「木下せんせい、僕は留学しようと思うんです」
_クラスの人数分の課題をきっちり揃えて職員室にやって来た尾浜は、労いの言葉をかけようと口を開きかけた木下に向かって、開口一番そう言った。
「留学?」
_ご苦労の一言は途端に遥か彼方へ飛んで行って、木下は目を丸くした。
_尾浜は派手好きで制服を好き勝手着崩したり、じゃらじゃらとアクセサリーをつけて登校してきたり、校則をろくに守らないある意味では問題児だが、頭の悪そうな外見に反して成績優秀で提出物の期日もよく守る。同級生からの信頼も厚く、学級委員としても実に有能だった。
_これまでの進路相談で留学という選択肢が挙がることはなかったので木下はその唐突さに驚いたが、一呼吸置けばそれほど意外ではなかったようにも思う。尾浜という人間が国内に収まって満足するとはとても思えなかったからだ。
「留学か。確かにそれもいいだろう。親御さんとは話したのか?」
「いいえ、まだです。これから相談します。一番に木下せんせいに報告したくて」
_尾浜は思い立ったら吉日を地で行く、有言実行タイプである。尾浜がそうと決めて木下に宣言したからには、尾浜は何があろうと自分の思ったとおりに行動するはずだ。
_優等生として高校を卒業し、いい大学に進学しやがて就職する、なんて決められた道筋は尾浜には窮屈だろう。尾浜が自分で決めたことだ、それならば担任教師として出来る限り尾浜の支援しよう。
_木下がそう言うと、尾浜はへらりと破顔した。頭の回転が早く妙に大人びたところのある少年も、笑えば年相応の顔になる。
「せんせい、いっこお願いがあるんです」
「ん。何だ」
「僕の留学が決まったら。せんせいの住所を教えてもらえませんか」
_尾浜の留学と木下の住所。関連性がわからなくて木下は眉をひそめた。「何故だ」尾浜は楽しそうに木下の眉間の皺を人差し指でぐりぐり伸ばした。
「せんせいにお手紙を書きたくて」
_どことなく幼い物言いに、木下は一瞬面食らった。ついでに、尾浜の手を取って眉間を撫でるのを止めさせる。
「駄目ですか」
_尾浜は見るからにしゅんとうなだれた。何となく、木下は尾浜が弱っている状態に弱い。普段が天真爛漫な分、その落差に戸惑ってしまうのだ。
「いや、まあ、いいだろう。決まったらな、教えてやろう。それにしても手紙か」
_メールが公私を問わず広く使われる昨今、手紙をもらう機会はごく少ない。木下自身筆を取ることは滅多になく、精々年始の挨拶程度だ。今時はそれすらメールで済ます若者が多いというのだから、高校生の、それも男子が手紙を書きたいというのは長く教師をしている木下にも少し意外だった。
「尾浜は筆まめな方なのか」
「いいえ。手紙なんてほとんど書いたことがありませんねえ」
_あっけらかんと答える尾浜に、木下は不可解だというようにまた眉間の皺を深くした。それを見た尾浜は嬉々として木下に手を伸ばす。ぐりぐり。
「それなのに、手紙を書きたいのか」
「はい。異国での生活に慣れたとしても、ふとしたときにきっとこの学校生活を、木下せんせいを、無性に懐かしむことがあるでしょう」
「まだ留学自体決定していないのに、気の早い話だ」
_思わず木下が笑いをこぼすと尾浜もつられて笑い、今度は自分から手を下ろした。
「だって、ロマンチックじゃないですか」
「手紙を書くことが、か?」
_今時の子にとっては手紙を書くという行為そのものが古風に感じられるのか、と木下は自身が筆無精であることを棚に上げてジェネレーションギャップを感じた。
_尾浜はそんな木下の表情を読みつつ、「まあ、そうですね」と頷いた。
「せんせい。僕は、僕を知っている人が誰もいない遠い遠い場所で、せんせいのことを想って手紙を書きたいんです」
_ロマンチックでしょう、と尾浜は笑う。木下は咄嗟に答えるべき言葉が見付からず、逡巡の末、尾浜の頭にポンと手を乗せた。
「せんせいは狡いなあ」
_言葉に反して楽しそうに笑い、「約束ですよ。留学前にはきっとせんせいの住所、教えてくださいね」と言うとサッと身を翻して軽やかに職員室から出て行った。
_あっという間に取り残された木下は尾浜を撫でたその手で自分の頭をかき、留学を進めるためにいろいろな仕事が増えるなあと小さく溜め息を吐いた。
_精々、手紙が届くのを楽しみにしていよう。
_跳ねっ返りの尾浜が、他のどの教師の前でも一人称は「おれ」で通すくせに、木下の前でだけ優等生ぶって「僕」と言うこと。そのわりに、せんせい、という発音が妙に舌足らずなこと。
_そんなところを木下は密かに可愛いと思っている、なんて話は、尾浜からの手紙が届くまで取っておこう。


20130315

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