企画小説 | ナノ


「あ、」

ぽつぽつ、冷たい水滴が額に触れて、顔を上げた。
気づかぬうちに空はどんよりと灰色に褪せきっていて、道行く人々は待ってましたと言わんばかりに色とりどりの傘を広げた。この様子だと雨は予測されていたらしい。(にわか雨だったら良かったのに、)汚れた鼠色のアスファルトが、瞬く間に雨水で黒く染まっていく。本降りになってきたみたいだ。

「雨なんて、大嫌い」

ぽつり、不満を吐き出したところで現状は何も変わらない。どうせ雨の音にかき消されてしまうんだろう、重いため息をひとつ、零した。
自分を邪魔するもの、妨げるもの、支配しようとするものは全て嫌いで憎たらしかった。それが自然現象でも鬱陶しくて、行動が制限されるのが不愉快極まりない。だけどそんな私の気持ちとは裏腹に、雨は一向に止む気配がないから、ひとまず屋根のある所に駆け込んで雨を避けた。雨音が鼓膜を揺らす度に、やり場のない苛々が募って行く。

「あれ?」

しばらくそうして雨宿りしていたら、ふと声を掛けられ顔を上げる。視線を移すと、金髪の美青年がいた。ぱっと見童顔で、未成年に見えなくもないから美少年と認識されていてもおかしくない。
青年だと判断出来たのは、彼に会った事があるからだった。といっても、たったの一度だけ。だから一瞬誰だかわからなかったし、名前も覚えていない。シャル……なんだっけ?名前を聞いたのも一度っきりだったから曖昧になっていてフルネームは記憶になかった。

「こんな所で何してるの?って、雨宿りか」
「見ての通り」

そもそも私がまだ顔を覚えている、ということがまず珍しい。彼が私の脳から消えていなかったのは、彼に会ったのがつい先日の事だったからだろう。

「この間の件、あれから考え変わった?」
「何度言われたって答えは同じ。誰かに従うなんて私には無理だから」
「残念だなぁ、俺としては是非入団してほしんだけど」
「美男子に唆されたって気持ちは変わらないわ」
「どうも」

別に褒めてないけど。そう言うと彼は別に気にした風もなくにっこりと笑い、そういえば、と話を切り出した。

「今日は機嫌悪いね」

今日、とは言うけれど一度しか会ったことがないはずなのによく判断出来るなと少し関心する。もしかしたら自分では気付いていないだけであからさまに不機嫌に見えるのかもしれない。

「雨、嫌いなの」
「なんで?濡れるから?」

「邪魔だから。濡れるのも嫌だけど、行動を制限されるのが嫌なの」
雨に限らず、と付け足して率直に答えた。あなたは気にならないの?と返すと、「別に。まあ鬱陶しくない訳じゃないけど」と返って来たのでやはり私と彼とは違うと悟る。「私は雨以外でも嫌いなものがいっぱいあるけれど、あなたはずいぶん嫌いなものが少ないのね」そう言うと心外そうに「嫌いなものなんていっぱいあるけど、嫌いなものすべてに苛々してても仕方がないだろ?」と答えて私の事を「なんだか生き辛そうな性格だね」と言った。馬鹿にされたようにも受け取れたけれど、それよりも疑問が先に出ていった。

「…どういう意味?」
「だって、一々色んな事を不愉快に思いながら生きてるんでしょ?ずっと苛々しっぱなしなんて、俺には耐えられないな。辛くないの?」

辛いなんて、そんなこと考えた事もなかった。不愉快に感じるのは当たり前で、色んな事に苛々するのは日常。だけど何故だかその言葉は腑に落ちた。受け入れるのも大事だと思うけど、なんて彼は続ける。彼の言葉はすべて新鮮に感じて、私の興味を惹きつけるのには充分過ぎていた。私は彼に興味を持ってしまっていた。しかし同時に恐れてもいる。彼に影響されて、私自身に変化が訪れるのを恐がっているのだ。

「当分雨は止みそうにないけど、」

入る?と、彼が少し近付いて傘を揺らした。
これ以上関わってはいけない、今までの私のすべてが塗り変えられてしまう。それは限りなく確信に近い予感で、危険だと、私が私に警告を告げている。一度入ったらもう抜け出せない、二度と元には戻れなくなるから行ってはならないのに、思考と反比例するかのように震える足は動く。ゆっくりと進む足は誰に操作されている訳でも無く、そこには確かに自分の意志が存在していた。
あと一歩で傘の下に入る、その一歩を少し躊躇っていると、見透かしたように彼の腕が私の手を掴んで引っ張った。その反動で私は彼の胸に飛び込む形になったのだが、突然の事に驚き、声も出せずに硬直してしまう。そのまま彼は畳み掛けるかのように耳元で囁く。甘いマスクに良く似合う、甘い声で。

「つかまえた」

しまった!そう思った時には既に遅く、彼の手が私を離さない。力ずくで振り払ってしまえば逃げられるというのに、何を思ったか私はその手を軽く、握り返していた。
好奇心猫をも殺す、とはよく言ったものだ。この瞬間の猫は私に違いない。
雨粒に打たれる地面のように、私の頭もまた霞がかっていて、変化を恐れる癖に、変化を拒むことが出来ない。
ぼんやりとした思考回路で、彼の体温が指先から流れ込み、私をゆっくりと浸食していくのを、確かに感じていた。
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