ざるそばランデブー


 ずずっ、とお手本の様に美味しそうな音を立てて、お手本のように綺麗にお箸を使い、お手本のように丁寧な所作で、目の前に座る夏油さんがお蕎麦を啜る。俯いたタイミングではらりと前に落ちた自身の髪を耳にかける仕草が、彼の持つなんとも言えない雰囲気に拍車をかけて思わず見蕩れていると、私の視線に気がついた彼が「ん?」と上目遣いにこちらを見た。目が合う。ウッ……。喉の奥で、自分でも今までに聞いたことの無い音が鳴る。25歳独身OL:なまえのHPは最早ゼロに近い。

 なんなんだこの色気は。悟くんほどでは無いけれど日本人男性の平均身長からは遥かに背ももあるし、格闘技が趣味だとかで見た目もガッシリしていて男らしいのに、漂う色気が尋常じゃない。人妻や未亡人モノに惹かれる男の人って、こういう気持ちなんだろうか。知らんけど。

「あれ、もうお腹いっぱい?」

 夏油さんは咀嚼していたお蕎麦をこくんと飲みこんでから、私の目の前に置かれたそばセイロに残った麺と、箸が止まった私を見て首を傾げた。
 いっぱい? ってなに? 流石に可愛すぎない?

「ああ、違うんです! これをいつ渡そうかなって考えてました」

 わたわたと足元の荷物ラックから紙袋を取り出して、誤魔化すように話題を変える。変えた、というより今日の本題はこれなのだけれど。

 平日のランチタイムからは少し外れた時間帯。休日出社だった私の振休と、またこちらに出てくる用があるという夏油さんの空き時間が丁度合わさった今日。私は先日のお礼を、ということで神楽坂の老舗のお蕎麦屋さんへ、夏油さんをお誘いさせてもらっていた。蕎麦にしたのは、悟くんがポロッと会話の端に零した情報を何となく覚えていたからだ。
 お店に着いた時の夏油さんのテンションが心無しか上がっていたので、たぶん当たりだったと思う。こういうとき、食通のオジサンの知り合いがいるのは大きいな、と過去の自分を褒めておいた。……話が逸れたな。

 紺色の小さなショッパーに収まっているのは、この間有楽町のメンズ館で悩み抜いた末に選んだお礼の品。ベルトやネクタイ周り、アクセサリー類は私たちの関係性にしてはちょっと重すぎるかなって感じだし(何せ今日で会うのはまだ3回目だ)、ということ無難にハンカチを選んだ。
 ハンカチはお別れの意味のプレゼントというイメージがあったけれど、最近はそういうのを気にする人は少なくなってきたみたいで、店員さんからも無難なプレゼントにはいいですよとオススメされた。まあ、言っちゃえばハンカチも消耗品だしね。一応その辺のことも包み隠さずお話すると、夏油さんは柔らかく微笑んで受け取ってくれた。

「ごめんね、逆に気を使わせちゃったみたいで」
「とんでもないです! こんなんじゃ足りないくらいですし……。本当にありがとうございました」

 それでも眉を下げて謝罪の言葉を口にする夏油さんに、改めてお礼を伝える。話題にしていたら、あのホテルの凄さをもう一度思い出してきて、その後の会話で思わず熱弁してしまった。
 途中で子供っぽかったかな、と我に返ったけれど、夏油さんも楽しそうに私の話を聞いてくれたので――つくづく聞き上手な人だな、と思う――よしとしよう。
 ああ、また泊まれたらいいなあ。なんて、夢見心地だった時間を思い返す私に、いつの間にかお蕎麦を食べ終えた夏油さんが「そういえば」と口を開いた。

「あのあと悟は本当に大丈夫だった?」
「えっ、悟くんですか? うーん、たぶん? 酔ってましたけど……。あ! 放置しちゃってすみませんでした。次の日お仕事とか平気でしたか?」
「いやいや、別にそれはいいんだよ。アイツが悪いんだし。仕事も大丈夫だったよ。なまえちゃんは? 平気だった?」
「? お陰様で私は元気でしたけど……」
「……そうか。ならいいんだけど」

 どことなく噛み合わない会話に、夏油さんが求めている答えを私が返せていないことは何となく察していた。
 だけどまさか「酔っ払った貴方のご友人に押し倒されてべろちゅーされた挙句、そのまま腹の上で寝落ちされました」なんて言えるわけなくない? 少なくとも私には無理。

 悟くんが夏油さんにどこまで話したのかは知らないけれど、私としてはこのまましらを切らせて頂きたい所存だ。
 そもそも悟くんはどこまで覚えてるんだろう。次の日会った時に聞くの忘れてたな……。ま、いっか。


 なんとか私もお蕎麦を食べ終えたあと、御手洗に立ったのと一緒に、ふたり分のお会計を済ませておく。ブランド物っていっても、ハンカチだけじゃ流石にね……。きっと夏油さんは払ってくれるつもりでいただろうから、このタイミングしかないだろうということで、ポーチの下に隠してどうにか伝票をさりげなくレジまで持っていった。
 案の定、お店を出た時の夏油さんは申し訳なさそうな顔はしてくれていたけれど、とにかくここは出させてもらえことに成功した。一応のポーズは取ってくれるけれど、きちんと引いてくれる辺りに、改めて彼の気遣いの上手さを感じる。「次は私に払わせてね」とまで言われてしまった。この人、まじでモテるんだろうなあ。

 送ってくれると申し出てくれた夏油さんと並んで駅まで歩いていくと、ロータリーに停まっていた見覚えのある黒い車を見遣って「あれ、もう来てたんだ」と隣で夏油さんが呟いく。あ、やっぱり悟くんのお迎えに来ていた車と同じなんだ。

「お迎えですか?」
「あー、うん。この後ちょっと遠出でね」
「え、そうだったんですか!? すみません、忙しいのにお時間割いていただいちゃって」
「私が来たかったからいいんだよ。今日は本当にありがとうね」

 こちらこそ、と改めてお礼を伝えてその場から離れようとすると、黒い車の後部座席のドアが開いて白い頭が飛び出してきた。白い頭は随分と長い御御足をお持ちで在らせられるので、やけに大きな一歩でずんずんとこちらに向かってくる。その剣幕が物凄くて、私はつい先程踏み出した――彼のそれに比べたら半分くらいの――一歩を思わず後ずさって、隠れるように夏油さんの少し後ろに戻った。それを認めた白い頭……悟くんのオーラが更に険しいものになる。ぎゃ、間違ったな。

「ンでふたりでいんだよ」
「お出かけしてきたから」
「お出かけぇ?」
「そ。ちょっといいとこ」

 夏油さんは、聞いたこともないような低い声で思いっきり顔を歪める悟くんは気にもとめず、いい物も貰っちゃった、なんて続けながら、さっき私が彼にプレゼントしたショッパーを顔の高さまで持ち上げて、こてんと首を傾げた。この人ほんと、こういうとこあるよな……。

 この後、夏油さんが更に悟くんを煽る気配を察知した私が間に入って火に油を注ぎそうになるまで後1分。車の運転席で今にも泣きそうな顔の眼鏡の男の人と目が合って、何とか2人を車に乗せるまで後4分29秒。走り出した車を見送って改札をくぐり抜けた私のスマホのディスプレイに『夏油』の文字が表示され、「……アフタヌーンティー」と持ち主のそれじゃない不貞腐れた声が私の右耳に届くまで6分半。
 

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