今日はお墓参りに行かなきゃ。ベッドの中で、温かいふかふかの羽布団から顔を出しながらそう思う。暖房の聞いた部屋は、布団の中程ではないけれど温かい。家の外は寒いなんて口にできないほど気温が低いのだけれど。北海道の冬はいくら慣れているからといっても、すごく厳しい。寒いだけじゃなくて、雪掻きとか色んなことをしなくちゃいけないし。そういえば、今、雪は降っているのだろうか。もぞもぞと布団から這い出し、ベッドの側の、淡い黄色のカーテンを開ける。薄暗い部屋の中に眩しい光りが差し込んできたので反射的に目を細める。細目で見た空は、珍しく青い空が広がっていた。良かったと一息ついてカーテンを閉めようとすると、ドサドサと屋根から雪の落ちる音がする。ぴくりと肩が震える。そんな自分に、やはりあの日のことは十年以上たった今でさえ、忘れることができないのだと感じた。あの日、僕が一人になってしまった日のことは一生忘れることが出来ないだろう。いや、それ以前に、あの日のことは絶対に忘れてはいけない。僕は時が経つごとに、そして多くの仲間や大切な人に出会う度に、この体の震えが次第に小さくなっていることを時々感じる。僕はあの震えを体感すると、いつも自分の成長を噛み締めるのだ。中学校二年生までは嫌で嫌で仕方のなかった震えも、今では成長を表す秤になっているのだから、人生というものは不思議なものだ。
そういえば、昨日買ったお墓参りのためのお花、萎れていないかなあ。あと、お墓に行く途中に子供の頃に通っていた駄菓子屋さんで、十円ガムとか色んな色の長細いゼリーとかをいっぱい買わなきゃ。それと、ずっと前から買っていた小さな布製のサッカーボールも忘れないようにしなくちゃ。だって今日は、僕の父さんと母さん、そしてアツヤの命日だから。僕は頭の中で今日の予定をたてながら、ゆっくりとした動作でドアまで歩き出す。ドアノブは握った瞬間、手にパチリとした感覚。昔から、僕はあまり静電気が起こらない体質なんだけどと思いながら金属製のそれを回した。

さて、突然だけど、僕のお嫁さんの話をしようか。僕には同い年のお嫁さんがいる。ちょっぴりボーッとしていて、恥ずかしがり屋さんだけど、根はしっかりしている女性だ。僕らはもうすぐで初めての結婚記念日を迎える夫婦。まだ子供はいないけれど、僕も彼女も欲しいと思っている。ただ、もう少し僕の方が落ち着いたらにしようと思っているから、子供はいらないよと彼女には言っている。それに今はまだ彼女を独り占めしておきたいから。そういえば、この前彼女が僕らの子供の名前について熱弁してくれた。女の子だったらめめこで、男の子だったらしゅんただそう。彼女のちょっとだけ変わったネーミングセンス(主に女の子の方)に眉をひそめながら、出来ることなら男の子が生まれてほしいなと思った。けれど、幸せそうに話してくれる彼女があまりにも愛おしくて可愛かったから、その名前もちょっぴり可愛らしく感じたんだ。ここまでの話しを聞くだけで、僕がどれだけ彼女に惚れ込んでいるのかよく分かると思う。本当はもっと僕の奥さんについて話してもいいんだけど、長くなるからこの辺で終わりにしよう。とにかく僕は彼女が大好きなのだ。

部屋の外の寒さに体を丸めながら、スリッパで廊下を鳴らす。パカパカと間の抜けた音が冷たい空気を震わせている。その時、僕は鼻に刺激を与える焦げ臭い匂いに違和感を覚えた。家の中で匂うはずのないその匂いに、背筋が冷たいなにかで舐められたような感じがする。もしかして家事でも起きてしまったのか、そう思った僕は急いで愛しい奥さんのいるリビングへと向かう。そして、リビングの戸を開けようとドアノブに手をかけると、中から聞き慣れない爆発音がした。爆発音といってもまだ小さな音だが、体中の血の気が引いていく。

「大丈夫!?」

勢いよくドアを開ける。するとそこは僕が予想していた火の世界ではなく、至っていつもと変わらないリビングだった。しかしただ一ついつもと違うのは、あの焦げた匂い。恐る恐るキッチンの方を見ると、彼女が床に座り込んでいた。僕は何ごとかと思い、慌てて彼女のもとに駆け寄る。キッチンは廊下やリビングより更にきつい匂いがし、鼻がおかしくなりそう。そんな中、僕はぽかんと口を開けて目を見開いたままの彼女の名前を呼ぶ。そして肩を揺らすと、彼女はハッとしたように肩をすくめた。

「何があったの?」

彼女の背中をさすり、まるで子供をなだめる時ように聞けば、彼女は震える口を小さく開いて、「パンケーキが爆発したの」と答えた。パンケーキが爆発した、その返答に頭にハテナマークを浮かんでくる。ふと、コンロの方を見ると、フライパンを中心にパンケーキの残骸らしきものが周辺に飛び散っていた。よく見ると彼女の花柄のエプロンにもパンケーキらしきものが付着している。
彼女は料理が壊滅的に出来ない訳ではない。むしろ上手い方に入ると思う。それに彼女はいつも料理をしているから、すること自体に慣れていない訳でもない。なのに彼女は今、パンケーキを焼くという至って簡単な作業を失敗した。というか、パンケーキは普通、爆発なんてしないものだ。これは何かあるとしか思えない。
下を向いている彼女の顔を覗き込む。彼女は目尻に涙をためて、流さないように必死に耐えている。今にも泣きそうな彼女の背中を摩りながら、「何か、あったの?」と怖がらせないような優しい声色で聞く。すると、彼女は震える口元を押さえ、まるで言いたくないと言うかのように首を横に振った。そんな彼女は、僕が覗き込んでいるせいで数センチの距離しかない僕と目を合わせようとしない。瞬きをするたびに揺れる彼女の睫毛は頬に影を落とす。だんだんと赤みを帯びてきたきめ細かいな肌は、今にも一筋の液体に濡らされそうになっている。彼女の頭に手を置く。「何が、あったの?」再度そう聞けば、彼女は微かに震えていた口元をゆっくりと動かし始めた。

「あの、私、私ね…」

妊娠したの。
吐息のような声をなんとか聞き取る。それを聞いた瞬間僕は跳ね上がりそうになった。驚きや嬉しさが混ざって頭の中の整理が中々できない。そんな僕に彼女は、「ごめんなさい」と呟いた。なんで彼女が謝るのだろう。別に僕たちは不倫のように、世間から見ていけないような関係なんかじゃない。むしろ好ましい関係だ。それに僕は子供が欲しかった。確かに、いらないとは言っていたけれど、あれは今はいらないという意味で、けっして今後一切子供は欲しくないという意味ではない。それなのに、彼女は、泣いているのだろうか。頬は何筋もの涙で濡れ、目はうさぎのように赤くなっている。涙は止まる気配を全くみせない。

「…なんで、泣くの…?」

恐る恐る聞いてみる。その声は微かに震えていた。そんな自分に嫌気がさす。本当は、もっとしっかりした人間で、彼女が何故泣いているかを聞かなくても分からないように、いや、何より彼女をこんなに泣かせないようにしなければいけないのに。


「…士郎くんは私が妊娠するのが、嫌だったんでしょ」

だって、士郎くんは子供いらないっていってたし、それにこの前子供の名前の話をした時、士郎くん眉間に皺をよせてたもの。だから、もし妊娠しているなんて言ったら怒られるかもしれないって思ったの。呆れて捨てられちゃうかと思ったの。
両手で顔を隠しながら時、士郎くん眉間に皺をよせてたもの。だから、もし妊娠しているなんて言ったら怒られるかもしれないって思ったの。呆れて捨てられちゃうかと思ったの。
両手で顔を隠しながら、ぐずぐずと言う彼女。目元を覆う指の間から、何粒もの涙が零れはじめる。床にへたりこみ、俯いたまま泣く彼女はひどく小さく見えた。彼女の髪についたパンケーキのかけらを取る。ベタリと指についた生地はこの世のものとは思えない色をしている。眉をひそめる。彼女は、いつから自分が妊娠していることに気づいていたのだろう。お腹の様子を見るかぎり、まだまだ妊娠して間もないようだけど、きっと彼女はずっと悩んでいたはずだ。そんな彼女の気持ちに気づいてあげられなかった僕は夫以前に人として最低だ。確かに、ここ二週間はフィフスセクターのことで忙しかったけど、そんな言い訳をするなんて吐き気がする。僕は最低だ。でも彼女がこれ以上悲しくさせないために、彼女の勘違いを解くために、そして何より僕の気持ちを伝えるために僕は彼女とちゃんと話をしなければいけない。これは夫としての義務じゃなくて、愛しい彼女への愛情だ。早く、早く彼女を笑顔にさせたい。笑って生まれてくる子供の話をしたいんだ。

「ねえ、」
「……」
「こっち向いて」

僕は今、すごく幸せなんだ。だって家族が増えるんだよ?幸せに決まってる。それにしても君は勘違いの度が過ぎているよ。僕が君を捨てるなんて、地球が逆さまになってもありえないんだから。それに、僕が名前の話の時に眉間に皺をよせていたのは、嫌だったからじゃないよ。本当は、もう少ししたら、子供が欲しいって言うつもりだったんだよ。あ、泣かないで。今日はすることがいっぱいあるんだから。女の子だったらめめこで、男の子だったらしゅんたって名前つけるから漢字を選ばなきゃいけないし、あと、僕の父さんと母さんとアツヤに報告しなきゃいけないもんね。本当は、真っ先に君のお母さんとお父さんに報告しないといけないんだけど、せっかく今日は三人のところに行くんだから。ねえ、泣かないで。ここには僕と君の子供がいるんだよ。お母さんがめそめそしていたら、お腹の子だって悲しくなっちゃう。だから笑って。そしてこれからの話をしよう。僕と君と子供の話を。
そう言って、まだ平坦な彼女のお腹に手を当てる。彼女は何度も頷き鼻をすすりながら、ありがとうと呟いた。ありがとうだなんて本当は僕が言わないといけないはずなのに。彼女の体をまるで誰かに隠すように抱きしめる。今、自分が彼女だけでなくもう一人の新しい家族を抱きしめているのだと思うと、幸せや嬉しいという感情よりも、もっと強い気持ちが僕を満たしていった。


パンケーキ爆発事件


今日はお墓参りに行かなきゃ。そう思うと同時に、僕はベッドから跳ねるように起き上がる。ドアノブをにぎった瞬間に感じた、パチリと微かに感じる静電気の痛みなんて気にせず、パカパカとスリッパを鳴らしながらリビングへ急ぐ。リビングの扉を開ければふわりと香る甘いハチミツの匂い。「おはよう」と言えば、テーブルに座っている小さな双子が口元にハチミツをつけながら、「パパ、おはよう」と返してくれた。可愛いなあと思いつつ、キッチンを覗けばママがフライパンを洗いながら「おはよう」と言って微笑んだ。
僕とママはもうすぐで5回目の結婚記念日を迎える夫婦。子供は二人でどちらも男の子。とても可愛い5歳児だ。
子供たちが座っている正面の席に座る。ぱくぱくとフォークを駆使して一生懸命食べる彼らに和みながら僕は彼らに問うてみた。

「ねえ、今日は何の日か知ってる?」

パンケーキを頬張る二人は迷わず、「おじいちゃんとおばあちゃんとアツヤのめいにち!」と元気よく答えてくれた。そう今日は、僕の両親と片割れの命日だ。でも、本当はもう一つあるんだよ。そう二人に告げれば、二人して見合って首を傾むけた。そんな二人が可愛くって、つい笑ってしまう。そうしていると、キッチンの方から花柄のエプロンを着たママが、「パパったら何てこと聞いているのよ!」と頬を赤くしながらこちらへやってきた。そんなこと、この子達に教えないでよと眉を垂らすママ。そんなママを見た子供たちは興味津々に僕の方へ視線を向ける。僕に似たのか少し垂れた四つの目が僕を映している。

「今日は、パンケーキ爆発事件が起きた日だよ」

僕がそう教えてあげれば、小さな二人また顔を見合わせた。そして、「パンケーキはばくはつしないぞ!」「パパはばかだなあ」なんて口々に偉そうに言い、眉間に皺をよせる。どうやら信じてくれないらしい。悲しいなあと思いながら、パンケーキは爆発するよと何度言っても、彼らは、「ありえないよ」の一点張り。そんな僕らを見かねたママが半ば諦めたように、パンケーキは爆発するんだよを優しく言う。すると彼らはふーんと納得したような声をあげた。僕が言っても信じてくれなかったのになあと自分とママの信頼の差に悲しくなる。けど、なんだか胸の奥に広がる温かいものが心地好くて、そんなこと直ぐにどうでもよくなった。パンケーキを食しながら、パンケーキって爆発するんだねと言い合う二人に頬を緩ませる。今日は焦げたパンケーキも、彼女の涙も見なくて良かった。


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