「どうしよう課題が終わらないよう‥‥‥」
「はあ、もっと要領よくやれよ」
「そう言われても‥‥‥!」
「ま、お前が鈍くさいってことは随分前から知ってたことだけどよ」
「ど、鈍くさいって」


ヒドイ。聞こえないように自分的には小さく呟いたつもりだったけれど受話器の向こうの当人にはさすが地獄耳と言うべきだろうか、しっかり伝わってしまっていたようで「ひでぇって俺は当然のことを言ったまでだぜ?」と言って声を忍ばせて低く笑っていた。そのようす、何となく目に浮かぶなあ。きっとにやりとしたいやぁな笑みを浮かべているんだろうなあ。晴矢って場合によっては笑顔が本当に悪人面なんだよねえ。心なしか晴矢の声は弾んでいてこれが深夜テンションというものなのか‥‥‥と妙に納得をしながら暫し無言のままでいると、無言を怒気と勘違いした晴矢は慌てたようすで「あ?何だよ、短気だなあ」と煽り文句を素早く口にする。何でこう相手を煽るような発言しかできないかなあ。そこは「悪かった」って一言謝ってくれればこちらとて不機嫌にならなくて済むものを。晴矢の声はこの真冬に負けないくらい冷たい上に北風のようにぴりぴりしている。


「晴矢は課題とかないの?」
「生憎、お前みたいに俺は鈍くさくねえからな」


まだ言うか!晴矢の煽り文句をまあ晴矢の憎まれ口なんていつものことだと持ち前のスルースキルを発動して理性を擦り減らし難関を突破したというのにこの男はそれだけではまだ飽き足らないのか気に済むようすを見せようとしない。当然、わたしの声は抑えようもなく不機嫌なものになる。


「ねえ、もう切っていい?課題やりたいから」


しかしそこはさすがに南雲晴矢と言うべきだろうか。わたしがどれほど常に似ないぶっきらぼうな言い方をしたとしても怒気の含んだ声で名前を呼ぼうともそんなことは意にも介さない。


「まあまあそうかっかすんなって」
「な!させたのはどっちだと思って‥‥‥!」
「お前、プリン好きだったよな?」
「えっ?まあ、好きだけど」
「コーヒーも飲めたよな?」
「まあ、カフェオレの方が好きだけどね」
「この期に及んで我が儘言うなよな。これでも痛い出費なんだからよ」
「痛い出費って‥‥‥あ」


ドアの方へごっと何か物が当たったような音がした。反射的にドアの方へと目を向けるが呼び鈴が鳴る気配はない。聞き間違いではないしあのドアの向こう側に何かがいるのは確かなのだがその正体を確かめようと試みる度胸も心意気もわたしには持ち合わせていなかった。


「あっあああのねはるや!」
「何だよ」
「おお、おおお落ち着いて聞いてね!」
「つーか、まずお前が落ち着けよ」
「う、うん。あのね、は、るや」
「だから何だよ」
「いい今、ドアの向こう、何かごって、こ、これって‥‥まさか、」
「まさか?」
「さ、サンタさん‥‥‥!?」
「なんでだよッ!!」


クリスマスなんてとっくに過ぎただろうが!あほ!静まり返った夜のアパートには似つかぬ大きな声が今度は受話器の向こうからではなく先ほど鈍い音を唸らせたドアの向こうから聞こえてきたのを耳が捉えてキャパオーバー。約5秒間、脳が考えることを停止する。


「えっと、晴矢?」
「もう遅いからさっさと課題終わらせて寝ろよ。あとドアノブ確認しとけ」


じゃあな。そう早口で言い切ると身勝手にも回線は切られてしまった。
怒ったり、照れたり、何か自分に都合が悪いことがあるとすぐこうなんだから。晴矢は自分勝手だ!なんて毒づいてみるけれど記憶を遡れば遡るほど自分も言えた口じゃないなあと思えてしまう節々があちらこちらに転がっていて、数日前には自分も状況や会話の内容は違えども今の晴矢と同じような行動を取っていたことを思い出しでもこんな身勝手な行為が通じるのも晴矢だけなんだよなあと思ったら思わず笑ってしまった。
ドアノブを回して部屋の外に出てみると身を裂くような冷気と共に今まさに立ち去ろうとしていた晴矢と鉢合わせてしまい何とも云い知れぬ空気を味わう羽目になってしまった。顔の半分を覆うようにぐるぐる巻きにしたマフラーに埋めている顔に浮かんでいる表情の色はけして穏やかなものとは言えないもので何となく目を逸らしてしまう。すると外側のドアノブにビニール袋がぶら下がっているのが見えてばっと晴矢に目を向けた。


「これ‥‥‥」
「腹、減っただろ」
「う、うん」
「甘いもん、お前、好きだろ」
「うん」
「こんな時間だから、コンビニぐらいしか、開いてなくてよ」
「うん」
「お前、プリン好きだっつってたから」


気まずそうに言葉を濁す晴矢に空いた口が塞がらなかった。
去年の夏ごろだっただろうか。街で偶然出会った基山くんに一緒に食事にでも、と連れて行かれた先・基山くん曰く行きつけのお店がフランス料理を扱ういわゆる高級料理店で、テーブルマナーとか今や吉良財閥の社長へと登り詰めてしまった・まるで雲の上のような存在となってしまった彼とのお上品な会話とか‥‥‥幼い頃から同じ時間を共有してきた、そんな親しい間柄とは言えどもあの頃を思うと別人のようになってしまった基山くんを目の前にして為す術もなかったわたし、彼と過ごした時間は言うなればとても窮屈だった。とても大変だった。けど、まあスマートではあった。こう、洒落たテーブルを挟んで「どう?口に合うかな?」「うん、おいしいよ」とね。それを思えばこんな夜更けに深夜のコンビニのありたけの残り物(売れ残った安いデザート・缶コーヒー・スナック菓子などなど)とは随分な落差じゃないか。


「(何だか、晴矢らしいなあ)」


だけど、でも、どうして、胸のあたりがじいんとあったかくなるのは何でなんだろう。


「あー‥‥お前の顔見ずにさっさと帰る予定だったのによ」
「そんな会いたくないような不細工な顔してる?」
「ばか、ちげぇよ。帰りたくなくなる顔してんだってこんなこっ恥ずかしい言わすなよな」
「えーそっちが勝手に言ったんじゃん」
「あ?んだと?」
「先に喧嘩ふっかけてきたのはそっちでしょ」
「フン、ばかばかしい」
「はあ、そうだよ、もう遅いし玄関先で喧嘩したくないよ。ねえ、せっかくだから晴矢も一緒に食べようよ。それで食べたらちゃんと課題やるから見てよ。晴矢こういうの得意でしょ?」
「見てやりてぇけどよ」


晴矢の表情がふと翳る。
けど、何だろう?受話器越しでもない・回線も何も介していないというのにふとした瞬間に訪れる沈黙はお互いをさらに無口にしてゆく。つい先ほどの会話の内容は時間が曖昧にぼやかしてゆく。それでも視線だけはと晴矢をじっと捉えていたというのに挙句には言葉を詰まらせている晴矢の方から視線を逸らされてしまった。


「お前、無防備過ぎ」
「えっ」
「こんな時間に彼氏とはいえほいほい家に招き入れるなよ。あとで何が起きたって知ら」
「起きていいよ」


晴矢の返事も待たずに、ほとんど間髪をいれず、まるで呪文を唱えるように繰り返した。


「起きても、いい」
「ばあか」


うん、と生返事で話しを切り上げる。そしてまたお互い居心地の悪い空気になってしまったわけだけどそれはお互いにまだまだコミュニケーション不全だからと託けておいてこの話しはいったん切り上げておく。すると何を思ったのか晴矢はわたしの手の中に収まっているビニール袋に手を突っ込むと缶コーヒーをひとつ取り出して「これ飲んで目覚ましとけ」と押しつけるように手渡した。


「晴矢、待って」


ビニール袋の中にはもうひとつ缶コーヒーが入っている。








あたたかくほろ苦いコーヒーを咽に流し込み舌の上に広がる苦みを堪能しながらふと見上げると見えてくるものは無数の星と深夜のカーテン。あ、オリオン。身に沁みる冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むと身体の芯から冷え込むような気がしてわたしは肩をぶるぶる震わせながら鼻をずるずるすする。
晴矢、まだかなあ。まだかまだかと寒さと格闘しながら待ち構えていると見慣れた赤い髪が視界の端に現れた。その瞬間寒さのことなど頭から吹き飛んでしまった。


「晴矢!」


ベランダから身を乗り出して近所迷惑のことなど一切考えず腹の底から叩きだすように目いっぱい大きな声で晴矢の名前を呼ぶと「何だよ、うるせえな」と相変わらず無愛想な態度のまま大儀そうにこちらを見上げていた。いつもはばかみてぇに近所迷惑だって神経質なくせにってわたしってば普段からそんなにカリカリしてるのかなあ。


「息、真っ白だね!」
「知ってるっつーの!こんな寒ィ中わざわざ届けに来てやったんだからちゃんと課題終わらせろよ!俺のために!」
「何が俺のためにだ!」


分かってるってば!見せつけるように少量になった缶コーヒーを左右に揺らしてにっと笑うと晴矢もめずらしくえくぼをつくった。さあてと、課題がんばりますか!


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