「違う!」
物音一つしない暗やみの中、日吉は自らの声によって目を開けた。
状況が理解できずに、黒しか見えない天井をただ、みつめる。
(ああ、ゆめ、か)
ようやく自分の状況を理解し、安堵から力を抜く。
ゆっくりと息を吸い、長く細く、吐き出していく。
現実であることを確認するように。
額に手をやると、ひんやりとべたついていた。
不快感を感じながら髪の毛を払い、寝返りを打とうとする。
しかしそれは、体に張り付いたシーツを認知するだけの行為に終わった。
(シャワー…)
布団から抜け出し、床に足をつける。
覚束ない動きで、部屋に備え付けられている浴室に向かう。
重たくなった衣服を脱ぎ捨て、蛇口を捻る。
冷水を頭から浴び、気持ち良さに目を閉じる。
コ・・ラデ・・・スヨ
突如に起こるフラッシュバック。
日吉は勢い良く目を開いた。
暗い浴室の壁から、何かが来るかのように、じっと見つめる。
もちろん、そこには何もない。
体をさっと洗い流し、水を止め早々に切り上げた。
バスタオルで体を軽く拭き、それを肩に掛けベッドに腰掛ける。
目の前の空間に、何を見るわけでもなく目をやると、夢でのことが断片的に浮かんできた。
それは既におぼろ気なものだったが、平常を揺らすには十分であった。
日吉は立ち上がり、キャミソールとショートパンツを身に付け、スリッパを引っ掛け部屋を出た。
あと一刻程で空が白みはじめるであろう時間。
窓のない閉鎖的な廊下は薄暗く、等間隔に置かれた灯りは、心許ない。
いつもは何とも思わない静けさが、今は不安を増長させるものでしかない。
(はやく、)
向かう先は毎回道程が異なり、勘を頼りに進むしかない。
いつもよりも長く感じるそれに、迷子のような感覚に陥いる。
(はやく)
徐々に明確になる鼓動に、手を胸にやる。
冷たく汗ばんだ手でギュッと掴み、どうにか落ち着かせようとする。
(はやくッ)
それは突然だった。
廊下を曲がると正面に現れる、他のそれより大きめな、さくら色のドア。
日吉は急く気持ちを押さえ、ドアの前に立ち中の気配を探る。
(いない、な)
慎重にドアを開け、侵入する。
広い空間の奥に、持ち主の趣味が伺える大きなベッドが一台。
シーツ類は整えられていて、使用した形跡は見られない。
日吉は部屋を軽く見渡し、奥へ進んだ。
ベッドの前にまで来ると、その独特な雰囲気に触れた気がし、ようやく落ち着きを感じた。
控えめにスリッパを置き、ゆっくりと、静かに、中へ潜り込む。
胎児のように身体を縮ませ、布団を深くかぶる。
段々と落ち着く心音に耳を傾けながら、息を大きく吸い込む。
(……あまい、におい…)
そしてゆっくりと、目を閉じた。
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モドル