美しい変化


世界が、ひっくりかえる。

そんな、感覚。


いや、実際には世界なんか二転三転してるし、江戸に関してはもうひっくり返り過ぎてどっちが前だかどっちが後ろだか俺にだってわからないぐらいだ。
それなのに、こんなところまで引っくり返るとは。


「雨が、強くなってきましたね。」


ぼんやりと、天を見上げながらそうぽつりと言う。
世界が引っくり返るのだとしたら、きっとこの雨は下から上へ降るのだろう。
…だめだ、落ち着け。


「誰か、お迎えに来られるのですか?」
「…いいや。」


見回りの途中でやられた。
傘を持って行けと言ったナントカって天気予報士を信じなかった俺が悪かった。
どうせ、山崎は来ない。どこかであんぱんだかちくわだかをモサモサ地味に食ってやがるだろうし。
近藤さん、…は自営業(ストーカー)で忙しい。
総悟が来た暁には、俺の命の保障はない。
テツか、終か、原田か…ぐらいか。
煙草を取り出して火をつけようとして、隣に女がいることを思いだしてそれを仕舞う。
さすがに、ここで吸うには気が引けた。
気をつかわなくていいんですよ、だなんてそいつは優しい言葉を付け足すが、生憎動転している俺には聞こえていない。

それこそ。再会だった。

確か、まだ俺が前の家にいた頃だ。
色んなものを失う前の話。
こいつ、名前は確かに俺の隣にいた。
俺を「とうしろうくん」とひらがな表記がとても似合う呼び方をしていた。
一緒に腐ったミカンで野球をしたり、木登りして落っこちたり。
お互いが泥だらけになるぐらいに遊びまわった。

…そんな、あいつが。
こんなに綺麗になっているなんて、一体誰が想像しただろう。
こいつが名前だなんて、すぐにわかった。
あの頃から癖づいている名前の仕草が、あの時の記憶を全部呼び覚ましていきやがった。

「お前は、」
「え?」
「お前は、迎えに来るようなヤツはいねえのか。」

幸か不幸か、名前は俺には気付いていないようで、それだけで俺は何だか歯がゆいというか、なんとも言えない気持ちになった。
忘れていたらどうしよう、とか。引かれたらどうしよう、とか。
案外女々しい事を考えている自分が随分と可笑しい。

「いるのなら、貴方のような素敵な人がいいですね。」
「…どーいう意味だ。」

思わずその横顔を見て、しまったと背ける。
あの時の名前のまつ毛はこんなに長かっただろうか。
憂いを帯びた目尻をしていただろうか。
色気のある唇をしていただろうか。
…俺は、こんなことを考えるような変態だっただろうか。

「わたしには、そんな素敵な人はいませんよ。」
「そーかい。」

この今の俺の気持ちに、どんな名前が付くのだろう。
きっと、微妙に揺れ動いて、どっちつかずの気持ち悪い名前になるのだろう。

「江戸に来て、今日で二日目なんです。だから道も何もわからなくて。」
「ひとりか?」
「…ええ。まあ…。」

何が言いたいんだ、俺。
だから、落ち着けって何度も言ってるじゃねぇか。

「その、えっと。あれ、だ。」

名前が見上げる。
その次の言葉を待つように、小首をかしげる。
それですら目を奪われて、思わず明後日の方向を見る。
そんな俺の滑稽な姿を見て、可笑しいと笑いだす名前。

「どうしたんですか。変ですよ。」
「べつに、雨がやむまで、」

一緒に待ってやる。だなんて、今の俺に言えるだろうか。
妙に高まった気持ちとプライドが邪魔をする。

「優しい人ですね。」
「そんなんじゃねーよ。」
「いいえ、とても優しい人です。今も、むかしも。」

この見上げられた瞳にきっと心を奪われる。
分かっているのに、その目を見てしまう。
…ああ、もう。
どうにでもなってしまえ。

「とうしろうくん。」

その変化のない呼び方に、世界が引っくり返って、とくりと何かが胸に落ちる音がした。

 

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