その日突然、休日にも関わらず彼女は朝早くにどこかへ出かけてしまった。「ちょっと出かけてくるね」ただそれだけを言い残してだ。何か彼女の気に障ることでもしてしまっただろうか?たしかに、プロのサッカー選手になってから家を空けることも多いし、今日だって一ヶ月ぶりにこの家に帰ってきたばかりだ。結婚して一年が過ぎたが、学生時代からの付き合いの彼女に少しばかり甘えていた部分もあったのかもしれない。ああ、考えれば考えるだけ自分が情けなくなってきた。彼女が家を出てから一時間半は経過した気がする。俺は意味もなくリビングを右往左往して落ち着きがなく物憂いに更けてしまった。
彼女とは高校からの付き合いだ。少し他人と接することを苦手としていて、涙脆くて、寂しがり屋で、と彼女のことはちゃんと知っていたつもりだ。だが、それが今ではどうだろう。寂しがり屋の彼女を家に一人残し、自分は合宿などで頻繁に家を空ける。帰ってくると、彼女は俺の体に気を使って外に出かけようとしたがらない。夫らしいことを何もしてあげられていないのが現状だ。ケータイに電話を掛けてみても繋がらず、本気で心配し始めた矢先、玄関の扉がガチャリと音を立てて開くのが聞こえた。すぐさまそちらへ向かおうとしたが、それよりも先にどこかいつもと違った軽快な足尾とが近づいてきて、このリビングの扉が勢いよく開かれた。そこには、荷物を持った彼女の姿があった。しかも、いつになく明るい表情で。

「ただいま!」
「おかえり……どこに行ってたんだよ、心配したよ」
「ごめんごめん!でもね、でもね、大河くんもきっと喜んでくれるはずだよっ」
「喜ぶ……どうして?」

それを待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、手に持っていた荷物を床に置くと、大きく深呼吸をした。それは、息を整えるためなのか、わざと勿体ぶっているのかは分からない。俺が心配したというのを余所に、彼女はにこにことしている。

「あのね、私ね、妊娠してるんだって!四ヶ月!」

興奮を抑えられないらしい彼女から出された報告には、俺を硬直させるのに十分な要素が含まれていた。妊娠、ということは子どもができた、ということだろう。それ以外ないのだけれど。彼女が妊娠、その事実は俺に直接的に関係することであり、俺の人生で最高に幸せな事件を知らせるものでもあった。思わず彼女をおもいっきし抱きしめて俺らしくもなく舞い上がってしまう。

「やった!やった!」
「大河くん苦しいよっ」
「だって、嬉しいからさ!俺が父親になるんだよ?」
「それなら私だってお母さんになるんだよ?」

お互い妙なことで張り合っているが、そこには幸せの色しかなかった。子どもがほしい、と彼女が前に洩らしていたことがあったが、その願いが今叶ったのだ。計画していたわけでもなかったため、本当に驚いている。そのサプライズ性が高かった分、喜びも大きいのだ。

「本当はね、生理こなかったからもしかしてと思って、薬局で買った検査薬を今朝使ってみたの。そしたら陽性って出たから、その勢いで病院行っちゃたんだー大河くんに何の相談もなしでごめんね」
「ううん。でも、心配するから電話には出てくれよ?それと、その荷物は……?」

気になる量の多いその荷物を指さすと、彼女は恥ずかしげに

「今なら何でもできそうな気がして、編み物の道具や毛糸や綿やフェルトをいっぱい買っちゃったの……家に帰って大河くんに報告しなきゃいけないってわかってたんだけど、ね……」

袋を持ち上げて、中身を俺に見せた。そこには確かに毛糸など入っていた。しかも、半端がない量だ。彼女をソファーに座らせると、お互い興奮冷めやらぬ状態で始終口角が吊り上りっぱなしだった。そんな中、絡ませた指を強く握りしめる。彼女が俺の方へ体を預けてきた。俺はそれを素直に受け入れ、

「……ありがとう。今、すごく幸せだ」
「へへ、いえいえ。というかまだ気が早すぎると思うけどね」

いたずらっぽく笑った彼女にキスを落とすと、照れを隠すように俺の肩に顔をうずくめた。それさえも、愛しく感じる。

彼女の中で眠るわが子は、一体どんな子に成長していくのだろうか。今から親バカに目覚めそうな俺たちの元で育つあの子は、彼女に似て人見知りをして涙脆くて寂しがり屋な子になるのだろうか。それとも、俺の様に優柔不断な人間になってしまうのだろうか。それでも、俺たちはキミをたくさん愛してあげるよ。だから安心して生まれておいで。今はまだ、羊水の中で静かに成長をしているあの子へ。俺たちの元へ舞い降りてきてくれてありがとう。

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