儚い恋
真田くんとは小学校からクラスが一緒になることが多く、帰り道も同じだった。ただそれだけの関係。別に真田くんを追って入ったわけではないけれど、同じ中学に入学して、三年間クラスが離れることなく中学校生活最後の夏がやって来た。かと言って特別仲がいいわけでもなく、まだ少し幼かった頃の真田くんを知っているというだけで心の距離で言えばただのクラスメイトとそう変わりないと思う。
そんなわたしにも、ほんの少しだけ真田くんとの距離が近くなったことがある。小学一年生の夏休み前、朝顔を家まで持って帰るのに苦労していたわたしに手を貸してくれたのが真田くんだった。
わたしのずっと先を歩く真田くんの背中を、朝顔に遮られながらずっと見ていた。同じクラスの近寄りがたい男の子、それがその頃の真田くんの印象だった。
視界が悪く、そのうえ真田くんのことを見ていたからか小石があるのに気付けなかったわたしは、躓いて転んでしまった。大きな音を立てて倒れた朝顔。真田くんが振り返る。わたしは怒られるような気がして身を縮こめた。近付いてくる真田くん。擦りむいた膝の痛みなど全く感じないほどの緊張感だった。
「大丈夫か?」
「え……」
予想外に優しい言葉をかけられて、動揺を隠すことができなくなった。真田くんはわたしの前に倒れたプランターを起こし、手を差し伸べてくれた。
「随分と派手に転んだようだな。……立てるか?」
真田くんの小学生らしからぬ大人びた話し方がとても印象的だった。彼の手を取り、立ち上がって礼を言う。
「ありがとう、真田くん」
「それより、膝を擦りむいてるぞ」
真田くんが視線を落とす。
「あ、大丈夫。絆創膏持ってるから」
ランドセルを下ろし、中から絆創膏を取り出す。ハンカチで傷口を拭いてからぺたりと貼り付けた。そのとき、真田くんの足にも擦り傷があるのに気が付いた。
「……あ、真田くんも足、怪我してるよ」
「ああ。この前テニスの練習中に擦りむいたんだ」
真田くんがテニスをしていると知ったのはこのときだった。
「じゃあ、はい」
「え?」
「絆創膏、一枚あげる。次怪我したときに使ってね」
わたしが絆創膏を渡すと、真田くんは「ありがとう」と少し小さめの声で、照れたように言った。それがきっかけで、真田くんに対する怖い印象が全く無くなった。
それから次の日、もう一度お礼を言ってそこから親しくなるわけでもなく終わってしまった。中三になった今でも九年前の出来事を引きずっているのは、わたしはあのとき間違いなく真田くんに恋をしたからだ。とは言っても、彼と話すことも少ないし、その姿を目で追うだけで精一杯で、何度も諦めた。でも時々、世間話でも何でもないただの事務的な会話をするだけであの日助けてくれた真田くんの姿を思い出して、また恋をしてしまう。この繰り返しが最早癖になっているようだった。
「名前?」
部活からの帰り、校門を出たところでよく知った声に呼ばれて振り向いた。初めて恋をした日よりもずっと大人びた彼がそこに居る。
「こんな時間に会うとは珍しいな」
「部活、長引いちゃって。真田くんも?」
「ああ」
空はすでに暗くなり始めている。テニス部が遅い時間まで練習することが多いのは知っていたけど、まさか時間が被るとは思っていなかった。
「……もう日が暮れるな」
「そうだね」
「夜道の一人歩きは危ないだろう」
「そう、だね」
「どうせ帰る方向は同じだ。途中まで、一緒に……」
真田くんらしくもなく言葉に詰まりながらの誘いに、心臓の音がどんどん早くなっていく。
「一緒に帰るか?」
ようやく言ってくれたその言葉に、わたしは「うん」と頷いた。
ほら、また簡単に恋に落ちてしまった。
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