_たった一人。あの人が迎えに来たのは、善法寺伊作先輩だけだった。

_伊作先輩の卒業前、あの人は足繁く学園へ通った。
_初めは遠回しに、最後に近付くにつれて直接的に、あの人は何度も何度も伊作先輩を誘った。君は忍者に向かないねと言う同じ口で、タソガレドキへ、うちにおいでよ伊作くん、と言う。
_伊作先輩はその度に笑って、しかし確固とした口調で、僕はタソガレドキへは就職しません、とタソガレドキ忍軍組頭直々の勧誘を断り続けた。
_伊作先輩の卒業の前日にもあの人は学園を訪れ、伊作先輩への驚くべき執着を見せた。それでもやはり先輩の回答は変わらず、伊作先輩は首を横に振り続けた。
_その翌日、六年間共に学んだ他の先輩方と並んで、伊作先輩は晴れやかな笑顔で学園の門をくぐられた。
_僕ら保健委員の後輩も伊作先輩の就職先を知らなかったけれど、その後、伊作先輩は戦場医になり学園にいた頃と変わらず戦場で敵味方なく怪我人を手当てしているそうだと風の噂で聞いた。
_伊作先輩らしい、と笑って伊作先輩の武運を祈る乱太郎や先輩方の横で僕が思うのは、伊作先輩に随分と執着していた、曲者さんのこと。忍のくせにたった一人に執心して、結局伊作先輩を手元に置いておくことに失敗したあの人は、今頃さぞかし悔しがっているだろうなあとうっとり思いを馳せた。
_予想出来たことであったけれど、伊作先輩の卒業後、あの人はパッタリと学園に姿を現さなくなった。結局、あの人の目的は伊作先輩だけだったのだ、当然だろう。あの人が使っていた湯飲みは新しく入った後輩のものとなった。

_それから五年の歳月が流れ、僕はかつての伊作先輩と同じ学年になる。
_卒業を控えたある日、一人医務室で当番をしていると、天井裏に不審な気配。懐かしい曲者さんが、音も立てずに天井から降り立った。
「やあ伏木蔵、久しぶりだね」
「粉もんさんじゃないですかぁ。随分お久しぶりですねえ」
「その呼称も懐かしい。そう言わないでおくれよ、私もこれで、この数年飛ぶように忙しかったんだ」
_粉もんさんは僕に何の了承もとらず、当然の如く腰を下ろした。残念ながら川西左近先輩はもう卒業されているから、闖入者にわざわざお茶を出してやるような人はいない。無論、そんな甲斐甲斐しさは僕にはない。
「別に五年の空白を責めるつもりはありませんけどね。せめて左近先輩が卒業されるときくらい、会いにいらしてくだされば良かったのに」
「……それは、陣左のことかい?」
「あなたがお出でにならないのに高坂さん一人がいらっしゃることなど出来ないでしょう。待ち人に焦がれ続け、諦念すら抱いて卒業された左近先輩の横顔は大層お綺麗でしたよ。彼の人に見せたかったくらいに」
_僕がそう言えば、粉もんさんは僅かにバツの悪そうな表情を浮かべた。
「陣左に伝えておこう」
「それはそれで、意地の悪いこと」
「君に言われたくないな。――伏木蔵、立派に成長したね」
「あれからもう五年が経っていますから」
「それに、美人になった」
_あんなに小さくて、私の膝に乗っていた伏木蔵が、と言って粉もんさんは目を細めた。感傷なんて随分とあなたらしくない。演技にしたって下手すぎる、と僕は思った。
「それで、五年振りに現れて一体何のご用ですか?」
「うん。君を、タソガレドキ忍軍にスカウトしようと思ってね」
_五年振り、それも卒業間近のこの時期に、僕一人が当番の時間を狙ってわざわざ学園にやって来ているのだ、予想の範囲内の答え。
だけど僕は笑んで、わざとその返答とは違う言葉を発した。
「粉もんさん。最近、伊作先輩とはお会いしましたか?」
「……いいや、会っていないよ。彼も随分忙しく戦場から戦場へと渡り歩いているようで、噂ならよく耳にするけれど」
_伊作先輩の名前を出すと、粉もんさんはほんの僅か、無意識のレベルで表情を動かした。わかりやすいその反応に、この五年間、粉もんさんはまるで変わっていなかったのだと僕は安堵すら覚えた。
「そんなに伊作先輩が大切なら、いっそ拐ってしまえば良かったのに」
「……そう簡単に拐われてくれるほど彼も未熟ではないさ。何たってこの学園を卒業した忍者だからね」
_苦笑し、一瞬の動揺を隠すように粉もんさんは僕の頬に手を伸ばした。敢えて僕はそれを拒まなかった。
「伏木蔵。やはり君は忍者に向いている。タソガレドキ忍軍へ、私のもとへおいで。――迎えに、来たよ」
_粉もんさんの声を聞きながら、いっそ今この場で殺してくれれば良いのに、と僕は夢想する。
_ねえ、粉もんさん。雑渡昆奈門さん。
「僕は、伊作先輩をタソガレドキ忍軍に引き込むための餌ですか?」
_あなたは伊作先輩の特別になり得なかった。
_敵味方関係なしに、怪我人病人を治療してしまう伊作先輩。どんなにあなたが伊作先輩に恩を感じ、伊作先輩を大切に思っていようと、あなたは伊作先輩にとってかつて怪我の手当てをした患者の一人にすぎなかった。
_伊作先輩の可愛い後輩である僕らを、ただ同じ学舎で忍術を学び同じ委員会に所属したというだけで伊作先輩の懐へ易々と入り込める僕を、あなたはどんなに羨んだことでしょう。

_この五年、僕はあなたを待ち続けけていました。優越感に浸りながら、あなたを殺すことを夢見て、あなたに殺されることを夢見て。

_僕はにっこり笑う。
_そうだ、僕の答えは、



20120523

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