チョコレートで溶解

 ふかふかのベットに沈んでから、どれくらい経ったんだろう。夢と現の間を彷徨っていたところに、連続で入ったLINEの通知で現実に引き戻された。

『ごめん、明日取引あるから現地集合でもいい?』
『10分前くらいまでに来てくれれば大丈夫だから!』

 あれ、明日なんかあったっけ……? 未だにふわふわしている頭では思い出せない。そのままその子とのトーク履歴を遡ると、舞台に招待されている旨の会話がすぐに見つかった。やばい、席埋めお願いされてたのすっかり忘れてた。しかもマチネじゃん。加えて有楽町って。ここから向った方が断然に近い。けれど、この招待主と次に会った時に渡そうと思っていたプレゼントが我が家のクローゼットに眠っていることまでを一気に思い出した。

「あー……」

 体を起こして、うっとおしい前髪をかきあげる。うだうだ考えても後の祭り。他の予定を入れてなかったのがせめてもの救いだ。

『り!』
『着く時間わかったら連絡するね〜』

 何事も無かったかのように返事をして、一気に覚醒した頭をフル回転させる。明日の予定を計算し直さなければと乗り換えアプリを起動した。
 明日は何もないつもりだったから、折角だしチェックアウトまでここでゆっくり寝かせてもらおうと思っていたけど、それは却下。招待のお礼にちょっとしたお菓子も買って行きたいから、公演の2時間前には家を出たい。色々と逆算して、遅くてもこのホテルを7……いや、8時にしよう。うん。8時には出ないといけない。

 ある程度明日の予定を立てることが出来たのでLINEに戻る。夏油さんからの心配のメッセージに、とてつもなく快適に過ごせていることと改めてお礼の文章を送って、猫のスタンプで終わらせた。現金は絶対に受け取ってくれないだろうし、今度なにか渡した方がいいかな。……いいよな。無難にチョコレートとかは好きだろうか。少しほろ苦くて上品な味のする、あそこのチョコならお口に合うかな。最近東京に進出してきた、フランスにちいさなパティスリーを構えている老舗のお店。私ももう一度食べてみたかったし、ちょうどいいかも。



 夏油さんから送られてきたのは、なんと某外資系高級ホテルのURLだった。六本木の駅チカのホテルとは聞いていたから、その辺のビジネスホテルだと思っていたのに。
 まさかあの最高峰とも謳われるラグジュアリーホテルだなんて誰が思おうか。確かに駅直結だけども。
 今回もこちらに来ているのは出張でと言っていたし、URLの間違いかなと思って聞き直してもやっぱり合っているとのこと。
 ど平日に1番下のランクの部屋に泊まったとしても、たしか1泊で1人5万円は超えたはずだ。そんな所に? 学校の先生が? 出張で? しかも経費で落ちる? 謎が謎を呼んでいたけれど、悟くんを送り届けたら私は終電ダッシュで間に合うかどうかの瀬戸際な時間だったし、何より頑として夏油さんが引いてくれなかった。おまけに素泊まりで申し訳ないとまで言われてしまう始末。多少の押し問答の末、とりあえずはお言葉に甘えることにしたのだった。
 お礼の品、やっぱり高級チョコだけじゃ足りないよな……。

 今ここで導き出せる答えはないので、ひとまずシャワーを浴びることにする。とにかく睡眠時間を確保しなくては、明日の公演中に船を漕ぐことになる。招待の場でそれだけは避けたい。

 部屋の入口のすぐ右手にある観音開きの大きな扉を少し力を込めて手前に引くと、パッと明るい光に照らされて思わず目をつぶった。

「え、広っ」

 飛び込んできた光景に目を見張る。なんだこれ。
 このバスルームだけで私が住んでいるマンションの部屋よりも広いんじゃないか、というレベルの面積だ。扉のちょうど正面に今私を映している大きな三面鏡の洗面台があって、左手にも全く同じ造りのそれがもうひとつ。その2つ目の洗面台と向かい合うように大きなバスタブが設置されている。足を伸ばして入っても余りがありそうな程大きい。1つ目の洗面台の左右にはそれぞれトイレとシャワーブースが設置されていた。――どうしてトイレまでガラス張りなんだろう。
 シャワーだけで済ませるつもりでいたけれど、これは湯船にまで浸からないと絶対に後で後悔するな。

 お湯を張るためにバスルームに一歩足を踏み入れれば、大理石の床がひんやりと裸足の熱を吸い込んでいく。バスタブの蛇口を捻って、後ろの洗面台に向かって5歩進む。洗面器の横には英国王室御用達で有名なラグジュアリーブランドのボディクリームと石鹸が置いてあった。それから、足元の棚の大きな巾着が目に止まったのでその紐を緩めると、いつの日か私が値段で躊躇して買うのを諦めたドライヤーが顔を出した。よんまんえん。
 手元の引き出しを開けると、アメニティセットがひとつずつ銀色の紙箱に入ってお行儀よく並んでいる。中身が何だかパッと見ではわからないけれど、なんとなく歯ブラシかな、と思う大きさの箱を手に取ってみた。よく見ると箱にはこのホテルのロゴが箔押しされている。お金かかってんなあ。

「お、当たり」

 しゃこしゃこと歯を磨きながらちらりとバスタブに目を向けるけれど、お湯が溜まるにはもう少し時間がかかりそう。
 
 「あ」

 そういえば、悟くん大丈夫かな。隣の部屋のベットに放り投げて来ちゃったけれど、お風呂に入る前に様子を見ておいた方がいいよね。かなり酔ってたみたいだし、夏油さんからも、悪いけど少し気にかけて欲しいと頼まれている。
 口をゆすいでから、フロントのお姉さんから受け取ったカードキーを手に隣の部屋に向かう。悟くんの部屋のカードは2枚渡されたのに、私の泊まる部屋のそれは1枚だけしか寄越されなかった。きっと夏油さんが電話で色々と頼んでくれたからなんだろうな、と思う。本当にどこまでも気が回る人だ。

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