わたしが好きなものは、君ではなくて、音楽とコカ・コーラとそれからアップルパイ。

 女は笑った。そして歌うように言葉を紡ぐのだけど、それはおれを谷底へと突き落とすような言葉だった。ああ、おまえはおれのことが好きじゃねェと、そういうのか。ざくりと唐突に心臓を貫いたナイフにただ苦笑する。

「わかったでしょう、だからもう良いんだよキッド君」

 くるりと軽やかに振り返った女がまた笑った。長い睫毛が白い頬に影をつくっている。悲しそうだ。どうしてかそう思った。理由はまったくわからない。どうしてか女が泣いているようにみえたのだ。長いまつげが、少し濡れていた。

「グッバイ、キッド君」

 ひらりとてのひらを揺らせて、女はおれの前から去っていった。おれは一年とちょっと付き合っていた女にフラれたのだ。告白したのはおれから、たぶん好きになったのもおれから、唯一女からだったのは、別れの言葉だった。あーあ、ばかみてえ。おれってなにやっても上手くいかねェんだな。ぐしゃりと頭を抱えて、いつもあいつと歩いていた道をひとりで歩いた。
 それから女とは一度も会っていない。女とは通っている学校も違かったし、前からなかなか会う機会もなかった。


「なんだよキッド、おまえ知らねェの?」

 ふらふらと街を歩いていたら麦わらと久しぶりに会った。麦わらはあの女と同じ学校に通っているやつだ。女と別れてからあの学校にも行かなくなったし、こいつとは本当に久しぶりだった。
 別れたことを知らなかったらしい麦わらに説明すると、きょとんとした様子でそう問いかけられた。なにを知らねェってんだ。問いかえすと麦わらは困ったように言葉を紡ぐ。

「あいつ、転校したんだよ」
「は?」
「だから、転校したんだよ」

 唐突なことで理解が出来なかった。転校するなんて一言も聞いていないし、それにあの女が転校したのはおれがフラれた次の日だと言う。無い脳みそを絞り、必死に思考を巡らせて女の行動の意図を考える。突然の別れの言葉、転校をいわなかったこと、フラれた次の日に女は転校したこと。

「なんでだ? おまえには言うと思ってたんだけどなァ」

 麦わらがそう呟いた瞬間に思考がひとつの答えに辿り着いた。あいつ、もしかして。
 あーあ、ばかみてえ。ぐしゃりと頭を抱える。おれがフラれたのは三週間ほど前。女はもうとっくにこの街からいなくなっているだろう。おれも、おまえもばかだ。おれはおまえのへったくそな嘘に気付けなかったし、おまえはおれをたったこれだけのことで突き放した。ばかだ。ばかみてえだ。

*

「これで良かったんだよ。この距離はキッド君を苦しめるだけだし。…そう、これで、」

 溢れる涙を止めることはできなかった。大好きなアップルパイをどんなに頬張ってもコカ・コーラを飲んでも、涙は次から次へと溢れてくるばかり。
 これで良かったはずだ。キッド君に説明なんてしていないけどきっとこれで良かった。がたんごとんと揺れる電車の中でずっと自分にそう言い聞かせていた。ぐちゃぐちゃになった頭の中を落ち着かせようと無心に音楽を聞く。それでも頭はぐちゃぐちゃのままだったけどわたしはそれを見てみぬふりをして平気なふりをした。また、言い聞かせるように呟く。もうこの言葉を何度呟いたのかわからないくらいに呟いていた。

「これで良かったんだよ」

 ぐしゃりと頭を抱える。ばかみたいだなあ、別れを告げたのはわたしのほうなのに。あの夜のことを後悔するなんて、ばかみたい。わたしはただキッド君がこの嘘に気付かないように、と祈った。ああでもわたし、嘘を吐くのが下手だからなあ。キッド君の声を思い出したら、また涙が溢れてきた。



濡れた睫毛が揺れた




project A salty lie
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