■ 恋する乙女に塩ラーメン

 大きな事件も解決し、久しぶりに自宅に帰れると軽い足取りで職場を出た矢先、まるで狙ったかの如く鳴り響く着信音。
 嫌な予感して無視を決め込んだ。だが、歩いても歩いてもいっこうに止まる気配がない。ずっと鳴り続ける着信音にそのうち周囲からの無言の圧力に耐えかね、結局折れて電話に出た。

「……もしもし」
『ダニロウちゃ〜〜〜ん!助けて〜〜〜〜!』

 出た途端に鼓膜をダイレクトに突き破る。聞き慣れ過ぎた声に何も言えず額に手を当てる。
 これで貴重な貴重な自由が呆気なくなくなってしまった。


「おいなまこいんだろ、勝手に入んぞ」

 鍵もかかっていない部屋に入ってみれば道を辿るかのように転々と酒瓶やら空き缶が転がっていた。部屋の奥で地を這うようなうめき声が聞こえ、こりゃあ重傷だと気がさらに重くなる。かといっていま回れ右なんてしてみろ、ホラー映画並の恐怖が自分に襲いかかってくるのは目に見えていた。早々に見切りをつけて瓶や缶を踏まないように部屋の中に入る。

「呼んでおいて出迎えもなしか」

 リビングルームには廊下よりもさらに倍の瓶と空き缶がいたるところに落ちていた。その真ん中にあるテーブルにうつ伏せになっている熊、もとい自分を呼んだ張本人がいた。何か呪詛を吐いているが声が低過ぎて聞きとれやしない。

「なまこ、約束通りダニエル・ロウ様が来てやったぞ」

 何度か呼びかけてもうめき声、もといすすり泣きしか返ってこない。さすがにイラッときて最後の手段である魔法の呪文を口にした。

「いい加減にしねぇとしょっ引くぞなまお・みょうじ」
「本名で呼ばないでっていってんでしょ!いまのあたしはなまこだって何度もいってるじゃない!!」

 ダニロウちゃんのイジワル!と勢いよく顔を上げたら化け物が現れた。詳細をいうと泣きすぎて化粧が崩れた化け物だ。結局化け物には変わりない。

「うわ異界人」
「聞こえてるわよ!そうやって人の心抉っていくのやめてくれる!?」
「悪かったって、とりあえずシャワー浴びてその崩れた化粧落としてこい」
「……おなかすいた」
「インスタントラーメン買ってきたからそれで我慢しろや」

 途中で店に寄って買ってきた袋を見せると不満げにしかめたので軽く小突く。痛いひどい悪魔なんて悪態をつくも、やっと動く気になったようでふらふらになりながらバスルームへと向かった。その後ろ姿を見送ってからそこら中に転がっている空き瓶たちを片づけ始める。
 適当にやりながらも缶瓶を片づけただでも床が綺麗になった。一体こんなになるまでどれだけ飲んだのか、考えたらきりがないのでそこで中断した。
 なまおがこんな暴飲をした原因なんて分かり切っている。なら無視すればいい話なのだがするとするであとが面倒臭い。さすがに署まで来られるのは困る。以前それで変な噂を立てられたのは今でも許せない。
 適当に掃除を済ませ、今度は食事に取りかかる。インスタントラーメンだからすぐにできる。沸騰するのを待ちながら、遠くのシャワーが流れる音に耳を傾ける。時折嗚咽が聞こえた。よく毎度毎度泣けるなと慣れ過ぎて最早ただのBGMと化している。
 そうこうしてる間に沸騰したのですぐに麺を投入。自分の気分で今日は塩味だ、これが中々いける。これを作ったジャパニーズは偉大だ。
 麺が解けりゃあとはすぐだ。スープの素をいれてかき混ぜていたらタイミングを見計らって背後から気配を感じる。
 振り返ると女が見たらぎゃーぎゃー騒ぎそうな男前が立っていた。信じられないが、さっきの化け物もといなまおである。化粧一つでこんなに変わるのだから女?という生き物は恐ろしい。だが目の周りが真っ赤ち腫れ上がってせいでそれも台無しになってしまっている。

「ラーメン出来たぞ、さっさと食」

 器に移したラーメンをテーブルに運ばせようと命令しようとしたところで突然視界が暗くなる。強い力で締め付けられ、痛みで顔が引き吊る。そんなのお構いなしに自分をガッチリホールドしたなまおが大声を上げてわんわん泣き出す。

「ダニロウちゃん〜〜〜!あたし、あたしまた振られちゃった〜〜〜!!」
「んなこと知ってるわ!俺は腹減ったんだからさっさと食わせろ!泣くか食べるかどっちかにしやがれ!!」
「食べる〜〜〜!でもなんでミソじゃないの〜〜〜!」
「俺が食いたかったんだよ!我慢して食え!」

 * * *

「今度こそあたしの王子様と思ってたのっ……なによ結婚って!女なんてもう懲り懲りなんていったのどいつよ!!」
「だからそいつ止めとけっていっただろ、いつものパターンじゃねぇか」
「だって!!あたしの理想のガチムチだったんだもん!!」
「もうあんた見た目で探すのやめろ」
「それができたら苦労しないわ!!」

 ハシをミシミシとしなるほど握りしめながら延々と話し続ける。よくまあ口が回るもんだと右から左に受け流してラーメンを啜る。やはり塩が一番美味い。
 適当に相づちを打ってラーメンを食してるがなまおは一切手をつけず暑く語っている。伸びたラーメンほどまずいものはないので悪いと全く思わず話に割って入った。

「それよりなまお早く食えよ、麺伸びるぞ」
「ううっ、分かってるわよ……あと本名で呼ばないでよバカっ」

 涙目でキッと睨みつけられても凶悪犯と対峙してるときと比べれば怖くもなんともない。シッシッと適当にあしらうと幼稚な罵りいくつか吐き捨てたのを最後にやっとラーメンに手を出した。
 ずずっとなまおが鼻水を啜る音とラーメンを啜る音だけが部屋に響く。ちらりと盗み見れば鼻水が少し垂れて来ていても気にせず黙々とラーメンを食べ続けている。他人がやれば滑稽な姿でも顔がいいってだけで免罪符だ。非常に腹が立つ。

「……あたし、ただ好きな人と幸せになりたいだけなの」

 黙ってラーメンを食べていたなまおが唐突に話題を切りだす。また始まった、と億劫になるものの、そのまま好きに話させた。

「いいじゃない、結婚は無理でも好きになった相手と幸せに暮らしてく。なんて、夢見たっていいじゃない。体格のいいオカマでも、心は女だもん……なのに、」

 不意に、ハシを持っていた手が止まる。

「どうしてこうも、上手くいかないのかしら。ただ、人を好きになってるだけなのに」

 じっとラーメンのスープを見つめる瞳はここではないどこかを見ている。途方にくれた表情を眺めながら、無性に煙草が吸いたい衝動に駆られた。
 こいつにとって、その切なる願いというものはこのヘルサレムズ・ロットで得るには難しい。いつ死んでもおかしくない、そんな場所でなまおは馬鹿の一つ憶えみたいにその願いを叶えるために日々奔走してる。それこそ何度痛い目を合ってもだ。
 救われないバカだと心底思う。これで今まで死なないでこれているのは、こいつの体型がライブラのリーダー並の体格と腕力の持ち主だからだ。なにせ片手で生搾りリンゴジュースを作れるくらい。

「……あんたの場合、そのスッピン晒せばもう少しモテんだろ」
「知ってる!だけど近づいてくるのは女とネコだけ!!あたしは!!バリネコなの!!いつか来てくれるあたしと同等もしくはそれ以上のガチムチ王子様に抱かれたいの!!」
「いい加減現実見たらどうだ四十路」
「まだ三十代だっていってんでしょ!!ダニロウちゃん慰める気ないでしょ!?」
「甘えんな、人の貴重な時間を奪っておいて慰めてもらえると思ったら大間違いなんだよ」

 ハッと鼻で笑い飛ばしてやればキィッ!なんて耳障りな声を出して親指の爪を噛む。いつものマシンガントークが飛んできたがが全部無視して余ったスープを飲み干すために器に口をつける。

「まあ、あれだあれ。あんた化粧した見た目モンスターだが」
「そうやってどこまでも傷塗り込むのやめてくれないかしら、あんたの頭を生搾りするわよ」
「聞けって、それを抜きにすれば性格と料理は悪くない。そのうち、その見た目関係なく見てくれる物好きが死ぬ前には現れるさ」
「……もし見つからなかったら?」
「ここはヘルサレムズ・ロットだぜ、何が起こるかわかりゃあしない」

 器が全て空になったのを確認し、テーブルに置いて口元を上げて笑って見せる。

「なまおがいい女なのは、この俺が保証してやる」
「〜〜〜〜!!もう、もうっ!ダニロウちゃんったら!本名で呼んだけど許しちゃう!!これでガチムチだったら一発で落ちてたのに〜〜〜!!」
「それ聞いて安心したわ」
「ほらね!そうやって上げて落とすんだから……ふふっ、でもありがとう、おかげで元気になったわ」

 ありがとね、なんて言葉と同時にあざとさを狙ってるつもりのウインクかまされて思いっきり嫌な顔で返す。たとえ男前でもガチムチのおっさんにやられて気分はいいものじゃない。
 だが、それにもめげずにいつのまにか食べ終えた空の器を持って立ち上がる。

「さってとラーメン作ってくれたお礼にとっておきのシャンパン持ってくるわ、今夜はダニロウちゃんに最後まで付き合ってもらうわよ〜」
「うげ、俺明日も仕事あんだぞ」
「いいじゃない、明日は午後からあって部下ちゃんたちから聞いてんだからね!」
「おい誰だリークしたの、明日締める」
「教えてあげませーん」

 さっきの沈んだ空気など嘘のように消え去り、軽やかな足取りでキッチンへと消えていく。まるで嵐が過ぎ去ったような脱力感に襲われ、
 どうせ少しすればまた好きな奴が出来たと騒いで勝手に失恋して自分を呼び出す。出会ってしまったが最後、最悪のルーティーンは未だなくならない。
 聞く耳を立てれば啜り泣きの声はなくなり、代わりに甘ったるいバラードの鼻歌だけが聞こえてくる。歌に合う甘いテノールボイスに耳を澄ましながら、深い溜息と共にテーブルに項垂れる。

「……顔は、好みなんだよな」

 あれでネコでなければ最高なのに。
 口から零れ落ちた声は笑いたくなるほど虚しさに満ち溢れていた。

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