卒業式の夜だった。別れを惜しんだどんちゃん騒ぎが夜風に乗って浜まで響く。
喧騒が届かない場所を探して船着き場まで逃げると、さすがに校舎も遠のいたからか、そこは静寂で満ちていた。ようやくの安堵でため息がもれ、数えきれない星の瞬きをぼうっと一人で見上げる。そのときだ。

「こんなところで何してるんだよ」

さざ波に紛れて十代くんの声がした。空耳かと思った。けれど振りむくと、声の主はたしかにそこに立っている。

「そっちこそ何してるの?早く帰らないと、きっとみんなが探してるよ」
「帰る?」

十代くんは首をかしげてやおら微笑んだ。

「そんな場所、ない」

しん、と一瞬、波が静まって、十代くんの言葉だけが港に響いた。かっこつけな台詞だと思った。けれど十代くんが口にする言葉は何もかも尊くて正しかったし、彼が進むことしかできない質だなんてことは私にもわかっていた。

「ここに来れば、あんたに会える気がしてた」

十代くんが、行ったり来たりする波を眺めながら言った。不思議と私もそんな気持ちになった。私は彼に会うために浜を一人で歩いていたんだ、というかっこつけな気分。
十代くんはふらふら一人でどっかに行っちゃうけれど、私はそんな十代くんが好きだ。好きでいるのも申し訳なくなるくらい好き。自分らしくある彼のようになりたかった。しかしなれるわけもなかった。十代くんみたいな浮世離れした人になれるわけない。なぜならこれが単なる憧憬ではないからだ。
吹雪さんをもてはやす気持ちと少し似ているけど、あれは単純な憧れで、あんな人になれたらとか、そばにいられたらとか、そういった無駄な思考だ。でも十代くんへの気持ちはもっと崇高で純粋で脆くて格調高い。それは十代くんが人間じゃないから。彼はアポロンよりも眩しくてタナトスよりも罪深く私の瞳に映るのだった。

「あんたっていつも一人でいるから話しかけづらいんだよ」

と言って私を見ながら十代くんが少し眉を下げた。

「でももう一度だけ会って話したかった。島を出る前に」

「それ、ぜんぶ私の台詞だよ」と私も返した。ただ、少し嘘がある。私は、彼が一人でいるから話しかけられなかったのではない。彼が美しすぎて、話しかけるなんておおそれたこと、とてもできやしなかったのだ。

「でもあんたのそんなところが好きだったんだぜ。気づいてなかっただろうけどさ」

あんたがそういう、誰も話しかけんなって目、してなかったら、きっと誰しもあんたを囲んで笑いかけただろ、そんなの俺が許せないから。
と、十代くんが吐き連ねた。その言葉が潮にのまれて水平線へと運ばれていく。

「俺もあんたみたいになりたかったなあ。あんたみたいな、誰にも迷惑かけないヒトに…」

そうこぼした十代くんの目は、普段より多少人間っぽく見えた。
だから私は、「私はきみになりたかったよ」とは言えなかった。

時が止まったようにしばらく二人は何も話さなかった。刻々と過ぎる時間への反抗的な願望がただ態度に表れているだけだったが、二人とも永遠なんて叶わないことだとわかっていたので、それがまた悲しくて瞼は熱く緩み、息もできないほどだった。

なんとなく、ちらりと目をやった先の十代くんがたまたまか否かこちらを見ていたので、ほんの一瞬のことだったが二人はまっすぐ見つめあった。光みたいに短い時間。すぐさま互いに目をそらす。けれど、もう空も海も星もすべてが溶けて、世界は際限無く二人を包む小宇宙と化していた。コンマ数秒、二人の心は確かに融解した。私は十代くんの気持ちの何もかもを理解した。今まで数年間おなじ島で過ごしたにもかかわらず知らなかった彼のすべてをたった今ようやく知れた気がした。私の奥底に彼が、彼の奥底に私が流れ込む。そしてそのまま抜けていく。一瞬のこと。待って、まだ彼を知りたい。まだ彼を理解してあげたいのに。と思っても、伸ばす手は届かない。流されていく。もう十代くんが……十代くんが、わからなく、なる。

……。

はっと我にかえったとき、波の音が心地よく耳をくすぐった。私は静かな港で十代くんと佇んでいた。視界が霞んで、我慢しなければすぐにでも泣き出してしまえそうだった。
この時間が永遠に続けばいいのに……なんて願いが頭の隅をかすめる。
けれどそんな私を嘲笑うように波は押して引いてを繰り返し、不意に横で、十代くんがひとつ息を吸う気配がした。

にわかに吹き付けた潮風が勢いよく森へすべりこみ、「そろそろ行くか」と十代くんが呟いた。それは私に向かっての言葉でもあったけれど、実質は彼の中の彼女、もしくは彼への言葉に違いなかった。十代くんはその相方とどこか遠くへ行ってしまうのだ。もう二度と会えないかもしれない世界へ。
十代くんが船に乗る。彼は静かに私を置いて夜の果てに溶けようとしていた。木々が鳴いて私を小突いた。私はふと、唇を開いた。石がつまったように苦しい声帯をむりやり震わす。もう十代くんが、遠い。

「好きだよ……」

そう叫んだ声は彼の乗った船のモーター音に潰された。けれど、すでに数十メートル離れた闇の中でも彼が振り向くのがわかった。
名前を、呼ばれた気がした。もう十代くんの声は聞こえなかった。夜の闇が黙々と広がっていく。私と彼の距離は、恍惚に酔った月でさえ照らせない。
私は息を止めて夜空を仰いだ。億万の星が瞬いていた。船の音もやがて途絶え、ついぞ味わったことのない喪失感だけが夜を満たしている。

それから謝恩会に戻った私は勢いに任せて人混みに突っ込んだ。たくさんの人が泣いていた。たくさんの別れがあった。私も泣いた。たった一つの別れに、たった一つの恋に向けて。
あれから二度と十代くんに逢う日は来なかったけれど、心に深く刻まれた十代くんの横顔だけは、それこそ永遠に忘れることなどできないのだ。


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