「不機嫌な顔だな、クロム」

ガイアがにやにやと意地の悪い笑い方をする。その笑い方が気に食わず、なんと言い返そうか考えていると肩を組むようにされた。

「お、おい止めろ。重いだろう」

結局上手い返しは見つからず、肩を組むのを拒むことしかできない。ガイアはやはりにやにやと笑いながら、ぐっと顔を近付けて、小さな声で言葉を続ける。

「まあまあ。大切な軍師の姿が見えなくて、ご機嫌斜めってところか?」
「なっ!…俺は、別に…」
「まあ、そうだよな。大切な軍師の誕生日だって言うのに、朝から他のやつらばっかりが独占してたら、そりゃあ機嫌も悪くなるよな」
「だ、だから俺は別に機嫌が悪くなどない!…変な言いがかりは止せ」
「へぇ?その割には、すっごい顔してたけどな」
「ガイア!それ以上言うと、俺も怒るぞ!」

肩に回された腕を振り払おうとすると、先にそれを察知したらしいガイアは振り払おうとした俺の腕をひらりとかわし一瞬で距離を取り、けらけらと笑った。心底楽しそうなガイアが腹立たしい。ガイアの言うことは、何一つ間違っていなかった。山々の隙間から、鮮やかな橙色をした夕陽が見える。日は、もうすぐ完全に落ちるだろう。はあ、と無意識のうちに零れる溜息。こんなはずではなかったんだが、と心の中で呟く。

ガイアの言うとおり、今日はあいつの誕生日だった。運のいいことに、今日は屍兵に襲われることも、大きな問題が起きることもかった。あいつの誕生日にふさわしい、穏やかで、平和な日だった。だから、一緒に過ごせると思ったんだ。久々に、二人でゆっくりできると思ったんだ。それなのに。

朝一であいつに声を掛けていたのはサーリャとノノだった。出遅れた、と思ったが、まあ一日は長い。次は俺が、と思っていたというのに、あいつを祝う列は途切れることはなかった。サーリャとノノの次はソールとソワレが、次はカラムとヴェイクが、次はマリアベルとスミアとオリヴィエが…と次から次へとあいつの元へ仲間たちが祝いの言葉を掛けに行くものだから、声を掛けることさえも儘ならなかった。俺だって祝いの言葉を言いたかった。あわよくば一日ずっと一緒に過ごしたかった。いつも軍師として軍の為に尽力してくれているあいつを、思いっきり甘やかしてやりたかった。だが、あいつはずっと仲間たちに囲まれているし、一人になったかと思えば今度は俺が軍のことで仲間に捕まり、と上手くいかなかった。はあ、とまた溜息が漏れる。日も落ちる。一日が終わる。それなのに、まだあいつに声を掛けられていない。あいつの姿さえ、見つけられない。今だって、きっとどこかで誰かと一緒にいるんだろう。誰かに生まれてきたこの日を祝われているんだろう。喜ばしいことだと、分かってはいるが。考えていると腹が立つような、むなしいような、切ないような、なんとも表現しようのない気持ちが込み上げてくる。

「仕方ないな。ひとついいことを教えてやろうか、クロム」
「…いいこと?なんだ、それは」

いつも持ち歩いている菓子をくわえたガイアが、手招きする。

「今から少し前、あっちの森の奥に出掛けるあいつを見かけた。本を持っていたから、読書でもするんだろうな。他に森の方へ出掛けた奴は見てない。…多分、今は一人だと思うぜ」

またからかわれるのかと思えば、予想外のことを告げられた。俺は驚いてただガイアの顔を見つめることしか出来ない。というか、そんな情報を持っているのならばもう少し早く教えてくれても良かっただろう。そんなことを思いながらも、俺の足はガイアに教えてもらった方角に動き出していた。暗くなってしまうと、きっとまたこちらに戻ってくる。戻ってくれば、また他の奴らに囲まれてしまう。それでは困る。少しでいいんだ。ほんの少しでいいから、二人きりで。駆け出した俺の背には、ガイアの声。

「高級砂糖菓子ひとつだからな!」

振り返らずに「分かってるさ」とだけ返す。今度街に立ちよった時には、真っ先に買ってやろうと思いながら。





森と言っても、そこまで鬱蒼としている場所では無かった。木々の隙間から光が差し込み、その光を浴びて小さな花々が咲き乱れている場所だった。こんなところがあったのか、と思いながらあいつの姿を探す。どこからか、ちちち、と鳥の鳴き声がする。神経を研ぎ澄ましても、怪しい気配はしない。ただただ穏やかな風景に、ふ、と息を吐き出す。しばらく歩いていれば、少し開けた場所に出た。目に鮮やかな緑の葉をつけた大樹。その樹の幹に背を預けて、俺が探していたそいつは静かに本を読んでいた。ガイアの言うとおり、一人で。これは、ガイアには高級砂糖菓子ひとつとは言わず、もう少しやらなければいけないかもしれない。

「こんなところにいたのか、名前」

声を掛けると、驚いたように顔を上げる。俺を見て、クロムさん、と俺を呼びながら柔らかな表情を見せる。それだけのことに、心が満たされていくのが分かる。祝いの言葉を言いたかった。一日ずっと一緒に過ごしたかった。いつも軍師として軍の為に尽力してくれているお前を、思いっきり甘やかしてやりたかった。…朝からずっと言いたかった言葉は俺の中に確かに存在していると言うのに、いざ本人を目の前にすると声に出すのが気恥ずかしくなる。あー、だとか、その、だとか、そういう言葉しか出てこない。

「…その、隣、いいか」

出てきたのは祝いの言葉でもなんでもなかった。それなのに、名前は嬉しそうに頷く。そういうところは、初めて出会ったその日からずっと変わらない。そういうところが、愛おしい。そんなことを考えながら、隣に腰を下ろす。風に葉が揺れ、小さな音を立てる。木々の隙間から淡い光が差し込んで、それがあたたかい。俺が隣に座ったからだろうか、名前は読んでいた本をぱたりと閉じてしまった。膝の上に置かれたその本は、今まで見たことのないものだ。

「その本、見たことのない表紙だな。…新しく買ったのか?」

問えば、名前は嬉しそうに頷きながら、リヒトとミリエルからの贈り物だと言った。いつも読んでいるような戦術書ではなく、伝承や神話をまとめた書物らしい。細い指先で、そっと本の表紙をなぞる。その仕草が、とても美しかった。

朝から求めていたその姿をこうして見つけられて満たされた心の隙間で湧き上がってくる感情をなんと呼べばいいのか、俺には分からない。腹が立つようで、むなしいようで、切ないような。俺が探していた間にも、多くの仲間たちに祝われてきたのだろう。喜ぶべきことだと分かっている。名前が仲間に想われ、大切にされている。こんなに嬉しいことはないと思う。それでも、空が橙色に染まるまで会えなかったのは、やはり少し、面白くはない。大切そうに贈られた本の表紙をなぞる名前の手に、自分の手を重ねる。白いその手は、思いのほかあたたかかった。クロムさん、と少し戸惑っているような声で名を呼ばれる。どうしたんですか、とでも言いたいようなその表情に、笑ってしまいそうになった。戦況は読めても、俺の心の動きまでは、分からないか。

「…お前は、誰からも好かれているからな。いや、それが悪い訳じゃないんだ。むしろいいことだと思っている。…思っているんだが…」

あたたかなその手を握る。風が俺たちの間を吹き抜けていく。風に揺られた木々がざ、と音を立て、近くに咲いていた花の花弁がふわりと舞い上がった。すう、と息を吸い込む。真っ直ぐに俺を見つめている名前に向かって、口を開く。

「その、お前は今日一日いろんな奴らに囲まれていただろう。…情けない話だが、…少し、おもしろくなくて、だな…」

そこまで伝えると、名前はきょとんとした後に、くすくすと笑った。

「な、何も笑わなくてもいいだろう!」

自分でも情けないとは分かっていたが、そう笑われると恥ずかしくなってくる。名前はごめんなさい、と謝ってはいるが、くすくす笑いを止めない。笑いながら、俺の指にそっと自分の指を絡めてくる。重ねていただけだった俺の手が、あっという間に、名前の手としっかりと繋がれた。

「…本当は、誰よりも先に言いたかったんだ」

祝う順番なんて関係ないですよと名前は笑うが、やはり一番に祝いたかった。

「朝から一緒にゆっくり過ごせたらと思っていた」

まだ今日は終わらないから、今からでもゆっくり過ごしましょうと言われたが、仲間たちの元に戻ればまた名前は多くの人に囲まれるんだろう。それも夕食時だ、歌えや踊れやの大宴会になるだろう。ゆっくりできるのは、日付が変わってからになってしまうかもしれない。だが、名前はそれでもいいですよ、と笑うのだろう。

「いつも苦労させているだろう。…今日くらいは、お前のことを甘やかしてやりたかった」

いつも甘やかされてますよと頬を朱色に染めながら、名前は静かに微笑んだ。その表情がたまらなく愛おしい。繋がれた手をそのまま俺の口元へと運び、その指先に口付ける。ぴく、と震えた名前に、もっともっと甘やかしてやりたいんだと告げれば、これ以上甘やかされたら溶けてしまいそうです、と返された。その言葉と微笑みに、俺に方が溶けてしまいそうだ。

「…日も落ちるな。もう戻らなければ皆が心配するだろうが…すまん、もう少しだけ、二人だけでいたいんだが…だめか?」

承諾の言葉も、拒否の言葉は返ってこなかった。だが、俺の肩に心地よい重みがかかる。

「誕生日、おめでろう」

朝からずっと伝えられなかったその言葉を告げると、名前からはありがとうございます、という言葉が返ってきた。俺の胸の中はたったそれだけのことで幸福に満ち溢れる。


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