◆◇ かおり香る甘々ベッドルーム
一通り洗濯物を終えて、畳んだ服を持っていくために侑士の部屋に入った。侑士が纏う甘い香りがふわりと私を包む。彼は出掛けているので当然部屋に人は居らず、何故だかたまに覗く時よりも部屋が広く感じた。仕事の邪魔になるといけないので普段この部屋に入ることも滅多になく、キョロキョロ見回しながら部屋の中を歩いた。チェストの上に畳んだ洗濯物を置いておいて、侑士のデスク前の大きな椅子に座ってみる。
「うわー、社長みたい」
パソコンの大きな画面が並ぶデスクに向かうと出来る人間になったような気分になるから不思議だ。跡部くんの書斎もこんな感じなのかなあ。社長ってすごい。侑士が跡部くんに触発されて最近デスク周りの物を買い直していたけれどこのふわふわの、背もたれに包みこまれるような椅子は買い直して正解だったようだ。私もこんな椅子が欲しい。仕事しないから必要ないけど。
「ゆーうし」
椅子でくるくる回りながら、ぽつりと彼の名を呼んだ。侑士、まだ帰ってくる時間じゃないよね。侑士を思い出すと段々恋しくなってくる。回る椅子を止めるとベッドが目の前に来た。ちょっとだけ、ちょっとだけならいいかな。
「お邪魔しまーす」
何となく遠慮がちな気持ちになりながらもベッドに飛び込んだ。ベッドのスプリングが揺れる。どこからか香る侑士の匂いに触発されて、うつ伏せのまま枕に顔を埋めた。あー、ちょっとだけ侑士の香りがするような気がする。普段は私と一緒にここじゃないベッドで寝ているからあまりこのベッドは使われることがなくて、そのせいで侑士の残り香があまりないんだろう。
でも侑士がこのベッドで寝ていたと考えるとなんか、なんかいいよね。まあいつも一緒に寝てるんだけど。掛け布団の下に潜り込んで目を閉じれば、いつの間にか眠りに落ちていた。
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ふわふわと優しく髪を撫でる感触がした。柔らかい手つきが心地いいから、このまままた眠ってしまいたい。しかし低い声がぼんやりと私の名を呼んだような気がして、睡魔の誘いを名残惜しく思いつつもゆっくりと目を開けた。深い青が薄暗い部屋の中でなんとなく認識出来た。頭がぼーっとしていてよく働かない。ただこの青が好きだなあと思って手を伸ばした。少しごわっとした感触。
「でも綺麗」
「ああ、おおきに」
「おーきに?」
"おおきに"って何だっけ。んー、よく思い出せない。でもまあ、いっか。ただ青の感触が好きでひたすら手を動かしていると、目の前の人が笑った。低い声。
「名前寝惚けてるん?」
「名前?」
「君は名字名前。俺は忍足侑士やろ?」
「ゆーし?」
「ん」
ああ、そうか、侑士ね。忍足侑士。私の恋人。思い出せば頭もはっきりしてきて、ベッドに寝る私の横に、同じように侑士が寝転んでいることがわかった。肘をついて少し上から私を見下ろしている。薄暗いからはっきりとは見えないけど、うっすら微笑んでいるように見えた。その胡散臭い笑顔が面白くて、なんとなしに丸眼鏡を取った。手を伸ばして近くのデスクに置いておく。侑士が私の頬を撫でた。
「侑士、眼鏡ない方がイケメンなのに」
「イケメン晒しとったら視線集めすぎて名前が妬くやろ?」
「あー、確かに」
胡散臭い眼鏡かけてても十分モテるもんね。私割とヤキモチ妬きだからなあ。寝てる時くらいしか見れない素顔をここぞとばかりにじっと見つめていると、恥ずかしいのか「あんま見んといて」と言いながら私の目を片手で覆った。また暗闇に包まれる。せっかく侑士の顔を観察しようと思ったのに、素顔を見られるのが苦手なのは知ってるけど、意地悪だ。
「ゆーうーしーくん?」
「名前なんでこの部屋におったん?」
からかうようなトーンで名前を呼べば、あっさり話を逸らされた。暗闇の中で目を閉じながらの会話。
「ん?んー、洗濯物持ってきに来た」
「洗濯物?」
大体の場所を指差せば確認したのか「ああ」と納得した声がした。そういえば自分で言っておいて何だけど洗濯物持ってくるために部屋に入ったんだよね。結局長居しちゃってるけど。全然関係ないベッドに入っちゃってるけど。侑士もそのことが気になっているのか、当然質問された。
「ほななんでベッドに寝てるん?」
「なんでって言われてもねえ」
「言えへんのかいな」
侑士がゆったり笑ったのでそんな侑士に甘えたくなって、勢いよく起き上がり寝転がる侑士の上に乗っかった。横を向いていた身体が仰向けになる。しかし侑士はまったく驚いた様子もなしに、余裕そうに自分の頬にかかる私の髪を撫でている。
悔しいので鼻と鼻がくっつきそうなくらい顔をギリギリまで近づけてみた。瞳の中に私が映ってるのが見えそうなくらいの距離感。自分でやっておいてアレだけど、心臓がうるさいくらい高鳴っている。緊張を誤魔化すようにかわいこぶってみた。
「食べちゃうぞ?」
「ほんならどうやって食べてくれるん?料理得意やんな」
「お、忍足侑士の丸煮?」
「何で煮るんや」
「えっと、じゃあ忍足侑士のお浸し!」
「何に浸すん?」
「わ、私の愛‥‥とか」
臭い台詞に照れ臭くなって侑士と距離をとろうとすると私の後頭部に手を回してぐっと引き寄せ、耳元であの低い色気のある声で囁いた。
「ほんならはよどっぷり浸してくれへん?」
ぞわっとした感覚が身体に広がっていく。一気に鳥肌が立った。「降参!」とさっさと白旗を上げ侑士の胸を手で押して抵抗すれば、侑士は楽しそうに笑って「出来へんなら俺がお手本見せるわ」なんて言ってきた。瞬間上下が入れ替わって侑士に押し倒された形になる。
焦って名前を呼ぶと噴き出すように笑って「冗談や。さっさと夕食作ろか」と身体を起こし、私の手を引いて起こしてくれた。な、なんだ。冗談か。侑士が言うとこういう言葉もにわかに冗談とは思えないんだから困る。うるさい心臓を落ち着けるために深呼吸を繰り返していると「決戦は今夜やな」なんてわざとらしく侑士が呟いたせいで深呼吸の甲斐なく、心臓がまた騒ぎ出した。