命なんて、重くて重くて、たまらなく苦しい。 でも逆に、紙よりも軽いものだと思う。水差しに滴る水よりも。蒸発して無くなってしまうその瞬間よりも。 重いからこそ、消えるときはあっけなく消え去る。 まさに、そういうことなんだろう。 「イルミ」 私が水差しの水をこくりと飲み干すと、近くにあった気配を見つけてそちらへと視線をやった。 わたしの真っ白な病室。個人病院の廊下の突き当たりを真っ直ぐ進んで、ドアを開くだけ。 多分誰かが訪れる時は、気配や話し声や、ノックの音で事前に知れることだろう。 でも、彼は気配を消すプロフェッショナルだ。 足音を殺すことも、自分の放つ何もかもも絶てる。 なら、何故彼はこんなにも気配が、オーラが揺れているのか。 答えは一つだろうと、目を細めて笑う。 「また殺してきたのね」 「……ナマエ」 「お疲れ様。おかえりなさい」 そういうと彼は押し黙る。「ドアの前で突っ立ってないで、いらっしゃい」と、ベッドの上から手招きすれば、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。 その姿がしかられた子供みたいで、私はまた笑う。可愛い人。強い人。でも、弱い人。 きっと本人は無自覚に。 おかえりなさいは何も自分のお家じゃなくてもいいでしょう?キルアくんに言ってもらいたかった?私じゃ駄目? 病室でおかえりなさいって言えるのも、誰かが訪れてくれるからよね。 私ったら幸せものなのよ、 しあわせ、 しあわせなの。 しあわせ、だから。 そう言うと、イルミは私の背後の壁に手を突いて、覗き込むようにして見つめる。 イルミの手は、私の頬を滑り、そのまま唇へ、そして唇の下をなぞり。 でもキスなんてしなかった。 だから私は幸せだった。 「あとひとり殺したら、もう終わりそう」 この言葉が、彼にとって、私の命の重みを感じさせるだけのものなんだと、知りながら。言葉を放った。 「……なんで、ナマエは笑ってるの」 「幸せだと、感じてるから」 「…どうして幸せだと思えるの?」 「私がこの世界に生まれて、あなたが隣にいるから。」 どうしようも無い世界だ。 人が殺されないと、命を摘み取らないと、何かを犠牲にしないと回らない世界だ。 私もイルミももっぱら自ら回す人間だったって言うだけの話。 誰かが美味しく食卓の肉や野菜を食べられるように、誰かが狩って、捌いてる。 それと同じことでしょう? イルミは殺す。私も殺す。こうして身体が弱って病院に放り込まれなければ、今この瞬間も殺してた。 誰かを。知らない、誰か。 それって殺される側からしたらどれだけの恐怖なのかな?それが不幸だというのなら、 私は幸せ。 「殺して、もうひとり」 「……」 「出来ない?それがあなたの仕事でしょう」 「…殺すのが、仕事?」 「そう。あなたがゾルディックという家に生まれて、その家業に納得してるなら」 「……仕事」 「仕事。あなたは何も手を休めることなんてない。躊躇う必要もない」 そう言ってイルミを見上げながら見つめる。その黒い瞳を見つめる。 キスが出来るほど、息遣いが聞こえるほど近く、近くで。 もしこんな状況でなければ、私は照れくさくて、目を逸らしていたかもしれない。 でも、今回ばかりは逸らすことなんてしなかった。出来るはずが、なかった。 「オレが殺して」 誰かを殺して。 誰とも知らない人間を、いつも通りに、仕事として殺して。手を休めることなく。躊躇うこともなく。いつものように、自分の手で。自分の念で。自分の力で、自分の意思で、殺して 殺して 死んで。 その命で。 「ナマエは死ぬのに?」 私はもう一度頬に添えられたイルミの手を取り、首元を下がり、その下へ、下へ。 胸の上。命の鼓動が聞こえる、その左胸まで。 「私は、死ぬけど。」 あなたが、殺すの もう一度、見上げたイルミの瞳は、その顔は、どうしようもなく。 …どうしようもなく。 ……そうだ。何もかも本当にどうしようもない。 私達が好き合わなければよかった。私達がこんな仕事を好んでしなければよかった。私達がこんな風に寄り添わなければよかった。もしくは、私達が念使いじゃなければ、話は違ったはずなんだ。 ああ、どうしようもない きっと、どうしようも無い私たちだから。 …きっと、顔も知らない他人を殺して生きてきたから。 顔も知れない誰かに、殺されるのね。 それが人の手でなく、”念”の効果だとしても。 私達は赤い糸で繋がったのかもしれない。だから、寄り添っていたのかもしれない。 「何人殺した?」 病院に居たのはもう半年だから、凄い数でしょうね 「どんどん体調が悪くなるのを感じた、咳も止まらなかった」 その度ちゃんとイルミは生きてるんだろうなあ、って感じてたよ 「殺す数だけ、私が弱る。上手い具合に出来てるよね。もうそろそろかな、そろそろかな、って思って。今日、イルミが来て」 最後の一人の命を、いつものように、見知らぬ誰かを殺すというのなら 「これでいいのかもね」 私が笑って目を閉じて、首元にかかるイルミの手に自分の手も添えて。暗闇の中で、また笑って。 きゅう、きゅうと何かが狭くなるのを感じる。それは意識なのか。もしくは命なのかはわからない。 でも薄っすら、思考の中で、思い出した 真っ白な病室。真っ白なベッドに真っ白な壁。その中に、一つだけ黒がある。 唐獅子のその模様たちのように、 絡み合う。死、しても尚、私達は、見えない何かで絡み合う。 死、することで、もっともっと。 確実な形で。言うならば、永遠に 離れないというのなら。 |