日吉は部屋主のメフィストに声をかけるでもなくそっと入って来た。
扉がカチャ、と小さく音をたてる。
いつもの机いつもの椅子にメフィストは足を組んで座っている。
部屋の入り方から訪問者がわかっていたメフィストは、本から目を外さずページをゆっくりと捲る。
いつもより少しだけ、日吉は音をたてないように歩き方に気を付ける。
部屋には紙の擦れる音だけが響いている。
日吉は部屋にある椅子の一つを両手で持ち上げ、窓際に運ぶ。
メフィストの椅子にぴったりと隣に置き、日吉はサンダルを床に脱ぎ椅子に体育座りをした。
メフィストの読んでいる本を横から覗き見ると、そこには可愛らしい女の子の絵が描いてある。
即刻興味の無いものと判断した日吉は、机の上に何か無いかと端から端に目を通す。
かなりデザイン性の高いスタンド型ライトに何かのキャラクターの人形、パソコンにキーボード、携帯ゲーム機、正十字学園局地地震被害報告ファイル等々。
地震被害報告ファイルを手に取り表紙を捲る。
最も近いものは一週間前で、そういえば揺れていたような気がすると曖昧な記憶を辿る。
他に興味のあることが書いて無さそうだったのでファイルを閉じて元の位置に戻す。
横を向いたついでに隣を見ると、メフィストはニヤケていた。
このヒトの好みは本当によく分からないと、日吉は改めて感じる。
机に視線を戻し、たまたま目に留まった携帯ゲーム機を手に取り折り畳んであるのを開いて電源をつける。
画面に文字が浮かぶ、とメフィストが読み終わったのか本を机に置いた。
日吉が横目に見上げると、膝に手を置き背もたれに思い切りもたれるメフィストと目が合った。
「何が、いいんだ?」
メフィストは日吉に質問してから足を崩して立ち上がる。
日吉もゲーム機をパタンと閉じてサンダルを履いて一緒に立ち上がった。
部屋に付いている簡易キッチンに移動するメフィストに、後ろから付いていく日吉。
「紅茶が良いです」
「紅茶か…」
メフィストは棚から茶葉の入った缶を出し、日吉は水を火に掛ける。
「何か頼むか?」
何か頼むかとはお菓子のことで、壁にかかっている電話の受話器を握りながら日吉に尋ねた。
「ホットケーキ」
メフィストは受話器を持ち上げ注文しようとするが、その手はすぐに日吉によって戻されてしまう。
「…メフィ兄の」
少し口を尖らせ不服そうに言う日吉に、メフィストはニヤリと笑う。
「そんなに食べたいと言うのなら仕方ない」
「別に、メフィ兄のが食べたいんじゃなくてメフィ兄のせいで仕事増える人がいるの可哀相だと思っただけです」
「それはそれは思いやり深いことで」
「いいから早く作って下さい」
急かす日吉にメフィストはニヤニヤしながら袖を捲る。
そして棚から冷蔵庫から材料を取出し、目分量で混ぜていく。
「相変わらずテキトウですね」
「私くらいになると感覚でわかるものだ」
「へぇ…、あ、お湯わいた」
日吉は火を止めて、温めるためにポットにお湯を入れる。
一方生地を作り終えたメフィストは、フライパンを出し火を着けた。
「ポット、温まりましたよ」
「すぐ行く」
メフィストはフライパンにバターを放り、まんべんなく広げてから生地を落とす。
そしてポットに向かい中のお湯を捨て、茶葉を入れてお湯を注ぐ。
そして蓋をしてまたフライパンの前へメフィストは戻り、日吉も隣に移動した。
「天井ギリギリまで飛ばしてひっくり返して下さい」
この部屋の天井は優に三メートル以上あるが、メフィストは軽く了承する。
「私の華麗な美技をその目に焼き付けるが良い!」
メフィストはフライパンを揺すり、焼け加減を確認して手に力を入れた。
円形の物体は大きな弧を描き、見事に飛んでいく。
「フッ、私に不可能などない」
日吉はその軌道を顔で追い、そしてそれはポスッとフライパンにきれいに納まった。
その台詞さえなければと、残念だと、日吉はしみじみ思った。
メフィストはその出来に満足してフライパンを置き、ポットの方へ向かっていった。
「こっちはもういいだろう」
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モドル