改めまして水炊きで


 定時から30秒後。

 『いま終わった!』

 一週間前の今日とさして変わらない内容のLINEを友人に送って、エレベーターに飛び乗った。

 足早にたどり着いたメトロへと続く階段を降りて、改札を潜る前にトイレに向かう。左手のパウダースペースで粉をはたく見知った後ろ姿に声をかけた。

「ごめんお待たせ」
「あ、おつかれ〜!」

 鏡越しに目を合わせた友人が「ちょうど私も今着いたとこ」とコンパクトを閉じたのを横目に、私も鞄からポーチを取り出す。

「ね〜やっぱその服かわいい」
「でしょ?! 買って正解だったわ」

 先週ルミネで友人が即決した服を賞賛しつつ、ビューラーを掴む。今日の睫毛はバッチリは上げないで、流す程度にしよう。マスカラはロングタイプの物を選んで、下からひと塗りした後に睫毛を挟むように上からも重ねる。今から会う人たちは、ヒールを履いた私よりも圧倒的に背が高い。だから、伏し目がちになった時――つまり、見下ろされた時に綺麗に魅せられるように顔を作り上げていく。ダマなんて厳禁。暖めておいたホットビューラーで梳かして、よれてきている目尻のアイラインを微調整。涙袋に上品な小粒のラメを乗せれば、目元は完成だ。
 それから、あぶらとり紙で一度押えたTゾーンと小鼻周りにブラシでとったパウダーをふわっと乗せる。

「あれ、ミラコレ持ち歩くの嫌だって言ってなかった?」
「だって今日だよ? 最高装備でいかなきゃ」
「それはそう……」

 目敏く気がついた友人と会話を交わしながら、唇にはまずティントを仕込んでいく。韓国コスメはプチプラだからと言って侮ってはいけない。ティッシュを咥えて、仕上げにYSLのロゴが光るゴールドのスティックを取りだした。マンゴーの香りと共に、絶妙なコーラルピンクが下唇に乗る。んま、と上唇と合わせて、はみ出たリップを小さく畳んだティッシュの角で拭き取った。これでアフターファイブのお直しは完成だ。うん、完璧。

「おっけ!」
「私も」

 フリスクを一粒口へ放り込んで、いざ戦地へ。私たちの今日は、これからが本番だから。


 夏油さんの「よかったらまた」は社交辞令なんかじゃなかったのだ。その「また」がこんなにすぐやってくるとは思わなかったけれど。

 初めてお話をした日からちょうど一週間後の金曜日。
 私たちは、職場近くのラーメン屋ではなく、目黒川沿いのこじんまりとした町屋風の建物で、例のイケメン二人と向かい合って水炊き鍋をつついている。この二人は確実に目立つので、私は人目を心配していたのだけれど、それは見事に杞憂に終わった。通された卓は半個室になっていてあまり周りを気にしなくて済んだので、美味しいお鍋と楽しい会話に集中することができた。

 それにしても相変わらず会話術がすごい。会ったばかりの人との会話って「次は何を話そう」とか「途切れたらどうしよう」とかを考えて落ち着かないのが私の中で割とセオリーになっていた。けれど、この二人とはそんなことが全くない。"会話に困らない"ってかなり有難いことだよなあ、としみじみ思いながら締めのお雑炊をふうふうする。


「傑これあげる」
「こら、行儀悪いだろ」

 私の目の前の悟さんは、自分の小皿にあった春菊をポイっと彼の隣に座る夏油さんの小皿に入れた。

「ごめんね、コイツちょっと世間とずれてるところがあって。赦してやって」

 夏油さんは、八海山を片手に悟さんの肩を二回叩きながらそう言った。叩かれた本人は、それを払って「俺正論きらーい」と口を尖らせてそっぽを向いた。その手元では、メロンソーダに浮いたさくらんぼの茎をくるくると弄っている。……小学五年生かな? そんなことより、こんなお店にメロンソーダがあることの方が気になって仕方ない。

「あはは、全然気にしないですよ。私たちもよくやります」

 このお店は日本酒や果実酒の種類が豊富で、美味しいものが多かった。という訳で、この間と違って今日はお酒も入っているので、私たちの緊張もいい具合に解けている。

 そろそろお雑炊も食べ終わるかな、という頃。スマホに着信があって一度席を立った夏油さんが、申し訳なさそうに戻ってきた。着信画面を見た時に舌打ちが聞こえた気がしたけれど、きっと私の気のせい。絶対。きっと。多分。

「イジチ?」

 悟さんの質問に「ああ」と答えて、私たちには急用の仕事が入ったことを教えてくれた。

「こんな時間から? 大変ですね」
「いやいや……。本当にごめんね。折角時間を作ってくれたのに」
「とんでもないです! お鍋美味しかったですし。予約もありがとうございました」

 またね、と席を立つ夏油さんに「お仕事がんばってください」と伝えてその背中を見送る。帰りがけに夏油さんがここのお代を全て払ってくれていたことを私たちが知るのは、それから二十分後のことだった。

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