「普通の家に生まれたかった」 私がそう不平をこぼしてごろり、と地面に寝転ぶと、それを上から見下ろしたイルミは不思議そうな顔で首を傾げる。「普通って?」 もちろん彼がそれを冗談で聞いているのではないことくらい私にだってわかる。 だけど、いやだからこそ、なんでわからないかな?と苛立った。 「私達くらいの普通の子は、学校に行くんだよイルミ」 「知ってるけど」 「なんで私達だけ違うの?やだよ、普通に学校に行って勉強して遊びたかった」 家業だからとはいえ、物心ついた時から訓練ばかり。外出は仕事の付き添いか、こうしてたまに幼馴染みのイルミの家にお邪魔するくらいだ。 しかもそれだって結局は訓練なんだから、私の人生14年にして早くもルーティンワーク。 愚痴の一つや二つ言いたくもなるのに、生憎唯一の聞き手にも理解してもらえないなんて不遇すぎる。 「学校じゃ暗殺の仕方は教えてくれないからじゃない?」 「そんなのわかってるよ。 でもやっぱり給食も食べてみたいし、友達も欲しい」 「友達は駄目。給食なら、執事に用意させれば?」 「イルミ全然わかってない」 ぶーぶーと不満を言う私にイルミはため息をついて自分も隣に腰を下ろした。 2つ年上なだけなのに、彼はどんな訓練にも愚痴を零さないし大人だなぁ、とは思う。 でも、現実を受け容れることや諦めることが大人だというのなら、私はまだまだ大人になんかなりたくなかった。 「ナマエは、暗殺者になるのが嫌なの?」 「別に、今更嫌だなんて言うつもりはないけど。 たまには息抜きしたい、訓練辛い」 「月曜の朝から弱音吐かないでよ」 「どうせ土日もないじゃん」 あーあ、動物に生まれていればなぁ、なんて冗談半分にぼやいてゾルディックの庭、もとい山をごろごろ転がる。それなら学校に行けなくたって納得できたし、毎日が日曜日だったのに。 「ナマエはワガママだね」 「イルミが物分かり良すぎるだけ」 「ほら、そろそろ次の訓練やるよ」 「やだ、やらない。もう今日はおしまい」 「ナマエ、」平坦なイルミの声に、わずかながら咎めるような色が混じる。 その声を聞き、まずいと思って半身を起こした。イルミは決して声を荒らげて怒ったりしないけれど、その代わり長い長いお説教が待ち受けている。 「子供じゃないんだからいい加減にしなよ」 「…まだ子供だもん」 だが結局私の口から出たのは、またもやイルミを怒らせるような言葉。 わかってるんだ、本当は。こんなことイルミに言ったって仕方ないし、私のワガママだってこともわかってる。 でも私は本当にまだ子供なんだ。普通に友達を作って遊んで、そんなものにまだ憧れてたっていいじゃない。 向かい合っていると、無言でこちらを見つめるイルミの姿がぐらぐらと歪んだ。瞬きをすまいと懸命に堪えていたものの、涙の膜はどんどんと広がっていく。 泣いたらまた困らせるだけだってわかってるのに。 わかっているのに、止まらない。 「ナマエ、なんで泣くの」 「泣いてなんか…ない」 「オレが怒ったから?」 「だから泣いてないってば」 少なくとも涙の理由はイルミが怒ったからではなかった。 頭では仕方ないとわかっているのに諦めきれなくて、それでもどうしようもない現実や何もできない自分への感情が、今になって溢れてしまっただけだ。 大人にも子供にもなれない宙ぶらりんの心が、たまたま今爆発してしまっただけだ。 私は泣き顔を見られまいと、顔が汚れるのも構わずうつぶせになった。雑草の青臭い匂いが、つんと鼻に染みる。 「…イルミ、どうしても大人になんなきゃ駄目なの?」 「うん。きっとその方がナマエにとっても辛くないよ」 いつの間にかすぐ傍にやって来ていたイルミが、あやすように私の頭を撫でる。「じゃあ、子供扱いしないで」撫でられるのも嫌いじゃないくせに、今はなんだかして欲しくなかった。 「わかったよ、だからこっち向いて」 「なに?」 くるり、と体を反転させられ、仰向けになった私の視界に飛び込んできたのはイルミの高い鼻と長いまつげ。 柔らかいものが唇に押し付けられた後にちゅ、と軽く吸うような音がして、一瞬何が起こったのかわからずに彼をまじまじと見つめてしまった。 「な、何して……」 「だって、ナマエは大人扱いして欲しいんでしょ」 よく見るといつも無表情なイルミの口角が僅かに上がっていて、キスされたのだと理解した私は急激に体が熱くなった。 こっちはそんなつもりで言ったんじゃなかったのに。馬鹿、イルミの馬鹿。 「ナマエがもっと大人になったら、続きもしてあげる」 「なっ…!」 「でも今はまだこれだけね。さ、いい加減休憩も終わり。訓練始めるよ」 勝手に説教して勝手にキスして勝手に知ったような口をきいて。 イルミはぽんぽん、と手で服の汚れを払うと、私の手を取って引っ張り起こした。 「そのうち、辛くないって思えるようになるからさ」 「……」 「立派な暗殺者になって、オレのお嫁さんになりなよ。そしたらその時は一緒に給食だっけ?食べてあげるから」 相変わらずイルミの表情はわかりにくいから、彼が本気なのか冗談なのかわからない。 シチュエーション以外はほとんどプロポーズのような台詞に驚いて私が何も言えないでいると、彼はうーんと考え込む素振りを見せた。 「ところで、その給食ってどんな料理なの?」 あんなに大人ぶっていた癖に。 いつもの私だったら、そんなことも知らないの?とすぐに偉そうに返していた。 だけど私はたった今、ひとつ大人にされたから。 「……給食は、もういいや」 「そうなの?」 さっきのキスやプロポーズがどこまで本気なのかはわからない。ただ私に訓練を続けさせるためだけの、冗談半分の戯言なのかもしれない。 けれども単に現実を受け入れろ、と言われるよりかは、もうちょっとだけ訓練を頑張ってみてもいいかなと思えた。 |