_伊助は不意に手を止めた。
_斜め読みで半ばまで差し掛かったところで文頭に戻り、今度は一から丁寧に文章を追っていく。
「……すごい」
_伊助は所属するゼミの久々知先生が受け持つ授業の提出レポートの採点を手伝っている最中だった。ネットから引用してきたような似たり寄ったりの内容が多い中、そのレポートは明らかに他とは一線を画している。
_慌ててレポートの作成者の学籍番号と氏名を確かめる。黒木庄左ヱ門。学籍番号から判断するに、彼は伊助の属する教育学部ではなく法学部に所属しているようだ。
「他学部で、しかも僕と同じ学年……」
_それなのにこのレポートのクオリティなのかと伊助は半ば唖然とする。担当教員である久々知のゼミに所属している自分でも、これほど理路整然とテーマに対する自分の考えをまとめることは難しいだろう。
「ん? 採点で何かあったか?」
_コーヒーを片手に久々知がひょっこりと顔を出す。伊助はその久々知に向かって「先生。このレポート、すごいんですよ」と興奮気味に言いながらレポートを差し出した。それを受け取って頭からざっと目を通した後、久々知は感心したように頷いた。
「うん、よく書けているね。これなら文句なしに秀をつけられる」
_それから何気なく表紙を見て、「ああ。鉢屋研の黒木くんか」と改めて納得したように再度頷く。
「先生、知っているんですか?」
「法学部の鉢屋は俺の同期でね。黒木くんはとても優秀な生徒だと鉢屋がよく自慢しているよ。俺の授業に興味があるからって他学部なのにわざわざ届出をして受けているし」
_へええ、と伊助は目を丸くして感心する。久々知はレポートを伊助に返すと、「悪いけど、採点の続きよろしくな」と言い残して姿を消した。
_伊助はもう一度レポートに目を落とす。紙面から、作成者の頭の良さが滲み出ているような気がした。
(法学部の黒木庄左ヱ門くんって、どんな人だろう)
「久々知先生、このレポート、コピーとってもいいですか?」
_部屋の奥に向かって伊助が声をかけると、棚の陰から「おー」という声が返ってきた。


「ああ、伊助が騒いでいるレポートを書いたのって、庄左ヱ門だったのか」
_食堂で伊助と向かい合って席に着き、大盛りのカレーを流し込むように食べていた団蔵はあっさりとそう言った。
「え! 団蔵、黒木くんのこと知ってんの?」
「うん。だって高校一緒だったもん」
_口の端に付いたカレーをぺろりと舌でなめとり、団蔵はうんうんと一人頷く。
「ていうか、そんなにレポートのこと喋ってた?」
「そうだよ。伊助、最近ずっと言ってるもん」
_例のレポートがずっと気にかかっていたのは事実だが、そんなに何度も話題に上げている自覚は伊助になかった。言い訳ではないが、彼のレポートは伊助が研究している分野についても触れており、興味が湧くのと同時に伊助自身とても勉強になり、その延長で一体どんな人物がこのレポートか気になっただけなのだ。
「黒木くんってどんな人?」
「んー? どんな人っていうか」
_団蔵はそこで言葉を切り、俄かに食堂内をきょろきょろと見渡した。その様子を伊助が訝しげに眺めていると、やがて団蔵は目的を発見し、「ほら、あそこ」と食堂の入口を指差した。
「あれが黒木庄左ヱ門だよ」
_団蔵が指示した先にいたのは、髪をぼさぼさに乱し、覇気のない様子でふらりと食券を買う列に並んだ痩身の男だった。
「……なんかやつれてない?」
「鉢屋研って忙しいらしいからなあ。することは多いのに鉢屋先生がちゃらんぽらんな人で、ゼミ生が苦労するらしいよ」
_野菜も摂れと言って伊助が無理やりつけたサラダをむしゃむしゃと食べながら団蔵がそう言う間も、伊助の視線は庄左ヱ門から離れない。
_学食のメニューの中で一番安くシンプルなラーメンを手に空いている席に着いた庄左ヱ門を見ていると、伊助の生来の世話焼き魂がうずいた。
「ああ、お昼ご飯がラーメンだけなんて。疲れているときこそちゃんと食事をとらなきゃいけないのに」
「そんなに言うんなら伊助が飯作ってやれば? 庄左ヱ門、一人暮らししているはずだしさ」
_団蔵の言葉に、伊助は考え込む。自分が料理や洗濯、家事全般をこなすことが苦にならない、むしろ好きだということもあるが、伊助は生活能力が低い人間を何故か放っておけない性分だった。
「団蔵、黒木くんの家知ってる?」
「知ってるけど。何で?」
「今度何か作るからさ、団蔵、黒木くんに持って行ってくれない?」
_伊助が大真面目な顔をしてそう言うので、団蔵は自分から提案したことながら「よくやる」と思わず呆れてしまった。
「まあいいけどさ。伊助、世話焼きだなあ。そのうち犯罪とかに巻き込まれるなよ」
「ええ? 大丈夫だよ」
「まあ庄左ヱ門はいいやつだし、心配ないけどさ。ていうか庄左ヱ門に作る前に俺に何か作ってよ」
「実家暮らしのやつが何言ってるんだよ」
「えー。俺も一人暮らし始めようかなー」
_ぶーぶーと口を尖らせる団蔵を無視して、伊助は再び離れた席の庄左ヱ門に目を遣った。当の庄左ヱ門は、不味そうに麺を啜っている。


_高校時代の同級生を通じてもたらされた差し入れは、研究に疲れた庄左ヱ門を見事に回復させた。顔も知らない相手からの親切に、改めて食事の大切さを思い知らされる。
「あ、団蔵! これ、二郭くんに返しておいて」
_キャンパス内で出会った団蔵に風呂敷に包まれたタッパーを渡すと、団蔵は「あいよー」と快く応えた。
「それから、二郭くんにありがとうございましたって伝えておいて。とっても美味しかったって」
_二郭くんって親切な人だね、というと団蔵はまるで自分が褒められたように満更でもなさそうな顔で「そうだろう」と胸を張った。
「庄左ヱ門、久々知先生の授業受けてるんだろ?」
「うん」
「伊助は久々知先生の採点手伝っていて庄左ヱ門の書いたレポートを見たんだって。庄左ヱ門のレポートを褒めてたよ」
「そうなんだ」
_庄左ヱ門は照れくさそうに笑った。学部の違う相手とレポートを通して知り合うなんて奇妙な縁だなあと思う。
「団蔵。もしよかったらまたよろしくお願いしますって、二郭くんに伝えてくれる?」
_控え目にはにかむ庄左ヱ門に、団蔵は「伝えとく」と気安く請け負った。

20130402


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