■ 君の声

思い出すのはいつも声だった。

『みょうじっていつも本読んでるよな』

頭上から声がして思わず顔を上げる。上げた際に話しかけてきた相手と目が合って一瞬息が詰まる。教室の片隅で一人本を読む相手に話しかける相手なんて数少ない。突然話しかけられた動揺を面に出さないように冷静を装いながら言葉を返す。

『……好き、だから』
『うん知ってる、いつも読んでるし』

台詞だけだと嫌味に聞こえる。が、目の前の相手の人の良さそうな笑顔がそう聞こえさせない。まさに人徳といえるだろう。
なぜ自分に話しかけたのか分からず、真意を探ろうと頭を回転させている間に相手が言葉を続ける。

『俺あんまり読まないからみょうじとかすごいなって思って』
『そんな、すごくないよ』

言葉の通り、すごいなんてもんじゃない。本を読むのはただの趣味、というのを名目にして本当はクラスに話せる友人がいない時間潰しの手段に使っているだけだ。
自虐を込めて答えたものの、相手はどう受け取ったのかそんなことないと否定する。

『あんまり読む時間とか取れないけど、よかったら読みやすそうな本教えてくれないかな』

約束な、と浮かべた笑顔があまりにもまぶしくて、不覚にも見惚れてしまった。



「―――先生、みょうじ先生聞いてますか?」
「えっ、あ、はいっ」

不意に呼ばれて呆けた意識が一気に引き戻される。何度も呼ばれてるのにすぐさま気づき、慌てて返事をすると目の前を歩いていた先生が呆れた様子でこちらを見ていた。まずい、と思ったときにはすでに遅かった。

「その様子じゃ話聞いていなかったようですね」
「す、すみませんっ」
「久しぶりの母校だからってぼけっとしてはいけませんからね、みょうじ先生はもう生徒ではなく先生になるんですから」
「はぁ……」

始まった説教にうなだれながら渋々と聞き入れる。わざわざ時間を割いて学校案内をしてもらっているのに話を聞いていなかった自分が悪いのだから仕方がない。かといって、教師としての自覚とか、生徒のに見本になれるようとかなんていわれたところでこの学校の緩さを思い出したらつい右から左へ流れていってしまう。

(だいたい先生といっても俺は図書室の司書なんだけど……)

趣味が高じてという言葉の通り、本が好きだからという理由で司書として図書館に勤務していた。ついでに取った司書教員の資格でまさかこうして母校の司書教員として働くことになるなんて誰が思っただろう。他でもなく自分が一番驚いている。
先生の話を半分耳を傾けながら窓に目をやる。ちょうど一階の渡り廊下を複数の生徒が歩いていた。
いまいるのが二階なので会話が聞こえない。メガネの男子が金髪の子と茶髪の子を追いかけていた。多分何かされたのかもしれない。その後ろで友人二人は話をしながら歩いていた。
はしゃいで走り回る姿に若さを感じてしまうあたり、自分も年といえるのかもしれない。高校時代ああやってはしゃぐ同級生を見かけていたのを思い出して懐かしい気分になった。
目を細めて眺めていると先生が話題を変えたことで意識が再びそちらに戻る。

「そういえば、みょうじ先生が卒業したのは十年前でしたっけ?」
「え、あ、はいそうですけど」
「あら、それなら東先生と同級生になりますね」

アズマ。
その名前を耳にした瞬間、心臓が大きく脈を打った。

「アズマ、ですか……?」
「あら、違いましたか?」
「あ、いえ……」
「東先生も十年前までここの生徒だったんですよ、もしかしたら知ってると思ったんですが」

やっぱりクラスが違うと覚えられないわよね、と話題がすぐに変わり、今度はここの行事について語り出す。適当に相づちを打ってはみるも、いまの自分の耳には先生の話が全く入らなかった。
アズマ、十年前の卒業生、この二つだけが頭の中でぐるぐる回る。自分の中でアズマという人物は一人しかいない。けれど、そんな偶然があるはずがない。

『あんまり読む時間とか取れないけど、よかったら読みやすそうな本教えてくれないかな』

思い出すのはあの穏やかで落ちついた声。この学校に訪れてからずっと耳から離れない。
もう十年も前の話だ。卒業してからも一回も会っていない。当たり前だ、クラスで数度話した程度のただのクラスメイトなのだから。
とっくの昔にあっちも忘れているだろうし、自分にとってももう思い出となっている。
なのに、名前を聞いただけで胸をざわつかせる。未だに思い出してしまう自身の引きずり具合に自嘲の笑みを浮かべる。

(……もう十年も前のことなのに、自分も大概だな)

自身に対して嘲笑を浮かべる。そのとき、不意に前を歩いていた先生が足を止めた。

「あら、ちょうどいいところに」
「え?」

尋ねる前に先生が手を上げて前方にいる相手に声をかける。

「東先生ー」

心臓の脈が一瞬で速度を増した。
アズマ、と確かにいま先生はいった気がする。自分の耳が悪くなったのかと疑ってしまう。
先生が呼びかけた相手はすぐに気付き、こちらに向かってくる。
一歩一歩相手が近づくのに連動するかのように心臓が脈を打った。

「どうしたんですか」

『みょうじっていつも本読んでるよな』

記憶の中の声と目の前の相手の声がリンクする。東だ、本物の東だ。
目の前に現れた相手は、この学校にいた頃よりもずっと大人になっていた。あの頃かけてなかった眼鏡が月日を感じる。だが、自分の記憶よりもあまり変わっていなくて少し安心した。

「東先生紹介するわね、今日赴任してきたみょうじなまお先生よ」
「あ、その……」
「みょうじ?」

一瞬反応が遅れて挨拶をしようとしたら、東が目を丸めて凝視する。

「もしかして、みょうじ?」
「えっ」
「あらご存知だったの?」
「ええ、クラスメートだったんです」
「あらそうなの、みょうじ先生ったら全くいってくれなかったから」

早くいってくれれば、とこちらに視線を向けてくる先生に咄嗟に謝る。まさか本人だとは思わなかったのだ。
それよりも、まさか東が自分を憶えていたという事実に戸惑いを隠せなかった。

「久しぶり、元気だった?」
「あ、ああ……憶えててくれてたんだな」
「憶えてるよ、同じクラスだったんだから忘れるはずないって」
「っ」

東が自分を憶えててくれた。その事実に喜びを隠せない自分が憎い。

「そういえばみょうじって本貸してほしいっていって結局貸してもらえなかったっけ」
「あっ……」
「あんまり読む時間とか取れないけど、よかったら今度こそ俺に読みやすそうな本教えてよ」

記憶と変わらない声と、あの頃何度も見て来た笑顔を浮かべて自分に手を差し出す。

「これからよろしくなみょうじ」

これはやばい。すぐに直感した。全身に行きわたる熱が証拠だった。
なにが思い出に出来たか。さっきまで思っていた自分を殴りたくなる。

もう一度声を聞いただけで、また恋に落ちてしまった自分の現金さを酷く呪った。



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