「久しぶりだな。元気にしてるか?」
一郎太はずるい。あんなに走るのがすきだったくせに、幼なじみのわたしと同じフィールドで競うのがいちばんすきだって言ってたくせに。二年生になって円堂くんに廃部寸前だったサッカー部に誘われて、助っ人としてちょっと陸上から離れてしまったら、いつの間にか彼はサッカーにのめりこんでいて、陸上部を捨ててサッカー部にいってしまった。わたしも宮坂くんもさんざん泣いた。いつか一郎太が目を覚まして、「やっぱり、おれは走るのがすきだ」ってわたしの大好きなあの笑顔をたずさえながら 陸上部に、あのフィールドに戻ってきてくれるのを待ったけど、そんなことは起きないまま一郎太はイナズマジャパンのメンバーとして世界一を成し遂げた。陸上ではなく、サッカーで。
それはとても輝かしいことだったのに、わたしはどうしても心から喜ぶことができず 空っぽの気持ちのまま三年生を過ごして雷門中を卒業、高校はべつべつになって、いつのまにかわたしは大学生になっていた。そして一郎太は、高校を卒業して日本のプロリーグの一員としてサッカーを続けていた。
「明日、たまたま練習がオフになったんだ。荷物をとりにいくついでにお前のアパートにも寄るよ」
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親が共働きで帰りも遅かったわたしと一郎太は、小さい頃からたびたびお互いの家に行っては晩ごはんを作りあっていた。わたしは不器用で 市販のルーをいれて煮込むだけでできるシチューとかカレーとか、そんなお手軽なものしかつくれなかったけど 一郎太は生姜焼きやらチャーハンやらを幅広くかつおいしく作れた。そのたびに好きな人に女子力で大敗する自分を嘆いたものだ。
「お前のご飯、食べるの何年ぶりだろうな」
「うーん、高校入ってからはぜんぜん会わなかったからね……三年ぶりくらい?」
久しぶりに顔をあわせた一郎太は、テレビで見る一郎太となんら変わりない。腰まで伸ばしたセルリアンブルーの髪をハーフアップにまとめ もともときれいだった顔はさらに男らしさがプラスされて、目の前にいるのになんだか遠い人のように思えた。一郎太に手伝うか? と聞かれたけど、大丈夫だよと返せばわかったと答えておとなしくイスに座ってテレビのリモコンをいじっている。それを横目に見ながら卵をボウルにいれて、菜箸でていねいに溶いた。
「大学、楽しいか?」
「うん。そろそろ就活始まるからたいへんだけどね」
「そっか。俺も大学行けばよかったかな」
「……好きなものを仕事にできてるんだから幸せじゃない」
「………それもそうだな」
一郎太の言葉に、一瞬ちりっとした怒りを感じて、彼に嫌味みたいなことを言ってしまった。すぐに後悔したけど、やはりふつふつと沸くそれはおさまらない。なにをいまさらそんなことを言うの。一郎太にとってサッカーは、大好きだった陸上を捨ててまでそばにおいておきたいものだったんでしょう。わたしや宮坂くんを捨ててまで、追い求めたいものだったんでしょう? そんなだいすきなサッカーを仕事にできたのに、大学に行けばよかったなんて遅すぎるのよ。自分で思ってて悲しくなってきた。泣きわめいてしまいそうな気持ちをかき消すように 油をひいたフライパンにご飯と野菜をおしこんだ。
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「できたよー」
「お、オムライスか」
一郎太の前に ケチャップライスを薄く伸ばした卵で包んだそれを置くと、即座にいただきますという声がした。スプーンでひとすくいして口に放りこんだ彼は、「だいぶ料理うまくなったな」と笑った。それは昔のわたしの料理は下手だったってことですか。
「ありがとう、オムライスは彼氏が好きだったからよく作ってたしね」
「え、……彼氏、いたのか」
「うん高校のときに。もう別れたけどね」
一郎太はサッカーの強豪、わたしが陸上の強豪高校を志望したとわかったとき、わたしは一郎太を好きになるのをやめようと決めた。彼がもう陸上に戻ることがないのだとわかったからだ。高校に上がって 同じクラスでそれなりに仲のよかった男子に告白されたとき、いい機会だと思って二年ほどつきあった。手をつないだしキスもしたしそれ以上のことだって、してないって言ったら嘘になる。けどわたしは心のどこかで、一郎太と彼を比べていた。
彼はいい人だった。そばにいるだけで楽だと思えたし、隣にいるだけで幸せだった。けどやっぱり、もしこれが一郎太だったらなあって無意識に思うわたしがいた。高校三年のはじめ頃 大学受験を理由にわたしから別れを切り出し、それきり一切連絡をとってない。たぶんアドレスももう消してしまった。
「一郎太は? 彼女とか作らなかったの?」
「ああ。告白は何回かされたけど……」
「ぜんぶ振ったの? うわーもったいない。サッカーに集中したいから、とか?」
「……いや。ほかに好きな奴がいたから」
「え、」
誰、とは口に出せなかった。心臓をおっきなフォークで突き刺された気持ちになる。そこからずくずくと鈍い痛みが広がった。そっかあ、一郎太、好きなひといたんだ。
「……高校は、べつだったの?」
ばかみたい。なんでわたし、傷をえぐるようなこと聞いてるんだろう。
「ああ、中学はいっしょだったんだけどな」
「そっ、かあ」
下を向いてしまったからわからないけど、きっと一郎太はいまはその人を思って顔をほころばせているんだろう。やだ、顔をあげたくない。そんな一郎太、見たくないよ。二十歳をもう一年も過ぎてるのにこんな些細なことで泣くなんて子どもみたい。頭ではそう思っているんだけど、じわじわと目の前はにじみだす。スプーンを持っている右手がおぼろになる。泣くな、泣くな、泣くな。ぎゅうっとスプーンをにぎりしめて必死にこらえていると、久しぶりに名前を呼ばれた。思わず顔がもちあがる。
「俺、お前が好きだ」
いま、なにが起きたんだろう。ちかちかとまばたきをすると、たまっていた涙が頬をすべった。わたしの顔を見て、なに泣いてるんだよと一郎太は笑う。それはわたしがずっと見たかったあの笑顔だった。
「小さいころからずっとお前が好きだった。お前は?」
「……わた、し」
「うん」
「ちいさいころから、ずっと一郎太が好きで、だいすきで、一郎太が陸上部にはいったからわたしも追いかけた。けど、」
「ああ」
「一郎太が陸上部をやめてから、一郎太をサッカーにとられたきがして、さみしかった。忘れようと思ってべつのひととつきあったけど、やっぱりダメで」
じわじわとあふれてきたのは、一郎太が陸上部を出ていったあの日からずっと溜め込んでいたものだった。一郎太は泣きそうな顔をしながらわたしの話を聞いていた。スプーンをにぎりしめていた右手も いまは目からあふれるそれを拭うのにせいいっぱいだった。
「こないだ、一郎太がでてるサッカーの試合をみて、わかったんだ。陸上してても、サッカーしてても一郎太は変わってない。わたしの好きな一郎太のままだって」
「……すまなかった。俺もずっとそれが気がかりだった。でもやっと決心がついたんだ。もう泣かせない、ずっとそばにいる。だから、」
オムライスをまた一口たべて、一郎太はわたしの左手をとった。
「結婚しよう」
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☆
久しぶりにアルバムを開くと、白に身をつつんだわたしと一郎太の姿が目に飛び込んできた。後ろで秋ちゃんと円堂くんが笑い泣きをしている。わたしと一郎太の結婚式に、雷門中サッカー部、イナズマジャパンのみんなが総出で来てくれたときは驚いたなあ。染岡くんや鬼道くんは イタリアリーグに無理をいって休みをとりつけて駆けつけてきてくれたらしい。「風丸の長い片思いが実ったのだからな」と笑う鬼道くんに、思わず泣いてしまったのは秘密だ。
ちらりと時計を見る。そろそろ一郎太が帰ってくるころだ。今日は結婚してちょうど三年。今年はさらにとっておきのお知らせもある。このニュースを聞いたら彼はどんな反応をするだろう。きっと抱きついてよくやったなって笑ってくれるんだろう。もしかしたら感極まって泣き出すかもしれない。想像するだけで笑みが止まらない。今朝もらったばかりの母子手帳を食卓において、あと一時間ほどで帰ってくる彼を出迎えるため、わたしはオムライスを作る準備にとりかかった。
食卓で君が言ったこと