「…なあ、無理しなくて良いんだぜ」


困ったように眉を下げた一郎太の心配が、今は痛い。わたしは何やっても出来ないんだからやめた方が良いって。そんな訳ないのに。わたし、馬鹿だ。人の心配とか好意さえも素直に受け取れないわたし、最低だ。頬を3回、ぱしりと叩く。気が弱くなったとき、パワーを注入するつもりでする、ほんの少し強引なおまじない。ちょっとほっぺが痛いけどそんなのは我慢だ。ジャージの袖で少しだけこぼれた涙を拭く。心を引き締めるつもりで少し強めに拭いたから目元がピリピリとしてちょっとだけ痛い。


「ありがとう、一郎太。大丈夫だよ、心配しないで」


大丈夫と言って笑うのを見るのが、すごく辛い。太陽みたいに笑う顔は好きだけど、無理して笑おうとするのを見るのは嫌だ。心配なんかじゃない。お前が悲しむ姿を見たくないだけっていう、俺のわがままだ。俺、最低な奴かもしれない。泣いたらどうしようって心配するふりをするくせに、でも実際泣いたら「無理するなよ」とか「頑張りすぎなくても良い」だなんて、どこにでもあるような言葉しかかけてやれない。何をどんな風にしてやれば良いか途端にわからなくなるんだ。頑張りやのお前のことなんだ、黙って「頑張れよ」って言ってやるのが一番良いんだろうな。でも俺にはそれがどうしても出来ないんだ。周りからの期待に応えようとして出来なかった時に押しつぶされる痛みを知っているから。それを味わってほしくない。何も出来なくって、黙って立ち上がる。部屋を出るときに少しだけ見えた肌が、寝不足のせいで青白くなっていて、それがつらいと訴えているような気がしてならなかった。





「切っちゃうの?」


せっかく綺麗なロングヘアなのに、と秋が残念そうな声を出す。優しげな手つきで毛先を梳かれて、少し眠たくなる。飼い主にブラッシングされてる猫の気分ってこんなかなあ。一郎太に憧れて伸ばしてきた髪。空みたいに青いさらさらの髪をした一郎太がうらやましくって、わたしも髪には人一倍気をかけていた。そのおかげで、枝毛のないような髪になった(綺麗かどうかは別として)。だけど、そこにもやっぱりわたしのみじめさが見える。わたしは、人のものをうらやましがってそれを手に入れようとしているばかりの卑屈な人間なのだ。だけど、それも今日でおしまい。秋にはさみを手渡す。わたしの嫌なところを全部捨て去ってほしいの。これは秋にしか任せられないから。


「…本当に、短くしても良いのね?」
「うん。秋にお願いしたいの」
「ふふ、しょうがないなあ」


長い髪にハサミが当てられる感覚。秋にすべてを委ねて、ゆっくりと目を閉じた。



チャイムを押し、がちゃりとドアノブが回される音にまだ出てきてもいないあいつの名前を呼んだ。あ、なんか俺変な奴みたいだ。だけど木野から"今すぐ行ってあげて"と電話がかかってきて、一体何があったのかと飛ぶような速さであいつの家まで走ってきた。ゆらりと人の影が玄関のポーチで揺らめく。


「 一郎太、」
「…あ、え?」


すっかりショートカットになったわたしを見た一郎太が呆気にとられたような表情をした。それがなんだか間抜けで、普段の凛々しく前だけを見ている一郎太とはずいぶんかけ離れていて、少し笑った。でもそんなわたしには気付かないで、一郎太はあたふたと慌てている。どうしたんだ、とか何があったんだ、とか。わたしよりも一郎太の方が泣きそうになっている。これにもまた笑ってしまいそうになったけど、今は笑うときじゃないな、って。


「ね、ショートヘア、似合ってる?」
「 あ、ああ。すっきりしたのも似合ってるぜ。
だけどさ、いきなりどうしたんだ?あれだけ髪にこだわってたのに」
「…人のものをうらやましがって真似するのは、もうおしまいにしたの。
今日からは、新しいわたし。だからね、もう泣かない。
背筋を伸ばして、凛とした姿で生きていきたいから」


もう誰かに寄りかかってしか歩けない自分にはさよならだって。そのつもりで髪を切った。短く切りそろえられた髪が風に揺れて、うなじを撫でていく。


「…そうか」


一郎太がまぶしそうに目を細めて笑う。もう、一郎太や秋の背中に隠れないよ。太陽は自分から光を放つのだから。 

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