獣の恋 | ナノ
 5th days

 朝起きてここまで後悔した日はない。

「……やっちまった」

 俺はいまベッドの上で頭を抱えている。
 最後の記憶は確かソファだったはずだ。記憶がないときにでも移ったのかと考えもしたが、昨日はトイレで起きた記憶もなかった。
 周囲を見渡しても誰もおらず、昨晩ここで大の字になって眠っていた人物の姿もない。自分一人しか、このベッドにいない。

(これあれだよな、また運ばれたよな……それしかないよなぁ)

 まさか二度も運ばれるとは思いもしなかった。これでも成人男性、心中複雑で仕方がない。願わくばお姫様だっこではないことを祈るのみ。
 さて今現在の問題は運んでくれた当の本人はここにはいないということだ。ベッドサイドにもいつものメモがない。こんなことは初めてだ。

(風呂にでも行ったのか、それとも怒って出て行っちまったのか……逃げたの、絶対バレてるだろうな)

 逃げれば疲労困憊なクラウスが寝落ちるのは予想できたはずだ。あのときはそんなことも考えず、逃げねばと本能のままに動いてしまった。シャワーを浴びながら悶々と悩むこと20分弱、決死の覚悟を決めて戦場へ戻った自分を嘲笑うかの如く、大の字で爆睡してるクラウス見たらそりゃあ癇癪起こしたくもなる。そのあと一緒に寝るのも癪でソファで寝たのは大人げなかったと反省してる。

(いやだってあんな強面に言い寄られたら逃げたくもなるって、チビらなかった自分を誉めてやりたいくらいだ)

 自分でいうんもなんだが、正直にいうとあの重種フェロモンからよく逃げられたと自画自賛したい。同時に心のどこかで罪悪感がちくりと刺し続けてくる。矛盾した思いを抱えてる理由なんてとっくに解明だ。
 散々抱きたい抱きたいといっていわれ、最後の最後で怖気づいて逃げ出してしまった。あのあと、クラウスはどう思ったのだろう。待ってるといってはくれていたが、もしかしたら心の内では落胆していたのではないだろうか。
 だからここにいないのかもしれない。さすがに愛想も尽きたのではないだろうか。もう、戻ってこなかったり―――
 パンッと力の限り思いっきり頬を叩いた。じりじりと痛みで頬に熱が上がっていく。おかげで眠気も一気に吹き飛んだ。ついでにしょうもない思考回路もだ。

「……あほらし、俺がここに来たのは1000万をチャラにするためだっつうの」

 あっちがなにを思おうが知ったことではない。今日が五日目なら明後日にはクラウスともおさらばだ。今更なにを思われたところで痛くも痒くもない。

「思い出せ俺、ここに来たのはなんだ? 1000万をチャラにするためだろ、あいつのことはただの種馬にしか思ってない。あと二日我慢すればこんな場所からおさらばだ!」

 声に出して確認したら徐々に冷静さを取り戻していった。目的を再確認してしまえば不必要な感傷もきっぱりと切り捨てられる。痛みが引かない頬を撫でつつ、寝てる間に乱れてしまったバスローブを脱ぐためにベッドから下りようと試みた。
 がちゃり、とドアが開く音がした。誰もいないと思っていた部屋にまさかの第三者の登場に目を丸める。
 フィリップだったらノックと共にでかい声で入ってくる。ノックもでかい声も入ってくる輩は、自分以外に一人しかいない。

「起きていたのか」
「……クラウスおはよう」
「おはようナマオ」

 案の定、出ていったと思っていたクラウスであった。いつもと違うのはウエストコートに身を包んだ紳士はおらず、自分と同じバスローブを纏っている。濡れた髪を拭いていたのだろう、タオルが首にかかっていた。どこからどう見ても風呂上がりだ。

「シャワー、浴びてきたんだな」
「ああ、昨晩は入らずに寝てしまったので入ってきたのだ」
「あ、そう」

 そういえば昨日は服着たまま寝ていたのを思い出す。貴族としてはシャワーを浴びないでいるのは気が引けるのだろうか。こっちは仕事が忙しいと浴びる気も起きず、気づけば廊下で朝を迎えたなんてよくある話だ。清潔面ではクラウスの方が本来あるべき姿勢といえる。
 出て行ったわけではなかったのだとどこか安堵している自分に恥じらいを覚えて素っ気なく返して顔を逸らす。これでは怒ってるように捉えらかねない。それでもいまはクラウスを見れる余裕がなかった。
 
(……だめだ、目に毒過ぎて直視できねぇっ)

 品格を感じさせたベストスーツを脱ぎ捨て、バスローブ一枚という無防備さはあまりにも刺激が強すぎた。
 サイズが合っていないのか少し窮屈そうに身に纏ったバスローブから覗く脂肪0%の胸筋や脚はもちろんのこと、水気を含んで落ち着いた髪やら風呂上がりからくる気の緩みで重種フェロモン駄々漏れなどなど、とにかくいまのクラウスは寝起きの身には心臓に悪すぎる。
 つまり、簡潔にいってしまえばいまのクラウスは『エロい』の一言に尽きる。

(普段あんな堅物なくせにこれは卑怯だろっ、ギャップ狙いすぎにもほどがある……そんなの、ベッドの中だけで十分だっつうのにっ)

 そこまで考えてああそうかと納得する。クラウスがここまで素肌を晒すのは一昨日の情事以来なのだ。いまのクラウスはあまりにもそのときの状況と酷似している。一瞬蘇りかけた記憶を瞬時に打ち消すのは最早お手のものだ。

「ナマオどうかしたのかね」
「あー、うん、なんでもねえ」

 顔を見たら思い出したくないもので思い出しそうになるため極力クラウスを見ないように必死だ。いかに自然を装って見ないようにするか、そんなことよりまずは服を着るのを進めるべきかと色々模索しているとクラウスがこちらに近づく気配を感じた。

「ナマオ、もしや昨晩のことを怒っているのだろか」
「えっ、そ、そんなことねえけど?」
「隠さなくてもいい、昨晩は……君の意見も聞かず行為に運ぼうとした。たとえブリーリングの関係といえど自身の欲望のまま強引に進めようとした挙げ句、君を待つ間に眠ってしまった。依頼主である君の意思を尊重するどころか振り回してしまうなど失礼すぎる態度の数々をどうか謝罪させてほしい」

 自分の前に立ちはだかるや、床に片膝をつくと深々と頭を垂れた。普通に頭を下げればいいのに、座ってる自分に合わせてくれたのだろうか。それがクラウスが誠心誠意で謝罪してくれているのだと伝わる。さながら騎士の如くかしづかれ、こっちはこっちで王様にでもなったかのような気分だ。残念なのはその気分はあまりいいものじゃない。

(『依頼主』、ね……そりゃそうか、頼んだのは俺でなくてもこいつにとっては高額支払ってくれる大事なお客様だもんな)

 さっき自分で確認したはずだ、彼はただのブリーリング相手でしかない。クラウスだって自分のことなど金を払って種を買った相手にしか思っていないのだ。こいつと寝るだけで金がチャラになるなら安い。今だってそう思ってる。お互いさまってやつだ。
 ただ、こうしてクラウスから口にされたのは初めてだった。彼もちゃんと理解してここにいるのだと確認させられただけの話。
 なのに、こうしてクラウスから口に出され、どこか落胆している自分がいた。
 それなのになぜ落胆している自分がいるのだろう。そんなの分かりたくもない。分かってしまったら終わりだと、脳が吐き気を催すほどの警告サインを出し続ける。
 警告サインに従って、落胆をはただの驚きだと思い込んだ。口角を無理矢理上げ、完璧な苦笑を作ってみせた。

「んなの一々気にすんなって、俺だってあんたが寝落ちるの分かってたのにシャワー浴びちまっただろ」
「しかしあれは」
「この前と一緒でお互いさまだってこと、もうこの話は終わり!……ってよく見たらまだ濡れてんじゃねぇか、そんなんじゃ風邪引いちまうぞ」
「いや、体は頑丈な方なのでその心配は」
「そういう自信があるのはいいがそれで痛い目見るのは自分だからな、拭いてやっからここ座れ」

 自分の隣をぽんぽんと叩いて座るのを勧める。少しでも話題を逸らそうと移した行動であったが、なぜかクラウスは驚いた様子で自分をまじまじと見つめた。なにかおかしいことをしたのか、と自分の行動を思い直してはたと気がつく。

(しまった、ついあいつらと同じ扱いしちまったっ)

 あいつらとは甥っ子たちのことだ。実家に帰れば風呂上がりの甥っ子たちの髪を拭く仕事を担っている。それがごく自然にぽろっと出てしまった。習慣とは恐ろしい。
 相手が子供ならまだしも、自分よりも一回りも大きい同性の重種様。子供扱いされていい気分はしないはず。
 ここでまさかの失態に折角作った笑顔も引き吊ってしまう。やっちまった感は否めない。すぐに謝罪して撤回せねば行動に起こす前にベッドに大きく揺れた。

「く、クラウス?」
「ナマオがよければお願いしてもいいだろうか」
 
 自分の隣にどしっと腰を下ろしたかと思えば、ずいっと水滴が滴る頭を差し出す。自分のやりやすさを考慮してんたのか今にもベッドに顔を突っ込む勢いで頭を下げてくる。今度はこっちが驚かされる番だ。

「……クラウス、そんなに頭下げたら首痛めっぞ」
「ならばどうすれば」
「俺が後ろから拭いてやっからあんたは普通にしてればいい」

 ベッドに乗り上げてクラウスの背後に回る。顔を上げたクラウスからタオルを受け取ると頭に被せ、いつものようにわしゃわしゃとかき混ぜるように髪を拭く。クラウスもお願いしたからか黙ってされるがままだ。いつになくリラックスしているご様子。

「お客さん痛くありませんかー?」
「大丈夫だ、とても気持ちがいい」
「ならよかった、これでも家じゃ甥っ子たちが我先にとせがまれるくらいには上手いんだぜ」
「ふむ、こんな気持ちのいい思いをつねにしている君の甥達は贅沢者だ」
「おうおう有り難く思えよー、争奪戦が起きる俺の髪拭きを独占してんだからな」

 なんならチップ弾ませてもらおうか、なんて冗談を口にしたら予想外にも至極真面目な顔で頷かれてしまう。「終わったらギルベルトに小切手を用意させよう」なんて本気なのか冗談なのか分からないジョークに焦って止めた。
 
(ホントこいつといると調子狂うなー……)

 つい数分前に線引きを決めた直後にこれだ。距離を置こうと一歩引いてもこっちの考えなんてお構いなしに踏み込んできては好き勝手振り回す。先に線を引いたくせにだ。おかしな話だがここまで好きにされててもクラウスの真意は一向に掴めずにいる。これは昨日話題に上がった彼の副官もさぞや苦労しているに違いない。
 もしかしたら会ってみたら話が合うかもしれないと話でしか知らない副官に勝手な親近感を抱いていたところでクラウスから話題を切り出してきた。

「ナマオ」
「んー」
「君がよければの話なのだが」

 きた。ついにきたよ。わずかに指先が強ばったのを気づかれぬようさりげなく乱暴にタオルを掻く。
 避けていたわけでは決してない。恥ずかしい話、昨日のやりとり思い出してしまうと変に意識してしまうのだ。
 今日一日休みだと昨晩クラウスが話していたのを思い出す。ならば、やることなんて一つしかないではないか。昨日はできなかったのだから朝からおっ始めるのではと疑っていたがまさか現実になるとは。
 昨日の晩にシャワーを浴びながら散々悩みに悩んで腹は括ってある。今更逃げはしない。昨日は今日を考慮して何も食べずに寝たので腹の中は空っぽにしてある。準備は万端だ。
 ここは軽いノリで「いいぜ、昨日はお預けくらわちまったからいつでもどうぞ」と余裕ありげに返すところだろ。OK、ちゃんと分かってるさ。いつも振り回されるだけと思うなよ。
 喧嘩腰になりながらも心臓はバクバクいっている。これはただの武者震い、そう自分に言い聞かせてクラウスの言葉を待つ。
 だが、俺は忘れていた。こいつがつねに自分の予想を大きく裏切る男だと。

「よければ外に出かけて食事でもどうだろう」
「……」
「ナマオ?」
「……どうしてこうも自分の思う逆方向に行くんだあんたは」

 これでもかと力んでいた体から一気に力が抜けていく。あまりの脱力感に軽い目眩さえ覚える始末だ。
 盛大なため息と共にクラウスの頭に顎を乗せる。頭に重みを感じて焦るクラウスの反応は面白いがいまはそんなのどうでもいい。
 二人ともバスローブで、しかもベッドルームにいて、こうして髪の毛だって拭いている。ヤることなんて一つしかない。なのになんでそこでお出かけしようだ? 昨日のあの有無もいわせない迫力で言い寄ってきた重種様はどこいった。

「ナマオどうかしたのかね、何か気に障るようなことをいってしまっただろうか」
「いったっちゃいったけど、まず先に聞かせてくれ。なんでいきなりそんなことを言い出したんだ?」
「それは、」

 ウィンドウを鏡代わりにクラウスを様子見る。ばっちりとウィンドウ越しで目が合うがすぐさま外されてしまう。なんて分かりやすい態度だ。

「君が昨晩話をしながらお互いの仲を深めるべきだといっていたから実践しようと」
「いったな、でもそれ却下したのそっちだろ」
「うっ……そ、そうなのだが起きたあとに思い直して」

 下を向いているためどんな表情を浮かべているかは分からない。口をもごもごさせながら両手の指先を合わせて親指だけをくるくる回す。じっと見つめてみても汗を飛ばすだけ。
 いかにも嘘をついていますが体から表れている。ここまで渋る訳なんてとっくに把握済みだ。

「……クラウス、まさか昨日俺が逃げたこと引きずってるのか」

 尋ねた直後に勢いよく飛び上がったのが証拠だった。誤算は乗せてた顎に直撃したぐらいか。舌を噛まなかったのは幸いするもあまりの痛さに声も出ずにベッドで転げ回る。痛み分けなのはクラウスだって同じだというのに本人には全くダメージをくらっていない様子でおろおろしている。石頭かよ。

「だ、大丈夫かね?」
「だい、じょうぶ、じゃねぇよっ……どんだけ動揺してんだっ」
「すまない……」

 結局顎の痛みが治まるまで数分の時間を要した。それまでの間、クラウスは氷を持ってこようと立ち上がりかけたのを止めてその場に待機させる。一人なにも出来ずに戸惑っているクラウスにざまあみろなんて吐き捨てて痛みが引くまで耐えた。
 
「た、確かにあのとき疲れたあんたに迫られてパニック起こしちまったけど、あれは準備諸々あって決してクラウスが怖くて逃げたわけじゃ……いや少し怖かったのは事実だが」
「……だからこそ、私は私自身を許せない」

 クラウスは再びベッドに腰をかける。自分に背を向けたまま、両肘を膝に置くように手を組む。まるで今から懺悔でも始めようとせんばかりの悲壮感を醸し出していた。

「君を傷つけないと約束した。なのに、自身の欲望を優先して君に行為を強要しようとしたのだ」
「……俺の記憶が正しければちゃんと約束守ってた気がするけどな」

 あまりにしょげてるから一応擁護はしてみる。口にはしないが強要ではなくノーを認めない行為を進め方なのは確かだ。それでも自分の記憶の中では傷をつけられた覚えはない。腰の痛みはヤった代償だから目を瞑ってやる。
 気にするなと手を伸ばして背中を軽く叩く。残念ながら自分の擁護はクラウスには慰めにならなかったようで首を横に振って大きい背中をさらに縮込ませる。

「あのとき君がシャワーを浴びに行かなければ私は欲望に身を任せてナマオを抱き潰してしまっていたかもしれない、それこそナマオとの約束を破っていただろう。恥ずかしい話、昨晩君との情事が頭から離れられず、職場でも部下に多大な迷惑をかけてしまった」
「……もしかして今日一日フリーっていうのは」
「そんな私に副官が見かねて休暇をくれたのだ、ずっと働きづめだったからと勧めてくれたのを甘んじてしまった。私以上に仕事に追われている彼に気を使わせてしまったことは組織の長としてあるまじき行為だったといまは反省している」
「そ、そうかー……」

 副官が見かねるほど一体なにをしたのか、聞いたらこっちが恥ずかしい思いをするのは確実なのであえて触れないでおく。それよりも気になったのはクラウスの役職だ。重種だからそれなりに偉い立場だとは思っていたがまさか組織の長だったとは。自分と同い年か少し上のはず、そんな若さでトップなんてどんだけ優秀なのか。親父の斑類ネットワークに本格的に恐怖を覚え始める。
 ここで一体どんな仕事に就いているのか聞くべきか悩んだが、いまのクラウスの状態で聞くのは野暮だと判断して言葉をかける。

「あー……つまり要約すっと仕事とプライベートを区別できなかった挙げ句、欲望のままに突っ走った自分が許せないってことでOK?」
「……全くもってそのとおりだ、普段の私では考えられない愚考に走ってしまった」

 確認のつもりが追い打ちをかけてしまったようだ。背中に纏った周囲の負のオーラがさらに増していっている。これが正面からだったらさぞや怖い顔をしているのだろう。ベッドでお漏らしなんて情事でだってしたくない。

(うーん、ここまで真面目だと見ていて難儀だな……) 

 真面目というか、自分に厳しいというべきか。罪深き自分を許せないと背中で語るクラウスは一歩間違えれば聖職者ではないかと疑うレベル。
 とことんブリーリングに不向きな男だ。親父もなぜこんな男を相手に選んでしまったのだろう。おかげでこっちは振り回されっぱなしである。
 なのになぜだろう、ここまで振り回されまくってるというのに―――愛想が尽きていない自分がいるからお笑いものだ。

「……仕方ねぇなー」
「ナマオ……?」

 ここまでいわれてしまったら、最早放っておけもしない。早々に白旗を振ってクラウスに近づく。ベッドが波打ったことで自分が近づくのを察したクラウスが振り向く前にすかさず頭を掴んだ。

「っ!?」
「いっておくが俺はあんたがどんな仕事してるか知らないし、普段のあんたがどんなもんかも分からない」

 突然頭を掴まれて固まってしまうクラウスにお構いなしで髪をかき混ぜる。今回はタオルで拭く目的ではない。どっちかというと動物とじゃれあう気分だ。

「だけどさ、失礼な話しちまうと俺にとっちゃそれはどうでもいい話なんだわ」
「それは私がブリーリング相手だからだろうか」
「御名答、俺たちがここにいるのはヤる……交尾するためだけ、そうだろ?」
「……ああ」
「ならそれでいいじゃねぇか、ここじゃあ肩書きなんて関係ない。その副官様の優しさに甘えて今日一日はただのクラウス・V・ラインヘルツのまま俺とセックスしてればいいのさ」

 だろ?と同意を求めたはずなのにクラウスの石化が悪化してしまう。どうやら言葉を失っている模様。無理もない、散々逃げてた相手が突然セックスを話題に上げたのだからそりゃあ驚くのも仕方ないといえる。
 とりあえず相手の出方を待とうと黙って様子を見守る。それから数秒ほど置いてクラウスは声を出した。

「……話をしながらお互いを仲を深めるべきだといっていた記憶があるのだが」
「いったな、でもセックスもコミュニケーションの一種だと思わないか?」
「そう、だろうか」
「そうそう、なんなら話しながらヤるのも手だぜ?」
「しかし」
「あーもー……分かった、一回しかいわないからよく聞けよっ」

 煮えきれない態度に痺れを切らし頭から手を離す。離したと同時に振り返ったクラウスは黙り込んだまま首を傾げてる。言葉の意図を全く理解してないのだ。この朴念仁と心中で悪態をつく。
 もうここまで来たらやってやろうじゃないか、と半ば自棄になりながらバスローブの紐を解く。もちろん下着は着用済み。逆をいえば下着しか穿いていない。ばさりとバスローブを投げてベッドの下に落とす。唐突にストリップショーが始まってクラウスは息を呑む。突き刺さる視線を一心に浴び、湧き上がる羞恥心を押し殺して笑って見せる。

「来いよクラウス、お預けさせてた分好きなだけ触っていいぜ」

 瞬き一つでクラウスの目の色が変わった。
 穏やかだった瞳は一瞬のうちに瞳孔が開き切り、エメラルドグリーンの濃度が増した。真っ赤に燃える赤毛が鬣を表すようにうねりを上げる。
 生唾を飲み込んで喉仏が上下に動く。半開きの唇から鋭利な牙と分厚い舌を覗かせる。
 気弱な紳士の皮を剥ぎ、獰猛な獣が姿を現す。
 全てをひれ伏さんとする姿は百獣の王を彷彿とさせる貫禄と威圧があった。
 ギシリとベッドが軋む音と共にクラウスがベッドに乗り上げる。クラウスから放たれるフェロモンを一心に浴びてしまえば身動きも取れずクラウスが近づくのを待つのみ。それでも斑類の本能なのか喰われるという錯覚によって身体が勝手に一歩引きかける。それをクラウスが許すはずがない。

「撤回をする気は」
「はっ、んなの出来たらとっくにやってるっ……んぅっ」

 指先で軽く押されただけで声が上がる。漏れてしまう声を抑えようと手の甲で口を隠すが、窘めるように手を取られてしまい、あっけなく拘束されてしまう。

「つまり、私に孕ませられる意志があると受け取っても?」
「ぁっ……」

 クラウスの手が自分に伸びる。分厚くも固く、そして豆だらけの手が自分の臍の真下―――女でいえば子宮を位置する場所に掌を推しつける。
 体中の血流が急速に循環していく。眩暈を覚えるほどの熱に当てられる中、自分の思い違いに気付いて愕然とする。
 懐蟲を使っていないからただのセックスと受け取っていた。だがクラウスは違う。
 クラウスにとっては今から行うのは繁殖行為。そう、自分を身籠らせるために彼はこれから自分を抱く。
 どこか他人事でいた意識がようやく事実を受け止める。その気にさせようと躍起になっていた自分を呪った。

「ナマオ」

 誘われるように軽く引っ張られ、胡座をかいたクラウスの上に膝立ちで乗り上げる。
 ずっと見下ろしていた雄を見下ろす。視界が逆転した状況がとても新鮮であり、いまこのときだけは目の前の最上級な獣を独り占めできる優越感が胸中を支配する。

「ナマオ」

 芸術品と表現したくなる完璧な体、情欲がはらむ艶やかな重低音の声、そして雄弁すぎる熱を帯びた瞳。
 こんな上等な雄に求められて拒絶なんて出来るはずがない。
 瞳から逸らすなんて到底無理な話で、すぐさま両手を上げて降伏した。

「……降参だ、俺を抱いてくれクラウス」

 負けを認めるや、クラウスの目が細まる。昨晩自分に言い寄った瞳と全く同じのそれに体温がさらに高まっていくのを感じた。
 これからこの雄に抱かれる、頭も髪もすべてこの重種の雄に食べられてしまう。
 興奮と恐怖が同時に襲われながらも、それ以上に勝る優越感はもう否定のしようがない。
 後頭部を手で固定されて引き寄せられる。何をされるのかは明白だ。残念なのは優しすぎる緩やかさなところだろう。こんなときに理性的になってどうすんだと呆れながら牙を生やした唇に噛みついた。

 認める、認めてやる。もう誤魔化しのしようもない。
 
(こんな最上級の獣に惚れない斑類なんて、いるはずがない)

 ただ、惚れるにはあまりに上級すぎる。
 あまりにも単純な理由は胸の内に蓋をするには十分だった。

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テーマ「人外ファンタジー」
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