企画小説 | ナノ


カウンターキッチンの向こう側でせわしなく動いているナマエの後ろ姿を見ながら、オレは幸せを噛み締めていた。

カレンダーの今日の日付けにはナマエが書いた下手なオレの似顔絵。
カラフルなペンで書かれた「ハッピーバースディ」の文字。
たくさん作られたナマエだけが知っているオレの好物。
そして料理の仕上げに一生懸命取り組んでいるナマエの姿。

彼女が向こうを向いて盛り付けをしている間にこっそりと料理に右手を伸ばしたけど、あと1cmで到達するかというところで彼女が振り向いたから、オレはなんでもないフリをして手を引っ込めた。
幸いナマエはこっちを見ていなくて、こっそりつまみ食いをしようとしたオレに気づいている様子はない。

「出来上がりー!張り切っていっぱい作っちゃった」

ナマエは二人がけのダイニングテーブルに所狭しと料理を運んでいく。
完璧にテーブルコーディネートされた様子を見て、頑張ったなぁと自然と頬が緩むのを感じた。
全ての準備が整った後ナマエは赤ワインを二つのグラスに注ぐと、嬉しそうにそれを空中に掲げた。

「シャル、お誕生日おめでとう!」

そして一口ワインを飲み、改めて彼女は「おめでとう」と呟く。
ナマエはグラスをテーブルに置いて、頬杖をついてふうっと息を吐き出した。
出来立ての温かい料理から上がる湯気越しに見える彼女の顔が少しぼやけたように見える。

「流星街にいた頃はこんなに美味しいワインが飲める日が来るなんて思わなかったね」

ナマエはそう言うとポツリポツリと二人の思い出話を語っていった。

初めて出会ったあの日の事覚えてる?シャルってば人の顔見るなりいきなり笑い出すんだもん。いくら私の顔が泥だらけだったからって酷いよね。あのこと私ずっと覚えてるんだから。一生忘れないでいるからね。雨の日は家が雨漏りしちゃって大変だったね。食器拾ってきては雨漏り用に床に置いてたっけ。そのうち床が出てる面積の方が狭くなっちゃって歩くたびにぶつかってたね。雨の音が食器にぶつかって音楽みたいに聞こえるのがうるさかったけど私結構あの音好きだったんだ。雪が降った日は二人で寄り添って毛布に包まって寝たよね。いつからだったかなぁ、何歳からだったっけ。それが何故か妙に照れくさくなっちゃったの。小さい頃はお風呂だって一緒に入ったのに、大きくなったら手が触れ合うだけでお互い妙にドキドキしちゃったの。今思うとおかしいね、あれが青春ってやつなのかなぁ。クロロが蜘蛛を結成するって言った日、私は弱かったからメンバーにはなれなかったけど一緒に連れて行ってくれて嬉しかったよ。私は何の役にも立たないけどそれでも一緒にいてくれてありがとう。好きよ、シャル。ねえ、大好き。ずっと好きだからね。そういえば初めてウボォーとフランクリンに会った時はこんなに大きな体の人がいるのってびっくりしたっけ。あの二人子供のくせに大人より大きいんだもん。笑っちゃうよね。何よりおかしいのがシャルが一生懸命私を守ろうとして向かっていって返り討ちにあっちゃったこと。あの二人は別に何かしようとしてたわけじゃないのに。シャルってば頭いいのに時々全然冷静じゃなくなるんだもん。ハラハラするよ。でも、私としてはそれが少し嬉しかったりするんだけどね。そういえばクロロはいつも冷静だよね。私クロロが慌ててるところなんて見たことないよ。やっぱりあの人も恋人の前だと変わったりするのかなぁ、想像つかないね。そうそう、マチ達にもしばらく会ってないの、今度連絡してみようかなぁ。女子会ってやつ。今度みんなで集まりたいなぁ、久しぶりに。

ナマエはとりとめのない話をずっとしていた。
彼女の話は過去から現在に順を追ってきたかと思えば、急に過去に戻り、そうかと思えば未来の話になったりした。
たまにオレが口を挟んでもお構いなしでひたすら一人で話し続けるから、途中からオレは時々相槌を打つくらいで彼女の話を静かに聞いていた。
息継ぎをいつしているのか疑問に思うほど、言葉は後から後から彼女の口から生まれては消えていく。

ナマエは一杯目のワインを飲み干し、すぐに右手でワインボトルを掴むとあっという間にグラスを赤い液体で満たす。
いつも「女の子が手酌なんて良くないよ」って言っているオレの言葉なんてまるで無視だ。
そしてすぐにグラスを傾けて、喉を上下させてワインを飲む。
半分ほどワインをグラスに残してナマエは再び口を開いた。

ねえ、最近仕事で大きなプロジェクト任せてもらえそうなの。3年働いててこんなの初めて。流星街出身の私が今ではキャリアウーマンだもん、不思議だよね。シャルが戸籍用意してくれたおかげ。全然疑われてる感じしないよ。仕事は大変だけどやり甲斐あるし、本当に楽しいの。明日は有給取っちゃった。だから金土日ってお休み、三連休!だからね、今日はいっぱい飲んで酔いつぶれちゃっても大丈夫だよ。

ナマエの手がグラスに伸びて、残っていた赤い液体もあっという間に彼女の体内に取り込まれていった。
そして再び彼女自身の手によってグラスにワインが満たされる。すべて元通り。
明日休みだとしても、二日酔いになったナマエを介抱したり頭が痛いと不機嫌に八つ当たりされる身にもなって欲しいな。
そんなオレの心中を知らないナマエは相変わらず話を続けていた。
今度は流星街を出た直後、蜘蛛結成当初の思い出話だ。

もしかして彼女の口はワインを飲むか、話すかしか機能しなくなってしまったのかもしれない。
その証拠にとっくに冷めた料理にナマエは手をつけようとしない。
作った本人より先に食べるのもなんとなく気が引けるし、特別空腹を感じているわけでもなかったからオレも料理は口にしていなくて、テーブルの上だけ時間が止まっているみたいだ。
唯一ワイングラスだけが忙しそうに液体を満たしては空になるという事を繰り返している。

ナマエは相変わらず話し続けていた。今度は街でぶつかってきたオバさんに怒られた愚痴。
その様子は沈黙を怖がるようでもあり、静寂を避けるようでもあり、彼女の口は止まることをしない。
まるで壊れてスイッチが切れなくなってしまった機械みたいだなと思った。
もう何杯目かわからないワインをグラスに満たして、ナマエは言った。

「ねえ、シャル……今日であなたは何歳になったんだっけ?」

ナマエの質問にどうだったかなと一瞬迷う。
ある程度年齢を重ねると自分の年を咄嗟に忘れてしまうことがよくある気がする。

ナマエは突然沈黙した。
本当に突然。いきなりシンと沈まりかえる室内に少し動揺する。
やっぱり彼女は壊れた機械みたいだと思った。
動作している途中でいきなり電源が入らなくなってしまう事が流星街の頃はよくあったっけ。

「私の誕生日は……来月だよ」

知ってるよ、オレとちょうど一ヶ月違いのナマエの誕生日を忘れるはずがない。
昔は一ヶ月オレの方が年上なんだから言う事を聞けと、理不尽なことをよく言ったものだ。
こんなに豪華な料理を頑張って用意してくれたナマエに、オレもうんとお返ししなくちゃいけない。

「もうすぐ一つ年をとるの」

ナマエの言葉は空中に投げ出され、そのまま消えて行った。
これ以上彼女の言葉を聞いてはいけないと、頭の中で警鐘が鳴り響く。

夢でも幻でもいい。二人の時間をもう少しだけ味あわせて欲しい。
自分に嘘をつくことを許して欲しい。
たとえ仮初めの幸せだとしても可能な限り……。

「私……シャルより年上になっちゃうよ……!」

叫ぶように言うとナマエは顔を覆って泣き始めた。
オレの周りの世界が全て色を失って、スッと薄くなっていくように感じられた。
体中の血がすべて頭にのぼってきたかのように、動機が激しくなり息切れがする。視界がぐらぐらと揺れ始めた。

「なんで……なんで死んじゃったの……シャル……。会いたいよ」

ナマエの肘がグラスに当たり、バランスを崩したグラスが傾いた。
咄嗟に手を伸ばしたオレの手をグラスはすり抜けて、赤い液体が床にぶちまけられる。
床の上に広がったワインの上にグラスが落ちて音を立てて砕け散った。
割れたガラスの破片が光を受けて、宝石みたいに光る様子をぼんやりとオレは見つめた。

ああ、そうか。
オレは……一年前の誕生日である今日、こいつを残して死んでしまったんだっけ。

――――ナマエ……、オレはここにいるよ。聞こえない?

彼女の方に手を伸ばしてみてもさっきのグラスと同じようにすり抜けてしまう。
オレの声は空気を震わせることもなく、ただオレの脳の中に響くだけだった。

彼女が一生懸命話をしていても声をかける事も出来ない。
このまま酔いつぶれて寝てしまっても毛布をかける事も出来ない。
オレのせいで泣いていても慰めることも出来ない。

もしもオレ達がしてきた行ないの罰を今受けているのだとしたら……あんまりじゃないか。
どうして神様はこんなにも無慈悲なんだろう。

視線をナマエからカレンダーの方に移す。
木曜日の枠の中で「ハッピーバースディ」のカラフルな文字がチカチカしている。
下手くそなオレの似顔絵だけがこの世界で唯一笑っていた。
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