一年前頭を悩ませていた問題児たちが、文字通りその手で全国への切符をもぎ取ったとき、ふと隣を見れば、名前が静かに涙を流していた。
流れる涙を拭おうともせず、顔を隠すこともせず、ただ、目の前の光景に涙を流している。弱い部分を決して見せようとしない名前が、
感情を、さらけ出している。

「名前泣いてるの?」
「茂庭だって泣いてるじゃん」
「え? あれ? ほんとだ」

自分が泣いていることにも気がつかないほど名前の涙は衝撃だった。

「おめでとう」
「俺? 二口たちに言いなよ」

目元を袖口でごしごしと擦っていると、名前が確かに俺の顔を見ながら祝福を口にした。なぜ俺なのか、不思議に思っていると名前は続けた。

「言うよ、もちろん。でも二口が言ってた。『俺たちのバレーは茂庭さんたちのバレーだ』って。だから、おめでとう」

いつのまにか名前の涙は止まっていたのに、俺の目からは止まることなく涙が零れた。
そうだ、名前は――


伊達工は部活動が盛んだ。サッカー部や野球部は全国経験もあるし、ここ最近もコンスタントに県上位に食い込んでいる。陸上部やテニス部などにも全国出場者がいる。
バレー部もまた強豪だ。ブロックを得意とした高身長のチームカラーは「伊達の鉄壁」とまで呼ばれ恐れられている。
と、いうのはあくまで先輩たちの話しで。俺たちの代は身長が低く、飛び抜けて上手い奴もいない。先輩を押しのけてユニフォームをもらう奴もいない。練習試合で同学年たちとやりあっても勝てない。二年になると下の代には背が高く実力もある奴らがごろごろと入ってきた。
自分たちでも分かっている。けれどやはり陰で"ハズレの代"と呼ばれているのを知ったときはショックだった。
たくさんいた仲間も何人も辞めた。最後まで残ったのは、名前を含めたった四人だった。

名前は綺麗だった。凛とした美しさは気軽に話しかけられる雰囲気ではなかった(話してみればいたって普通の女の子なのだけれど)。言うなれば伊達工のマドンナ的存在。
そんな彼女がさほど強くもないバレー部に身を置いているのを面白くなく思う連中はたくさんいた。根本的にどこの部もマネージャーを欲しているのだ。人づてにも名前が何部から勧誘を受けてたと何度か聞いたし、「バレー部はいいよな〜!」とよく言われるが、その声や表情には確かに嫉妬みたいなあまりよくない感情が混ざっているのにも気付いていた。

ちょうど代変わりした頃、直に名前が勧誘されているのを目撃した。
サッカー部だった。
俺たちの代のサッカー部は強いのが集まったようで、一年の頃から活躍している奴も多く、周りからも期待されている。つまり、バレー部とは真逆なわけだ。
無意識のうちに劣等感を抱いていたのかもしれない。すぐに名前に話しかければよかったのに、俺はそれができなかった。

「名字ー、サッカー部入れよ」
「絶対バレー部より楽しいぜ。だってあれだろ、俺たちの代のバレー部、"ハズレの代"って言われてんだろ」

心臓が凍りついた気がした。目の前が暗くなる感覚を初めて味わった。男たちの笑い声がやけに響く。
パァン、と乾いた音がその笑い声を打ち払った。
男は何が起きたのか理解できない様子で唖然としている。周りの奴らもそうだ。それから、俺も。
名前は無表情だった。

「今度そんなこと言ったら絶対に許さないから」

抑揚のない静かな声に、名前の本気の怒りを感じた。
名前が歩いてきた。俺を見ると一瞬驚いた顔をしたものの、俺の態度で見ていたことに気づいたのだろう。

「勝とうよ」

口の中で言って、名前は唇を噛んだ。それだけで、名前がいまどれほど悔しいのか痛いほどわかった。

「あんな奴ら見返してやろうよ」

名前の目は赤く充血していた。
「もしかしたら名前は他の部活の方が楽しいのかもしれない」少しでもそう思ってしまった自分に腹が立った。
こんなにも俺たちのことを応援してくれている人がすぐ側にいることにすら気がつかなかったなんて、大馬鹿野郎だ。殴られるべきは俺だったんだ。

「うん」

ごめん、という言葉は飲み込んで、精一杯の力で頷いた。
周りの声に負けるのは、自分たちを信じないのは、この子の信頼を裏切るということだ。
強くならなくちゃいけない。それは試合に勝つとか負けるとか、そういう強さじゃなくて、信じてくれている人に笑ってもらうために、強くなるんだ。
覚悟が伝わったのだろうか、名前は「よし!」と笑顔を見せた。


――誰よりも俺たちの勝ちを願っていた。

「わたし、茂庭たちのマネージャーだったこと、本当に誇りに思う」

照れもせずにそんなことを言う名前の笑顔があまりに綺麗で、ついに俺の涙腺は決壊した。
違うよ。名前が俺たちのマネージャーだったから、俺たちは最後まで「鉄壁」の一員でいられたんだ。後輩たちに何かを残せたんだ。
俺たち自身を含めた誰よりも俺たちのことを信じていてくれたから、だからこそ俺たちは二口たち後輩に繋げるバレーを選んだ。その結果がいま目の前にある光景なんだ。
伝えたいことも、伝えなきゃいけないことも、たくさんあるはずなのに、口を開けば出てくるのは嗚咽ばかりで、やっぱり俺はまだまだ弱いんだと思った。
「泣き虫」と笑いながら背中を撫でる名前に誰のせいだと言えば、なんて言ってるか分からない、とまた笑った。
笑うたびに揺れる髪の毛が放つこの香りは、


――名前なんかいい匂いする。シャンプー?
――さすが茂庭。これ、お気に入りなんだぁ。
――へー、なんの匂い?
――フラワーブーケ。花の香りだけど、ハーブ系も入ってるから甘すぎなくて爽やかでいいでしょ。
――うん、なんか、名字っぽくていいね。
――えっ……。
――え、あれ? 名字ー? ……俺なんかいけないこと言ったかなぁ……?


「春だなぁ」

そう呟けば名前は不思議そうに首を傾げた。また髪が揺れる。名前のお気に入りのシャンプーはいまも変わらないようで、あの頃と同じ、春の始まりの香りがした。


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