ひたひたと心臓を染めていくもの


「他に行きたい場所あるか?」
「ええ? そう言われても……」

 途中幾度か街の人に声をかけられながらも、王宮からそう遠くない範囲を一通り案内してもらい、港への行き方、森への行き方も教えてもらった。シンドバッドがくれたお金は未だ一銭も使っていない。ただでさえ侵入者の分際で衣食住の全てを世話してもらっているのだ。これ以上厚かましいことなど出来るはずがない。
 今すぐにでも殺してもらえたなら、もう迷惑をかけずに済むのにと思うけれども、それも無理そうである。ならば自ら死をと考えたところで、持っていた武器は取り上げられたままだし、何より今私の魔力は制限されているのだった。目覚めたときには既に身に付けられていた 自分には覚えのない首飾りが制御装置なのだろう。自力では外せない仕組みのようだから厄介である。なんとはなしにその首飾りに触れると、真珠のような柔らかな白色をしたそれは、ひんやりと冷たかった。
 マスルールはじっとこちらを見ていたが、私が首飾りに触れたのを何かの意思表示ととったらしい。なぜか頷いて、「こっち」と言って歩き出す。首を傾げながらついて行けば、着いた先は土産物屋だった。他にも土産物屋はいくつか見てきたけれどもどうやらこの店は装飾品を主に扱っているようで、首飾りやら髪飾りやら、女性が喜びそうな品々が並んでいる。せっかく連れてきてもらったものの、残念なことに私はこの手の方面に疎い。しかし、これまであまりこういう店を見ることもなかったから、物珍しくてまじまじと並べられた品を見つめた。店の主人のほうは、私とマスルールを物珍しそうに交互に見やっている。
 今までの店でも、同じような視線を向けられてきた。そして、どういう関係かと問われるのだ。マスルールはその度に違いますと即答し、口を噤んだ。そうすると問うた者も追及することを躊躇うのだろう、それ以上は何も言わなくなる。この店の主人も訊きたそうにしていたが、訊いて良いものか迷っているような表情だ。結局、商売に専念することにしたらしく「お気に召す品はありますかな?」と声をかけてきた。

「あ、いえ…、こういうのよく分からなくて」
「はは、じっくり見ていって下され。マスルール様のお連れ様とあらば、いくらかお安く致しますよ」

 こう言われては些か困る。私は何も買うつもりは無いのである。しかし人の良さそうな主人にはっきり言うのも忍びなく、かといってシンドバッドの用意してくれた金を使う気にもなれない。あのお金が何処から捻出されたのかも分からないのだ。仮に国の予算や税金のうちから捻り出されていようものなら、それこそ手などつけられない。
 どうしたものかと考えあぐねながら、とりあえず品を眺める。金細工に銀細工、煌びやかな宝石があしらわれたものや、貝や珊瑚で作られたもの。どれも精巧な造りで、この方面に疎い私にでも良い品だと分かる。中でも薄桃の貝殻の耳飾りが目に留まった。なんという貝なのかは知らない。ただその柔らかな桃色が、私に目をかけてくれた皇女様の御髪を思い起こさせた。
 あの方のように、綺麗。
 しかし、そうしてひとつの品だけを食い入るように見つめていれば、この状況、勘違いされるのは当然のことであった。

「それが気になるのか?」

 店の主人よりも先にマスルールが問うてきたことに少し驚くも、私は慌てて首を振った。彼の手元にはシンドバッドが預けた金がある。私はそれを使いたくないのだと訴えると、マスルールの表情が微かに変わった。分かりにくいが、顔をしかめているようである。
 マスルールはそのままふいと私から顔を背けると、おもむろに懐からシンドバッドが預けたのとは別の袋を取り出した。そして、そこから金貨をいくつか掴んで、耳飾りを指差す。

「これ下さい」
「!?」
「おお、ありがとうございます!」
「ちょっと待っ、」
「これは俺の金だから。それで何を買おうが俺の勝手だ」
「…っ、じゃあマスルールが自分で身につけるのね!?」
「いや、お前にやる」

 主人は顔中で笑って私たちのやり取りを眺め、金貨を受け取って耳飾りを私に手渡した。

「マスルール様も粋なことをなさいますねえ! ひょっとして、恋人ですかな?」
「違います!」
「おやおや」

 照れ隠しととったのか、主人は相変わらずにこにこと笑うだけだ。なぜマスルールは、これまで訊かれたときのように即答してくれないのだ。マスルールを見上げれば、彼はそこでやっと思い出したというように、恋人じゃないです、とゆっくり否定した。そして、今までは言わなかったことを口にした。

「友人です」
「ああ、ご友人でしたか! 邪推が過ぎましたな。失礼しました」

 ──私たちの関係に明確な名前などなかったはずだ。そう思ったときには、私はマスルールに引かれて店をあとにして歩き出していた。マスルールは平然としているけれども、私は落ち着いていられなかった。

「なんで友人だなんて言ってしまったの。貴方の立場が──」
「別に、立場とか興味ない」
「…………シンドバッドが何か言ったの?」
「いや。……ああ、そういえば『エルがこの国に生きていたいと思えるように、友でいてやってくれ』とは言われたかもしれない」
「…………」
「エルは俺が友人だと何か文句があるのか」
「文句なんてないけれど、でも」
「しつこい」
「!?」

 マスルールは言い放つと、歩きながらあからさまに耳を塞いだ。

「ねえ」
「…………」
「ちょっと」
「…………」

 声をかけても無視である。振り向きもしない。ひとまず反論を諦めて、未だ手の中にある耳飾りを見やった。私には不釣り合いなほど優しい色をしている。この薄桃の貝殻は、なんという名前の貝なのだろうか。どうせなら店の主人に訊いてみれば良かったのかもしれない。

「………これ、本当に貰っていいの」
「駄目だったら買ってない」
「聞こえてるんじゃない」
「…………」
「…………、有り難く頂くことにするよ。折角友人が買ってくれたんだものね。ありがとう」
「……どういたしまして」

 さっそく耳につけてみる。些少の重さがこそばゆかった。

140327 
- ナノ -