまの心境を表すなら、それしか浮かばない。
 真っ赤な絨毯の上を歩く足取りはとても重い。場所が場所だから尚更気が滅入る。自分の前を歩くボーイの背中を追いかけながらそっとため息を吐き出す。

「こちらが本日お泊まりのお部屋でございます」

 先頭を歩いていたボーイが扉の前で立ち止まる。最上階の一番奥の部屋、それだけでどんな場所かは検討がつく。ついについてしまった、今すぐ回れ右して帰りたい。ただそれだけが頭の中を占めている。だが、浮かぶだけで実行できずにいるのは半分は諦めているのもある。

(だって帰りたくても帰れないしな……1000万払うくらいなら男に掘られるの選んでやる、帰ったら覚悟しとけクソ親父)

 人間金が絡めば簡単に体を差し出せるというのをこの身を持って経験している。でもさすがに子供を作るのは抵抗があるから無理矢理持たされた懐蟲はバックの中に入れたまま。後ろに関しては黙秘する。
 そして心の準備もする間もなくボーイがドアを開けた。気分はまるで絞首台に向かう死刑囚。今更逃げられるはずもないのを承知している。一度深呼吸をし、覚悟を決めて足を踏み入れた。

「……うっわ」

 部屋の中に入った途端、驚きを通り越してどん引きした。
 真っ先に目に入ったのはまるで壁にそのまま埋め込んだかのように端から端まで埋め込まれた窓。実家の何倍も面積がある広大なリビングに庶民の自分から見ても一級品だと分かる家具。天井に目を向けると落ちてきたら簡単に命を奪いそうな豪華なシャンデリアがぶら下がっている。
 テレビでよく見るスイートルームそのままだった。どうせテレビの演出だろうと笑っていた自分をさらに鼻で笑ってやりたくなる。これで全く晴れる気配のない濃霧がなければきっと最高の眺めを拝めれたに違いない。
 それなのに濃霧に覆われた景色を眺める男がいた。赤茶の髪に上質なベストスーツ、そして背筋を伸ばして立つ後ろ姿。斑類ならば、きっと一発で分かる。

 この男は生粋の『重種』だと。

「Mr.ラインヘルツ、お連れの方を連れて参りました」
「ご苦労、君はもう下がってくれたまえ」

 背を向けたまま指示するとボーイは頭を下げて部屋をあとにする。
あ、と呼び止める間もなくドアが閉まる音が無情にも遠くで聞こえた。二人だけ残った部屋には重々しい沈黙に包み込む。
 男は未だ背を向けたままで、どんな顔をしているか検討がつかない。けれど自分よりも一回り大きいその図体のでかさは自分の知っている限り一種類しかいない。

(あのクソ親父、本気で俺を殺す気でいやがる……)

 脳内で子供コールを続ける父親への殺意に燃えていたところ、先に沈黙を破ったのは男からであった。

「突然このような場所に呼び出してしまって申し訳ない」

 その図体のでかさから想像もつかない低く落ち着いた声に少し戸惑った。教科書のような完璧な発音が男の教養のよさを感じさせる。どっかの貴族の末裔だなんて騒いでいた親父のいっていることは本当だったようだ。

「……この部屋も料金に入るんですかね」
「いえ、この部屋はこちらの勝手な独断で決めさせていただいた。なのでこちらが持とう」
「そうですか」

 ならよかった。とはさすがに口にはしなかった。
 情けない話とわかってはいるがこんな馬鹿高い部屋を払わずに済むと知って安堵してしまうのは庶民の性だから仕方ない。

「ここを選んだ理由は?」
「……申し訳ないが」
「OK、それ以上は聞かないでおきます」

 ブリーリングビジネスなんて斑類では手段の一つだが、相手によってはスキャンダルのネタになる。
 それだけ地位が高い男なのか。どうしてそんな相手がどうして自分のブリーリング相手を受け入れたのか全く検討がつかなかった。

(もしかして闇取引でもしたのか、ありえるか何せこの『街』だし……あの親父帰ったら色々追求しないとな)

 軽く目眩を覚えて額に手を当ててため息を吐き出す。こぼしたため息が相手の耳にも入ってしまったらしい。

「長旅でお疲れだろう、何かルームサービスでも」
「いや大丈夫です」
「ならば少し休憩したほうが」
「……その前にまずすることあるでしょう」

 ぴたり、と男が固まる。その反応で自分の失言に気づいて慌てて否定した。

「い、いやそれが一番の目的ですけどっ……恥ずかしい話、俺は貴方のことを全く知らないんです。だから―――」
「……失礼、自己紹介をまだしていなかった」

 ゆっくりと踵を返して男が振り返る。外は濃霧だが部屋は照明がつけられていないためとても暗い。そのせいで男の顔は逆光のせいでわからなかった。
 目を細めて顔を確認する前に男が一歩前に出る。けれど、そのまま止まりもせずにすごい勢いでこっちに向かってきた。
 猪の如く直進してやってくる男に戸惑いを隠せずに後ずさってしまう。だが一歩に後ろに下がっても男の方が数歩も速い。危機感を覚えて下がっていったら無情にも壁に当たってしまう。

「お、おいっ」
「私の名はクラウス・V・ラインヘルツ」

 壁際まで追い込んだ男の声が頭上から聞こえる。視界は全て男の胸囲で遮られていた。種別が違うだけでこうも違うものかと愕然としながら恐る恐る顔を上げる。
 最初に目がいったのは、暗い部屋の中でも輝くエメラルドグリーンの瞳だった。

「これから一週間を貴殿に買われた男だ。以後、お見知り置きを」

 一言で表すながらマフィアのドン。口元から突き出る犬歯が大きな獣を連想させた。
 だが曇りも陰りもない瞳がその見た目とのギャップに動揺を隠せない。エメラレルドグリーンの瞳に自分の姿が映る。不覚にも心臓の脈が一気に早くなった。

(これが『重種』の力ってやつか)

 見つめられただけ、それだけでこうも心をかき乱される。全身から出してくる威圧感に圧倒されてしまい、重なる瞳を外すことができなかった。
 今までここまで『重種』らしい斑類は見たことがない。こんな男と接点を持つ親父への謎がさらに深まる。
 その間にも全身を射るかのように降り注ぐ視線にとうとう耐えきれず視線を外してしまう。

「……ナマオ・ミョウジ、一週間よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いするMr.ミョウジ」

 ぶっきらぼうに答えたのはただの自分への誤魔化しなのは十分に理解していた。
 これから一週間、この男とベッドを共にしなければならない。
 その事実に軽く眩暈を覚えた。


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