耳元にただよう青


 海は相変わらず平穏である。
 スパルトス様のおかげでシャルルカン様の機嫌も幾たらか良くなり自然と口調には敬語が戻ったけれども、さっきまでの態度を気にしてか少しばつが悪そうだ。私は気を遣われるような立場ではないはずなのに、やはりこの国の人間は人が良すぎるのだろう。
 甲板から見渡す海は船の通った跡に白波がたつばかりで、生き物の影も見えなかった。
 このまま何にも遭遇せずに任務が終わってくれれば、それが一番良い。未だ見たことのない南海生物とやらには興味はあるものの、任務のことを考えれば今回はお目にかかりたくはない。人間以外を相手に闘うのは苦手である。
 ふと、シャルルカン様が時折ちらちらとこちらを見ていることに気づいた。どうやら私が握り締めている杖が──正しくはきっと杖に仕込まれた刀身が──気になるらしい。私がその視線に気づいたそぶりを見せると、シャルルカン様は途端に視線を外して波間を見やる。それがなんだか面白くてわざとシャルルカン様を見つめ続けていると、彼は観念したように振り返った。

「どうかなさいましたか、シャルルカン様」
「……なんで、魔法を使うための杖の中にわざわざ刃を隠すなんてことしてるんですか」

 眉根を寄せて問う声色からは、どうも納得できないのだという彼の心の内が滲み出ている。なんと答えを返そうと納得してもらえないような気がしながらも、私は口を開いた。

「私は魔法使いとして訓練されておりましたから、魔法使いになるほか道はありませんでした。ですが、どうしてもこの刃を手放したくなかったのです。……兵士であった父の形見らしいので」

 杖の柄の部分、よく見なければ気づけぬような境目から、するりと銀の刃を引き抜いた。日の光を跳ね返し白く光るそれを、シャルルカン様もスパルトス様もただ黙ってじっと見つめる。
 私は、両親の顔を知らない。そのせいだろうか。王宮に来て一年程経った頃、父親の形見だという剣を与えられたとき、それが何よりも尊いものに思えた。
 実際のところ、その剣が本当に父のものであったのかどうかは定かではない。けれども、この剣は元来この国のものではなく、父の生まれ故郷の東国のものであり、珍しさから父の死後ずっと武器庫に仕舞い込まれてあったのだと他ならぬセレンディーネ様が言ったのだ。セレンディーネ様とて私の両親のことなど知らなかったはずなのに、私を連れて来させた魔導士や過去の戦死者の記録をあたって、私の父のことを調べてくれたらしかった。

「…元々杖にくっついた剣だった…わけねえよな」
「はい、私が手を加えて今のような形に……」
「これ、どのくらいの頻度で使ってる?」

 シャルルカン様が問う。しかし目は銀に煌めく刀身を見据えたままだ。私は、再び手刀が振り下ろされるのではないかと身構えながら、ぼそぼそと答えた。

「それ程多くは……。まだ完成したばかりで、これでどう実戦を組み立てていくか模索しているところです」
「よし、じゃあ南海生物が出たらそれ使って倒せ。一人でな」
「……はい?」
「ちょっと待て」

 すかさず割って入ってきたスパルトス様は、少し焦っているようにも見えた。

「彼女一人に南海生物の相手をさせる気か?」
「それが一番手っ取り早く実力がハッキリするやり方だろ」
「だが、朝議でも王直々に言われたはずだ。彼女には必要最低限の戦闘しかさせないようにと」
「これはその必要最低限の戦闘だからいいんだよ」

 さらにスパルトス様が反論しようとすると、シャルルカン様が「そもそも!」と声を大きくした。

「俺は王サマの義妹で魔法使いで暗殺者のくせに殺されたがりとかいう変な女がどの程度剣を扱えんのか知りたくてこの仕事回してもらったんだよ! これくらい良いだろ!?」
「…それが本音か……」
「ジャーファルさんも良いっつったんだぞ!!」

 それならばなんの問題もあるまいと私は内心でひとりごちた。彼が良いといったのなら、そうして私の剣術の腕前を計るのが今回の目的なのだろう。魔法使いとしての力量はともかく剣術については未知数であるのだから、やはりその道をよく知る者に見定めさせるのが良い。それで恐らく、シャルルカン様に白羽の矢がたったのである。
 南海生物とやらの脅威は全く知らない上に、人以外を相手にするのは得意ではないけれども、やるしかないのだろう。シャルルカン様が引き下がる気配はまるでない。スパルトス様も、ジャーファル様の名が出ると何を言っても無駄と判断したようで、小さく溜息を吐くに留めた。
 私が失敗して船に被害がでてもいけないし、いざとなれば彼らがフォローしてくれるのだとは思う。しかし、失敗して死ぬのならそれもそれで良しだ。そうなればセレンディーネ様から預かった言伝は伝えられず、それが少しの心残りになるとはいえ、私自身の本来の願いが叶うことになるのは確かである。尤も、手を抜こうものならたちまちシャルルカン様に見抜かれ鉄拳が振り下ろされるだろうし、シンドバッドが私が死ぬことを良しとはしてくれないようだから、ただの杞憂かもしれない。

「……シャルルカン様のご期待に沿えないだろうことは予めお断りしておきます」
「手ェ抜くなよ」
「手を抜けるほど自分の実力に自信を持ってなどおりませんよ」

 肩を竦めると、シャルルカン様は疑い深い目で私を見た。無理もない、仮にも私の立場はシンドバッドを狙った暗殺者だ。自信のない者が実行するようなことではないのである。しかし、それは私が本当は自信を持っているということではなくて、そもそも彼を殺す気などなかっただけの話だ。彼に殺されるつもりだったのだ、そんなことに自信も何もあるはずがない。

「あんた──」

 シャルルカン様が何を言おうとしたのかは聞けなかった。今まで私達のやり取りをちらちらと窺いながら各自の仕事をしていた海兵の一人が、急に声をあげたのだ。

「南海生物です! あれは──アバレウツボだ!」

 振り向いた先で波が大きく持ち上がり、しぶきを上げた。そうして波間からぬらりと姿を現したそれは、確かにウツボに似た見た目をしている。しかしその体長は私の知るウツボとは到底比べ物にならないほど巨大で、船に巻き付かれたらひとたまりも無いだろう。
 初めて見る南海生物──アバレウツボは、馬鹿でかい図体をくねらせて船に向かってくる。私は杖──いや、今は剣だ──を強く握り締めて、宙へ飛び上がった。思えばシンドリアに来てからは、修練など何もしていないが大丈夫だろうか。考えるそばから、身体は慣れた通りに勝手に動いた。

140519
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