「これ、美味しくてね。食べて」
「また。だから太るんだぞ」

 嫌そうな顔。それを横目に俺は渡された焼き菓子の袋を破く。どこかのケーキ屋の焼き菓子なのか、見たことのない包装で包まれた焼き菓子を袋から取り出す。くまの形をした焼き菓子に、成分表示表を見てみる。フィナンシェと書かれた焼き菓子。知るか、そんなの。焼き菓子に詳しいわけではないので、取り敢えずくまをかじる。

「……ん」
「美味しいよね! あのねー」

 いつもの会話を適当に流す。今日もどうせ、仕事がどうだったとかああだったとか。そんな話を笑いながらして。「もっと頑張りたいな」などと自分を励まして終わるのだ。ひとりで勝手に。俺はフィナンシェを口の中で精一杯味わいながら隣を歩く。仕事帰りのなまえと偶然とパトロールを装い出会うこの時間帯は嫌いじゃないが、好きでもない。ただ、なまえが隣にいて。時折、肩がぶつかる。そういう瞬間がひどくやさしく感じる。

「買いに行ったんだよ」
「ふうん」

 なんで。焼き菓子の袋を見る。どこで買ったか、まではわからなかったが俺の手の中にあるフィナンシェはもうくまの顔だけが残されていた。うまい。口の中で咀嚼を続ける。なまえは夜道の街頭に顔を照らされて、にこにこと笑っていた。俺はまばたきを、1つする。「なんで」疑問を1つ投げかけるのは、俺に勝機があったとでも思ったのだろうか。なまえはちらりと俺を見て、そして小さく笑った。

「ヒーローに優しくしてもらったから」
「……慈善活動じゃねえよ」

 数カ月前だ。この道にヴィランがいたのは。そして、そこに遭遇したのがなまえで。偶然にも通りかかった俺は、そのヴィランを倒し。なまえとはそれから、この時間帯偶然を装いパトロールを装い一緒に途中までの道を歩く。それが、悪い気にはならない。残りのフィナンシェのくまの顔を口に放り込んで食べる。バターの香りがべたついて、けれどオレンジがさっぱりとしていて食べやすい。

「マイクさんと」
「……は?」

 唐突に驚く程突然出てきた、同期のヒーローの名前に眉間にしわを寄せれば。彼女は、笑った。「山田君」尚更、それがやつの名字であったから。俺が思い浮かべた人物と同一人物であることの確証を持ち頷く。なまえはまた目尻を下げて、少しだけ笑う。

「告白、したんだ」
「……」
「でね。付き合うことに、なったよ」

 見たことのない表情に、手を伸ばしそうになって。慌てて引っ込めた。ポケットに手のひらをいれる。フィナンシェを飲み込む。まるでそれは、事実を飲み込むみたいに喉の辺りで突っかかって。俺は小さく咳払いをした。静かな夜に俺の咳払いは案外大きく響いてしまい、なまえが少し驚いたようにこちらを見た。

「えっと」
「悪い。喉に詰まった」
「あっ水? あるよあるよ」

 鞄からペットボトル。それをやんわりと断って、2度ほど咳払いをするとフィナンシェはもう喉にいなかった。そして、なまえを見る。暗くて表情の細かいところまでは見えない。お前、いつの間にマイクと。そんな言葉も飲み込む。どうすればいいかなんて考える必要はなかった。立ち止まる必要もない。俺はいつものように歩きながら、言葉を吐き出す。

「おめでとう」
 それは自然に。心から思っているように。友人へ告げるように。なまえの顔を見ずに歩く。いつもの分かれ道がすぐにやってきて、俺はそちらへ足を向けた。

「じゃあ、イレイザーヘッド」
「ああ」
「バイバイ」

 バイバイと言って笑うその顔が好きだった。ポケットに両手を入れて、いつものように背中を向け合う。気をつけて、なんて気を遣う余裕はなかった。きっと、気づかれなかった。俺がいつもと違ってそう告げなかったことなんて、そんな微々なる違い最初から見られていなかったのだ。ひとりで静かに鼻を啜る。どこかに花粉でも舞っているのか。ああ、コンビニで柔らかいティッシュを買って帰ろう。ひとりで目尻をこする。気づかれなくてよかった。これからもきっと気づかれないでいよう。

「あめえ」
 口の中に食べた焼き菓子のバターの香りと砂糖の甘さが残っていたなんて、言い訳を誰にも言わず繰り返す。


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