こどものまほう


 さて、これで一体何度目だろう。何人がヤムライハの実験の──厳密にはその失敗の──犠牲になったのだろう。
 銀髪の少年のつむじを見下ろしながら、私は痛む頭を押さえた。目の前にいるのは、色素の薄い、華奢な子供。彼はぶかぶかの官服がずり落ちないように押さえながら、呆然と立ち尽くしている。
 つい一瞬前にここにいたのはシンドリアの有能な政務官殿であった。先日の実験にまたも寝食忘れて打ち込むヤムライハの様子を見に来た彼が、突如もくもくと立ち上った水蒸気に飲み込まれるのを確かに私はこの目で見た。見てしまったのだ。だからどんなに現実から目を逸らしてみようと試みても、真っ白な肌にそばかすが目立つこの子供こそまさしくジャーファルさんその人であることは疑いようもなく、だからこそ頭痛が止まないのである。

「ヤムライハ、どうして貴女がここまで若返りの研究に拘るのか分かりませんが、こうも失敗続きで周りを巻き込むとなると、この研究を禁止せざるを得ませんよ」

 ヤムライハを咎める声は、厳しいわりにひどく幼い。それがとどめになったのか、或いはその内容にショックを受けたのか、彼女はわっと泣き出した。友人としては擁護してやりたいような気もするけれども、二度巻き込まれた身としては何も言えない。
 何にせよ彼女の力無くしてジャーファルさんを元に戻すことは出来ないので、彼女を宥めながら私はもう一度ジャーファル少年を見つめた。
 年の頃が幾つだか定かではないけれども、衣服が大きいためか華奢さが一層際立って、やけに幼く小さく見える。先ずは彼を着替えさせるのが先決だろう。しかし、王宮内に彼の身の丈に合う服があるのかは甚だ疑問である。

「あの……ジャーファルさん、ひとまず着替えましょう」
「そうですね。さすがにこのままでは動きにくくて仕方ない。確か難民支給用に子供服が多少備えてあるはず…」
「あ、そのまま歩くのは危な──」

 小さくなれどもジャーファルさんはジャーファルさんで、すぐにせかせかと動き出した。が、それが良くなかった。背丈が縮んで大きさが合わなくなったのは服だけではないのだ。歩き出した途端、頭の上にかろうじて載っていたクーフィーヤがずれてすっぽりと顔を覆い、ぶかぶかの靴で躓き、挙げ句ずるずると引き摺った官服の裾を踏みつけて、彼は盛大に転んだ。
 慌てて駆け寄って膝をつき抱き起こすと、おでこと鼻の頭が真っ赤になっている。白い肌には赤がよく映えて、余計に痛々しく見えた。

「だ、大丈夫ですか」
「……だいじょぶ、です…」

 鼻を押さえながらよろよろと起きあがろうとするけれども、足元が覚束ないものだから早速また裾を踏んで転びそうになった。咄嗟に抱き留めると彼はぎょっとしたように目を見開いた。危なっかしくて見ていられたものじゃないのである。

「その格好で歩くのはやめた方が良いですよ。ほら、抱っこして行きましょう」
「は!? 何言ってるんですか、嫌ですよ! 一人で歩けます!」
「意地張らないで下さい。また転びますよ」

 問答無用で抱き上げると、ばたついて力一杯の抗議をしてくる。普段であれば私が押し負けるに違いないけれども、何せ今は大人と子供である。ぎりぎり私のほうに歩があったようで、直ぐに観念したのか不服そうな顔をしながらも大人しくなった。いつぞやは私が何を言っても聞かずに横抱きにしてくれたのだから、これでおあいこである。
 一人楽しくなって小さく笑うと、ジャーファルさんは眉を一文字にして顔を背けた。そんな仕草もいじらしく思えてしまうのだから、子供の姿というのは不思議なものだと思う。
 よいしょと立ち上がると、床には大きさが合わずに脱げてしまったらしい靴が転がっていた。私の足より大きい靴なのだ、そりゃあ子供の足には合うはずもない。拾い上げれば、ジャーファルさんは無言でそれを受け取ってクーフィーヤと一緒に自分の胸の前で抱えた。その手の小ささといったら。

「それで、その子供服の備えはどこに?」
「……白羊塔の隅の部屋です。私が口頭で案内しますから大丈夫です」
「……不機嫌?」
「上機嫌でいられるわけないでしょう」

 ジャーファルさんは決して目線を合わそうとはしないけれども、不満がありありと滲んだ声音からどんな表情をしているかはだいたい予想がついた。まあそれもそうですね、と相槌を打ちつつ、ヤムライハの部屋を後にする。廊下には誰もいなかった。

「ところでジャーファルさん、今お幾つくらいですか?」
「馬鹿にしないで下さい。貴女と二つしか違いませんよ」
「……いや、まあ、それはそうだけれどそうではなくて」
「意識はしっかりしてますし中身は若返ってません。子供扱いしないで下さい」

 なんとも頑なである。とりつく島もない。

「一人で歩かせろって言ってんです」
「あのね、そうは言ってもその服じゃまた裾に躓くでしょ。鏡でも見てごらん、おでことお鼻が真っ赤ですよ」
「……貴女は私の母親ですか」
「そうですね……もしもこのまま元に戻れないなんてことになったら、その時は母親に立候補したいですね」
「お断りしますけどね」

 はあ、とジャーファルさんは大きく溜息をつき、そしてようやく彼は私を見た。ぐっとしわの寄った眉も今は可愛らしく見えて仕方ないのだけれども、流石にそれを口に出すようなことはしない。それでもつい、どうしましたかと髪を梳いた。ジャーファルさんは何やら唸って、口を開いた。

「……エルハームさん。何度でも言いますよ。私は貴女と二つしか歳の変わらない、大人で、そして、男です」
「そうですね」
「今は子供に見えるかもしれませんがね、中身は年相応なんですよ」
「そうみたいですね」
「……だから、その…もう少しこう…距離感を考えるべきだと思うんですが」
「……距離感?」
「………顔が近い。あと……ずっと、当たってます、胸が」

 彼にしては珍しくもごもごと言って、その顔はもはや打ちつけたところが目立たないような色をしている。
 なるほど、不機嫌というよりも、気まずさを堪えていたのか。
 ジャーファルさんの言ったことは恐らく尤もで、私は恐縮したり恥じらったりするべきなのだろう。しかし現状では、子供のませた言葉にしか聞こえないのだ。私が抱く感想はただひとつ、──なんて可愛い。例えば今こうして幼くなったのがシンだったとしよう。恐らく彼は胸が当たろうが顔が近かろうが気にしないどころか、抱きかかえてくれる女性が美人であればある程役得だと笑うに違いないのだ。
 それに比べてジャーファルさん、いや、ジャーファル少年。なんて微笑ましいのだろう。思わず笑うとジャーファル少年が舌打ちをした気がした。それでも仕方ない、不謹慎だろうがなんだろうが、可愛らしいものは可愛らしいのだ。

「ジャーファルさんはおませさんですね」
「…………降ろせ、今すぐに」

150320 一周年企画@柚子さん
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