企画小説 | ナノ


「ひとをころしたことはある?」
「あるよ」
「へえ、それはいつ?」
「初めては12のとき。Aボタンを押したらテレビ画面の中で大の男が死んだの」

そこまで言うと、クロロはわりと大きな声で笑い出した。小さな古いアパートのワンルームにその声はよく響いて、お隣の夜の仕事をしていそうなお姉さんがまた大声で「うるさいよ!」と叫びながら壁を叩いてこないかとヒヤヒヤした。クロロにしーっと人差し指を立てて、それをくちびるに引っ付けて静止させる。子供みたいに笑い声をこぼしていたくちびるは案外ぴたりと止んで、すぐに三日月のような弧をたたえた。彼はどうでもいいような時に限って、ぞっとするような微笑みとはこういうことかと思わせるような笑い方をする。

「そういうことじゃないんだ」
「じゃあ、現実での話だった?」
「さあ、どうだったかな」
「なにそれ、変なの」

ごめんごめん、とわりと適当に謝ったクロロの前にあつあつのボロネーゼを盛り付けたお皿を運んでやると彼は美味しそうと目の前の料理を見て喉を鳴らした。行儀のよいいただきます、に、どうぞ、と返事をする。クロロのフォークの持ち方は実に子供のようだった。

「俺は人を殺したことがあるよ」

たくさん食べる彼のお皿にわたしの三倍くらい盛り付けたはずのパスタがもう跡形もなく平らげられていて、それはもう美味しかったと言われているみたいに、きれいに食べた後のお皿だけがそこに残っていた。料理がコゲても、上手に盛り付けても、味付けに失敗しても、美味しくできても、出した分は文句のひとつも言わずに必ず全部食べてくれるのが、わたしの知る彼の唯一のいいところだった。
猫を飼ってるだとか週末は海に行きたいだとか、そんな何でもないことを言う時の口調で、人を殺したなんて言うから、だからわたしはボロネーゼに入れた茄子の切り口がまずかったことを反省しながら、それっていつ、と何気無く聞き返すことにした。冗談だと思っていたから。

「初めては覚えてないな、でも最近なら昨日とか。先週も何人か。この前は特殊な瞳を持つ少数部族を殺ったよ、彼らは興奮すると瞳が緋色になるんだ。とても綺麗だから、今度、君にも見せてあげたいな」

わけが分からず、そう、と相槌を打つ。窓のそとを瞬きすらせずに眺めているクロロの横顔に夕陽が濃い影を落としていた。わたしはそれを彫刻のようだと思った。ひっそりと百年前からそうあるみたいに、同じように百年後もそうあるみたいに。窓の外の静かな港町。太陽はもうすぐ西の空に沈んでいく。わたしは、見てはいけないようなものを見てしまったような気すらして、本当にどうしてかわからずに、無性に泣きたくなった。嘘か本当かもわからない話を、わたしは信じることも疑うこともできなかった。

「人殺しの話はさておき、おかわりはいる?」
「僕はね、君のそういうところが好きで、ときどきすごく、憎たらしいよ」

言葉の意味が少しもわからないという顔をすると、いつも終電で何処かへ帰っていくクロロが腰をあげた。まだ残光が空にあるうちにクロロが去ろうとするのは初めてだった。「ごちそさまでした」が聞こえる。知らない男の人の声のように聞こえた。いつも別れ際に次の週末に来る時の料理のリクエストを言うくせに、何も言わないで黙々と玄関で靴を履いているクロロを、わたしはどこかの映画のワンシーンを観ているような気分で眺めた。「ねえ」と黒い肩に声をかける。知っているようで知らないその人に。

「どんな気持ちで人を殺すの?」
「さあ、感情なんてない。食事をするように睡眠をとるように、そういうものは必要なんだ」
「なにそれ、しなくちゃいけないことでもないのに」
「君にとってはね」
「あなたにとってもよ」
「うん、それは、どうかな」

なにそれ、とわたしはもう一度眉をしかめる。さようならの代わりにわたしの伸びた前髪を撫でる彼の指を追いかける前に、やかましい音をたてて玄関の鉄の扉が閉まった。なんとなく、彼はもう二度とここに来ない気がした。人を殺したことのあるらしい指は、わたしに、いつだって優しかった。だから、別に、あなたが何者でも、何でも、何だってよかったのに。玄関の扉を開ける。適当にひっかけたサンダルで一歩踏み出した先に、どこにも彼はいなくて、わたしは夕陽を悲しそうに眺める彼の横顔だけを思い出して、静かに泣いた。
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