スパルトスが抱いた印象


 エルハームという名の彼女は、得体が知れない。それが率直な感想だった。暗殺者でありながら暗殺が目的なのではなく、殺されることを望んでいるのだという。その説明から自暴自棄な死にたがりか陰鬱な厭世家を想像していれば、それは見事に裏切られた。船の上で対面した彼女はしゃんとした女性で、身なりはきちんと整えられ、自己紹介程度に言葉を交わした印象も悪くはない。礼儀正しく控え目である。暗殺者だと聞かされていなければそうとは気づかなかったに違いないし、そういう血生臭い話には縁のない人間だとさえ思っただろう。
 同じ仕事を割り振られた自分達の責務であろうと彼女の動向には注視していたが、これといって不審な点は見受けられなかった。強いて言うならば、彼女の魔法の使い方が独特であることだろうか。剣に魔法を纏わせるその様は、まるで金属器や眷属器を振るっているかのようで、シャルルカンが眷属器を発動させたときを思い起こさせた。そのような魔法使いは、これまで見たことがない。とはいえ、見たことがないからといってすぐさま異様とみなすのは短慮に過ぎるし、自分が魔法という分野に関して明るくないことも分かっている。不審だと断言することは躊躇われた。
 それでも彼女のことを得体が知れないと思う。主たる理由は別にあった。
 それは、八人将のうち数人が既に彼女を警戒対象とみなしていないこと──意図的にしろそうでないにしろ、自身への警戒を解かせたことだ。彼女は一定の信用を獲得し始めている。もしも、何らかの思惑があって彼女がそう仕向けているのだとすれば、現状我々が把握している彼女の全てが 取り繕われた偽物である可能性が高い。そう考えると、到底一筋縄でいかない切れ者といえるだろう。あるいは彼女自身には何の思惑もないとしても、警戒を解かせる“何か”があるのだろうと考えればやはり油断ならないし得体が知れない。

 任務を終えたあと、彼女には丸二日の休日が与えられたらしい。つまり任務の翌々日にあたる今日、彼女は休みなのだろう。私はといえば、ここしばらく外勤が続いたために久々の休養が与えられている。だからこうして中庭で彼女と会ってしまうという状況に陥ったのだ、と向かい合った彼女の顎の辺りを見ながら考えた。
 彼女は中庭に一人佇んでいた。よく見れば草を踏みしめるに足は裸足で、靴は少し離れたところに丁寧に揃えて置かれている。何をしているのかまるで分からない。確かに文化や生活様式は様々あり、マスルールのように常日頃裸足で過ごしている者はいる。彼女もそういう生活をしてきたのかもしれないと考えられないこともないが、彼女の出身はパルテビアのはずである。王やドラコーン将軍を始めとしたパルテビア出身者の中には裸足の人物など思い浮かばない。もしも彼女が奴隷として扱われていたというなら話は別だが、露わになっている足首は真っ白で、枷の痕などは見当たらなかった。
 ただでさえ得体が知れない人物なのに、奇妙な行動をしているとなれば尚更関わるのには気が進まない。そもそも女性と関わること自体得意ではないのだ。思わず身構える私とは対照的に、彼女はこちらとの距離を話しやすい程度に詰め、落ち着いた雰囲気をもって一礼した。

「先日はお世話になりました」
「ああ、いや……」

 彼女が顔をあげても、目と目を合わせることはしない。唇は緩やかな弧を描いているように見えるが、それが好意的なものかは分からないし、本心からのものなのかも計りかねた。視線を下げればやはり靴を履いていない足が目に入る。近くで見れば、あまり血色が良いとはいえないことが分かった。幾つかの小さな傷痕があるのも目に付く。新しいものではない。おそらくずっと昔の傷が消えずに残ったのだろう。特別目立つわけではないが、全く目立たないとも言い難いそれ。魔法使いであれば防壁魔法が攻撃を防ぐはずで、しかも彼女の防壁魔法の強度は並大抵でないとのことだったのに、なぜこのような傷痕があるのか。余程の強者が相手だったのか、攻撃とは違う何かが原因なのか、それを知る手立ては私にはない。
 視線には初めから気づいていたのだろうが、ついに彼女は居心地悪そうに身動ぎした。傷痕が気になって些か注視しすぎたようである。何か言わなければと、とっさに出てきた言葉は少し間が抜けていた。

「……なぜ、裸足なのですか?」
「え、……ああ、ええと、特に意味は無いのです。なんとなく……気分転換になるかと思いまして」
「何か悩みが?」
「いえ、悩みという程のものではありません。どうかお気になさらないで下さい」

 否定するわりにどこか思い詰めたような声色だった。彼女のことなど何も知らないに等しい自分がそう思うのだから、彼女と親しい人間ならば更に多くのことに気がつくのだろう。生憎、この国には彼女の胸中をぴたりと言い当てられる人間は今のところ存在しない。
 彼女への警戒を解き、近づいていく者はいる。しかし、彼女は見えない壁で自らを覆い、一定の距離から決して踏み込ませはしないのだった。──もしも彼女が間者ならば、折角の機会を棒に振っていることになる。
 では、彼女は間者ではないということなのだろうか?
 そう結論づけるのは短絡的すぎやしないか?
 自問自答したところで答えなど分かるはずもなく、沈黙が訪れる。すると、彼女がゆっくりと離れていった。靴を履きにいったらしい。トントンと踵をならす音は草に吸収されたのか、殆ど聞こえない。靴を履くと、彼女はまたゆっくりとこちらに歩いてくる。先程よりも少し近い距離で立ち止まると、おもむろに口を開いた。

「スパルトス様は、私を怪しいと思いますか」

 なんの脈絡も無しに、彼女は問うた。ふざけた調子は一切なく、ますます何を考えているのか分からない。しかし、相手が真剣であるならばこちらも真剣に返すのが道理である。

「……率直に言えば、どちらとも言い難いと思っています」
「なぜでしょうか」
「暗殺にせよ密偵にせよ何か重大な任を負っているにしては、覇気がなさすぎる。貴女のような人がシンドリアを相手取るなら、少なからず気負いするものでしょう」
「私の、ような。……私は、大した人間ではありません。言いなりになって、幾つもの命を奪ってきたのですから」

 声色に滲むのは自嘲だった。彼女を最も許さないのはほかの誰でもない彼女自身なのだと悟った。もしもそれさえ我々を出し抜くための演技なのだとすれば、恐ろしい話である。しかしどうも演技とは思えずに、強く握り締められた彼女の拳を見つめた。
 たとえ彼女が自分自身を許せていないとしても、彼女を許そうとしている者達はこの国に存在しているのである。

「貴女の過去も胸中も私には分かりませんが。王や……貴女を信じ始めた者達を裏切ることはしないで頂きたい」

 ハッと息を呑む音を聞いた。
 彼女は何も答えない。ややあって、彼女は返事もなく一礼した。そして無言のまま足早に去っていく。小さくなっていく肩が震えていたような気がした。
 何も答えなかったのは、おそらく演技ではなかっただろう。ここで頷かない演技をしたところで、なんの得にもならない。では、何も答えなかったのは、果たして裏切ることしか出来ないからか、裏切りたくない気持ちと揺れているからなのか。彼女が答えてくれない限り、正解を知る術は勿論ない。

140807 二万打企画/桜さん
- ナノ -