「すごいなあ…」

ほとんど独りごとのような調子で、アズールは呟いた。戦っている時とはまた少し違う、少年らしいその口調と驚いたような表情が可愛らしくて、私はくすりと笑ってしまった。アズールとの旅の途中に立ちよった村では花祭りが行われていた。自然豊かなその村は、一面鮮やかな桃色の花で覆われている。イーリス聖王国ではあまり見かけないその花は甘い香りを放ち、風が吹けば、薄く可憐な花弁が、ふわりと青空に舞い上がる。花祭りとは、春の訪れに感謝し、一年の平和を願う祭りなのだと、祭りを楽しんでいるおばさんたちが教えてくれた。

「旅の方かい?いい時期に来たね、楽しんでいくといい」
「はい、ありがとうございます」

村人からの言葉に、アズールは嬉しそうに笑う。アズールと困った人を救う旅に出てからだいぶ経つけれど、こんなに嬉しそうで、楽しそうなアズールははじめてかもしれない。私の視線に気づいたのか、アズールはこちらを見て、鼻のあたまを掻きながら、へへ、と笑った。

「僕、お祭りなんて本当に久しぶりなんですよ。…みんな楽しそうで、幸せそうで、見ているだけで嬉しくなっちゃいますね」

その言葉に、ほんの少し胸がきゅっとなる。未来から来たアズールは、祭りに出かけて友人と遊ぶとか、そういう経験がないのだろう。彼のいた未来は、そんなことを経験できないほどに絶望に染まっていたのだから。吹き抜ける風は心地よく、木々の隙間から差し込む日差しは柔らかく、はらりはらりと舞い散る花弁の色は、とても優しい。どこかで子どもたちの笑い声がする。小川で魚が跳ねている音がする。穏やかな、優しい日々。未来の彼からそんな日々を奪ったのが、誰かを考えると胸が痛む。私には、こうしてアズールの隣にいる資格なんて本当はないのかもしれない。

「…折角ですから、お祭り、一緒に見て回りましょう、アズール」

アズールの手をぎゅっと握ると、彼は、そうだね、と言って優しく微笑む。すべてが終わって、数か月が経った。私には、彼の隣にいる資格なんて本当はないのかもしれない。けれど、私は彼の隣にいたい。彼から穏やかで優しい日々を奪ったのが未来の私自身だと言うのならば、今の私が、彼に穏やかで優しい日常を与えてあげたいのだ。となりで、ずっと。アズールはそんな私の心に気付いているのか、そっと私の手を握り返してくれた。

村の中心部にある噴水のまわりでは、若い娘さんたちが華やかな衣装に身を包み、村の男性たちが奏でる音楽に合わせて踊っていた。春の訪れを喜ぶかのような軽快な、リズム。屋台を見ていたアズールも、その音楽に足を止める。屋台の料理から軽やかに踊る女性に視線を向けたアズールは、とても真剣な表情をしていた。踊りが、好きなんだなとその表情ひとつで分かる。いつも恥ずかしい恥ずかしいと言うから、私は彼の踊りをちゃんと見たことはないけれど。それでも、きっと素晴らしい踊りをするのだろうことは分かる。足の動きも、指先の動きでさえも、アズールは綺麗なのだ。母親譲りの、才能に溢れているのだろう。アズールの綺麗な、父親譲りの髪を柔らかな風が揺らしていく。

「アズールも、踊りますか?」
「ええ?ここでは、ちょっと…恥ずかしいよ」
「ふたりきりの時も、恥ずかしいって言って見せてくれないじゃないですか」
「それは、そうですよ!ふたりきりの時なんて、…恥ずかしいよ」

彼の母親と同じセリフと言い、彼の父親とよく似た表情で頬を赤く染めて笑う。そんなアズールがとても愛しい。風に乗って、可憐な花弁が舞い散る。それは音楽に合わせて踊っているかのようにも見える。アズールの目には、どんな風に見えているのだろう。この穏やかな、美しい光景を、彼も楽しんでくれているだろうか。春の訪れを喜んでくれているだろうか。私は彼に、奪ってしまった穏やかで優しい日々を与えられているだろうか。そう考えていると、不意に、アズールの握っていない方の手が伸ばされる。美しい動きで、その手は私の前髪に触れた。何事かと思えば、アズールはふふ、と小さく微笑んだ。

「花弁が、ついてたから」
「…ああ、花弁…。突然手を伸ばすから、何事かと思ってしまいました」

アズールは私の前髪から取った花弁を、愛おしそうに見つめて「これ、もらってもいい?」と言い出す。もらうのはいいけれど、何に使うつもりですか、と聞けば、彼は真っ赤になりながら答えてくれた。

「あなたと一緒に過ごす、はじめての春の思い出だから」

まるで春そのもののような、優しくあたたかい微笑みを浮かべて。


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テーマ「人外ファンタジー」
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