SEAuNにシビュラシステムが輸出される事になった、そのニュースを一番に報じるのが私達記者の仕事だ。
シャンバラ特区から出てはいけない、と言われて仕舞えば出たくなってしまうのが記者の性であり

「出てきちゃった…」

辺りを見回すと舗装されていない道路や森に囲まれていて、特区を一歩出てしまえば別世界が広がっていた。

「ちょっと見たらすぐ戻ろう」

自分にそう言い聞かせてひとりでに頷いた。明日の夜の飛行機で帰る予定なのだ。
早速人通りの少ない通りで屋根付きのバス停のようなものを見つけたため、そこでバスを待っていたら突然雨が降り出す。

「え?!」

先ほどホテルでニュースを確認した時には雨なんて一言も言っていなかったのにと項垂れた。この雨の中行ったら機材が駄目になってしまうがそう簡単に止んでくれる降水量には見えなかった。

「戻ろうかな…」

ここまできたら特区に入れない人々がどう思っているのか、生の声も聞きたいと思い飛び出してきたが治安が悪い上に雨だなんて…

「行くなっていう神様の暗示みたい」

不吉だと溜息を吐くと同じ屋根の下にずぶ濡れの男の人が駆け込んできた。黒のカッターシャツにくすんだ緑色をしたズボン。腿にはホルスターに収まった銃がベルトでキツく巻かれていた。どこからどう見ても軍人だ。

「…」

嫌な汗が背中を伝っていくのを感じて私は片唾を飲む。やっぱり来るべきじゃなかったんだと後悔し始めていると後ろ姿しか見えなかったその人は濡れた黒髪を書き上げて一言つぶやいた。

「はぁ…ついてないな」

このタイミングでスコールか、と続けたその人から怖くて反らしていた目線をもう一度彼に向ける。
現地人かと思っていたその男をじっと見ていると彼は不意に振り向いた。

「っ!」
「…あんた日本人か?」

目線を外そうにも外せなくてその人の強い瞳をじっと見つめることしか出来ない。必死に振り絞った声は随分と情けないものになってしまった。

「は、はい…」
「なんで日本人がこんなところに…シビュラから逃れてきたのか?」
「え…」

彼はハッとした顔になると自分の口元を押さえて何でもない、忘れてくれと言う。

「わ、私は記者をやっていて…その、こっちのシビュラ導入についての記事を…その…」

しどろもどろな説明であるにも関わらず彼は成る程な、と納得すると最初より数段柔らかな声色で話しかけてくれた。

「この辺りは特に治安が悪い。俺はそういうんじゃないがかなりいかれてる奴らもいるからな…この雨が止んだら特区に戻れよ」
「えっ…と…止みますかね?」
「ただのスコールだすぐ止むだろ」

彼のすぐがどれ位を表すのかは分からないが日本人なのだから一応1時間以内ではあるだろうと踏んで腕時計を見る。
まだ15時も回っておらず、せっかく出てきたのに戻るのは惜しくなって来てしまった。

「…あの、私特区内だけじゃなくて、外の人たちの声も聞きたいんです!」
「…」

壁にもたれ掛かって外を見ていた彼はこっちに目を向ける。

「それで、あの…貴方は日本から…シビュラから逃げたんですよね?」
「…」
「ってことは…指名手配とか、されてるわけで…その…」

軍人相手にこんな事を言うのは命知らずだと分かっていながら思い切って言い切った。

「私が日本に帰っても絶対に他言しない代わりに、取材中の護衛を…お願いできませんかっ」

目をつむって勢いで言い終わると少しの沈黙がして吹き出すような音が聞こえた。

「ははっ、あんた凄いな。いくら同じ日本人でもこんな格好して銃ぶら下げてる奴脅すか?」
「お、脅してるわけじゃ…!」
「わかってるわかってる」

彼は手を軽く振るとまた少し笑って私を見た。

「この後は夜まで特に予定がなかったんだ。あんた、ラッキーだな」

狡噛だ、と優しい顔で手を差し伸べた彼の手を取った。
20分もしないうちに雨は止んで、私達は取り敢えず隣の集落まで行ってみることにした。狡噛さんは車を回すかと気を利かせてくれたがそこまでお世話にはなれないと断って近場の人に話を聞く。

「すごい…」

さっきの人通りのない通りからそんなに歩いていないのに多くの人で溢れた路上に出た。

「ここはいろんな露店が出てるからこの近くじゃ特に賑わってる」

あっちの方はこっちと違ってもっと近代化した街があるがと言う狡噛さんは中々この辺りに詳しいらしい。

「こっちは特にアナログなんですね」
「ああ」

取り敢えず適当なお店で買い物をしてから簡単な取材をする形で進めているとご近所さんらしい人たちが集まってきてシビュラについて議論を始めた。
英語で成される会話を聞いてそこにまた少し質問を入れて進む議論を黙って聞きながら録音テープを回す。
一番理想的な形で現地の声が聞けたのはひとえに狡噛さんのお陰だろう。

「すごいなあんた」
「え?」
「翻訳機能使わないのか」
「あ…はい、一応現地の人の声をできるだけ同じ目線で聞きたくて」

翻訳ってどうしても事務的になるじゃないですか、と言えば狡噛さんは確かにと頷く。

「もう少しやっていっても平気ですか?」

狡噛さんを見上げたら彼は奥の方に目を凝らして険しい顔をしていた。

「…いや、まずいな」
「え?」
「あいつら見えるか?」

狡噛さんが顎で差した方を見るとそこにはいかにもガラの悪そうな集団がおり、手に銃器を持っている。

「うわ…」

周りの人たちはみんな気づいてそれぞれお店を放って走って家に入って行ってしまった。

「俺たちも戻るぞ」

車がないのは痛いなと呟いた狡噛さんは私の手を掴むと路地裏の道を通って走っていく。
怖くて指先が冷えていく感触に眉を寄せながら私を引いてくれる狡噛さんを信用するしかないんだと自分に言い聞かせて足を動かした。

「はぁっ…はっ…」
「とりあえずは平気か」

あれだけ走ったのに息の一つも荒げない狡噛さんはやはりそうとう訓練されているんだろうと思う。

「はぁ…っ…あの人たち、って?」
「まぁギャングみたいなもんだ」
「ギャング…」

会ったばかりの時狡噛さんがいかれてる、と表現したのは主にああいう人たちの事なのだろう。

「…もう暗くなって来たし特区に戻るとなるとまたあいつらがいる所を通っていかなくちゃならないがそれは一般人…とくにシビュラの下で過ごしてるあんたにはあまりに危険だ」
「はい…」

どんどん不安になっていく中時計を見ると時間はもう8時近くなっていた。

「今日飛ぶのか」
「いえ、明日です」

そう言えば狡噛さんは腕を組んで少し考えると私を見た。

「…今日のところは俺たちの所に来るのが安全だと思う」
「俺たち…?」

頷いた狡噛さんはでも、と続ける。

「俺たちはゲリラだ。もし今日ベースキャンプが政府からの攻撃を受けたらあんたも巻き込むかもしれない。」
「…」
「それに俺みたいなのがゴロゴロいる場所に来るのにも不安があるだろうから無理強いはしない。ホテルに帰るなら最善の方法は考える」
「…」
「まぁキャンプにも当然女や子供もいるから…判断はあんたに任せるが戻るんなら早く決めてくれ」

これ以上遅くなるとまずいんだと言った狡噛さんに私は首を振った。

「いえ、狡噛さんに着いて行きます」
「…命の保証は出来ない」
「できるだけ、してください」
「ああ」

ならこっちだと歩き出した狡噛さんに着いて行くと森を抜けて思っていたのより随分と大きな基地が目の前に広がった。遺跡のような趣のあるそれに続く一本道を歩くとその周りで作業をしていた人たちが狡噛さんに頭をさげる。

「…。」
「着いたぞ」
「あ、はい!」

狡噛さんは近くで作業をしていた人を呼び止めるとセムはどこだ、と聞いた。中庭にいるはずだというその人の言葉の通り中庭に出ると狡噛さんは訓練をする男の人たちの集団に向けて声を張った。

「セム!」

すると全員が手を止めてその中から松葉杖の男の人が出てきた。

「おかえり、狡噛」
「ああ。今日はこいつをここで匿いたい」
「こいつ?」

セムさんは私を見るとすぐに頷いた。

「部屋は手配しよう」
「悪い」
「ありがとうございます」

柔和な笑みを返してくれたセムさんは背を向けてまた戻ろうとしたが狡噛さんはなぁ、と呼び止める。

「あいつは」
「#name1#ならナターシャ達とおしゃべりに花を咲かせていたはずだよ」
「…そうか」

狡噛さんはそれだけ言うとセムさんにお礼を告げて案内するから着いてこい、と建物内に入った。

「Hi、狡噛」

大きな部屋に通されて沢山の人が話したりしている中一人の男の人が狡噛さんに声をかける。
並べてある長机と椅子に腰掛けた狡噛さんの隣に座るとその男の人は興味深そうに私を見た。

「何?狡噛の新しいカノジョ?」
「そんなわけないだろ。今日1日護衛を頼まれた。記者なんだと」
「へぇ!狡噛に護衛を頼むなんて贅沢だねぇ」
「え…どうして…」
「ん?なんたって狡噛はこの組織の戦術顧問、トップの一人さ」

彼が言い終わるまえに狡噛さんはここにいろ、とだけ告げて席を立ってどこかに行ってしまった。するとその男の人と仲がいいと思われる男女3人くらいのグループに囲まれる。

「戦術顧問?!」
「そうだよ、狡噛はスーパーマンだからね」
「とにかく強いスナイピングもピカイチ!あれでいて軍人出身じゃないんだから驚きだよな」
「貴女日本人?」
「あ、はい…」

狡噛さんの話で盛り上がる男の人たちを放って女の人がさっき狡噛さんが座っていた私の隣に座った。

「Mr狡噛の友人?」
「友人…では、ないです」

今日会ったばかりなのでと言えばその女の人はゆるく微笑む。とても綺麗な人だ。

「名前には会った?」
「名前…?」
「あら、会ってないの?珍しいわねあの二人が一緒にいないなんて」
「ああそれなら今日名前はナターシャの部屋でお茶会だとか言ってたぞ」
「そういうことなら仕方ないかしら」

女の人は頬杖をつくとうっとりとして顔をして話を続けた。

「貴女、Mr狡噛のこと好きになったらダメよ」
「え…」
「無駄になっちゃうから、絶対」

人差し指を立てたその人はあのね、と身を乗り出す。

「彼にはここに来る前から一緒にいる恋人がいるのよ」
「寧ろあいつら結婚してんだろ」
「結婚?!」

私がつい聞き返すとその男の人はおかしそうに笑った。

「そう、正しくはフィアンセ?」
「でも狡噛は名前を紹介する時狡噛名前つったろ?そういうこった」
「へぇ…」

あのいかにも恋なんてくだらないと思っていそうな彼にたった一人の女の人がいる事にビックリして私は瞬きを繰り返す。

「彼女は名前っていうんだけどね?びっくりするくらい綺麗な子なの!」

いままでに見た仲でダントツよと言った彼女に私はまだ見ぬ名前さんという方を想像する。

「それに優しくて強くて、女の憧れよね」

今度は名前さんの話で盛り上がるメンバーに若干置いていかれつつも暫く話を聞いていた。
30分もすると狡噛さんは戻ってきて私を連れ出してくれた。その時散々そこにいたメンバーに名前と会ったのかやら何やらで揶揄われていたけれど彼は会ってないとだけ言ってそれを躱した。

「やかましいが悪い奴らじゃないんだ」

そう言って狡噛さんは一つの部屋まで案内してくれた。

「ここに今晩は寝てくれ。ホテルに比べたら随分だが…まあそこは」

肩をすくめた狡噛さんにクスクスと笑ってはい、と返すと狡噛さんは頭を掻いた。

「本当は紹介したい奴が居たんだが…どうも捕まらなくてな」

あいつならあんたも色々聞きやすいんだろうけどとボヤく狡噛さんが誰のことを言っているのかすぐに分かってしまった。

「名前さん、ですか?」

狡噛さんは一瞬目を丸めてあいつらか…と苦笑する。

「ああ、女同士助けられる事も多かったんだろうが、な」

何かあったら俺は最上階にいるから呼んでくれ、と言って狡噛さんは出て行った。夕食はさっき話した女の人が持ってきてくれて一緒に食べて、お風呂も終わって部屋に戻れば24時。

「…」

微妙に寝付けなくてベランダに出てみたら空が星で溢れていた。

「うわぁ…」

東京では見られない星空をじっと見ていると上の方から狡噛さんの声がした。

「名前」
「…っ」

その名前に心臓がドキッとした。とうとう彼女の存在に触れることが出来るからだろうか。

「あ、ただいま慎也」
「ただいまじゃない今何時だと思ってるんだ」
「まだ12時だよー」
「馬鹿。もう、だ」

心配したと言う狡噛さんの声は私と話す時とは全然違っていて、初めて知った彼の名前に何故か息が苦しくなった。

「慎也ってば心配性」
「お前がそうさせてる」
「ふふ、ごめんね?」

話を聞いていればかなり離れているものの、辺りが静かだからかなんとか聞こえる位の音量の声は私の話をし始めた。

「日本人の記者にあって匿う事にした」
「え!そうなの?!」
「ああ、シビュラについてだと」
「なんかもうそういうの懐かしくすらもあるね」

ハイテンポに犯罪係数100執行対象ですと笑いながら言った名前さん。彼らはまさかドミネーターを持つ立場にいたのだろうか?だとしたら…

「…執行官?」

潜在犯が唯一社会に出れる仕事。まさか狡噛さんは潜在犯だったのだろうか。

「何はともあれ明日の朝には出る」
「えー?挨拶したかったなぁ」
「お前がこんな時間までしゃべり倒してるのが悪い」
「だって〜」

足音がして声が近くなる。彼らもベランダに出たのだろう、狡噛さんがふかすタバコの煙が夜空に上がった。

「…狡噛さん」

聞こえるか聞こえないかくらいの声で彼を呼ぶと最上階のベランダから狡噛さんが身を乗り出す。

「あんた…まだ起きてたのか」
「なんだか眠れなくて…空がきれいですから」
「あー、確かにな」

日本では見られないよなと呟いた狡噛さんの横から女の人が顔を出した。

「あ!あなたが記者さんですか?」
「は、はい」

暗闇の中でもわかる彼女の整った顔につい見入ってしまう。

「名前ですはじめまして」

ニコニコと微笑んで手を振った彼女は狡噛さんに釣り合うような本当に綺麗な人だった。

「はじめまして」

星空をバックに私を見下ろす名前さんがあまりに綺麗だったからかは分からないけれど、身体冷やすぞと言って部屋に戻るように言う狡噛さんの言葉に従う名前さんがいなくなると涙が頬を伝った。

「あれ…?」

狡噛さんを好きになるような時間は無かった。今日会ったばかりのはずなのに…

「…なんで」

どうしてこの胸はこんなにも苦しいのだろうか。


翌日日本に帰ってから書いた記事には結局現地の人の話は載せられず、シビュラ万歳と言った内容しか許されなかった。
現地で会ったあの二人が実は逃亡した執行官だったことを知ったというのは、また暫く後の話。


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