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「クロリ、アストン…様よ。」
母に背を叩かれ、前に出る。
表情をうかがうように振り返ったが、笑顔でひらひらと手を振られた。
しかしメイドの面接だかなんだかで、わざわざ主に会う必要はあるのだろうか。
そういった類のものは本で読んだことはあるが、メイドなんて主の知らぬ間に代わっていた事の方が多かった気がする。
領主の顔は思っていたよりも厳かで、クロリの緊張はピークに達した。
「クロリ、と言ったか」
「は、はい」
ゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってくる。
帰れと言われるのではないか、早々に叱られるのではないか、無駄な妄想が頭に渦巻く。
カタカタと震えていると、領主が肩に手をぽんと置いてきた。
ひ、と小さく声をあげてしまい、慌てて謝る。
「す、すみま…」
「まったく、これの娘で苦労しただろう。だから私はよいと言ったのだが」
「なによ、アストン。文句ある?」
ふう、とため息をついて母を見る領主は、先ほどまでの厳しい顔から少しだけ柔らかくなっていた。
「誰かがやめちゃって人手不足だのなんだの言っていたのは貴方でしょう。おかげでケリー様が疲れてるって」
「そうは言ったが…こうも怯えてる子供、実の娘を出すお前もどうなのだ」
そうだそうだ、と母に抗議の声を上げそうになり、口を噤む。
「だから……、言ったでしょう。引きこもり症を少しでも直してやってほしいって。頼れるのなんてアストンしかいないのよ」
一瞬彼女の表情が曇っただなんて、その頃の私には読めなかった。
「…まあいい、それではクロリ、」
領主が言いかけたところで、急に扉がバンと大きな音を鳴らして開いた。
びくりと肩を揺らし、後ろを振り向くと、見知った少年が立っていた。
「親父!話ってなん―――」
「アス、ベル」
「…クロリ!?」
ふてくされていた彼の表情は一変し、目を丸くさせて喜んだ。
朝は広場にいけなくてごめん、だなんて謝ってきたが、クロリには彼がここにいることの意味がまだ理解できていなかった。
親父、と言っていたから、まさか領主の息子なのだろうか。
よくよく見ると髪の毛色が同じだった。
「アスベル!来客中だぞ!」
「っ……」
領主の厳しい一喝で、アスベルの体が大きく揺れた。
「あら、お久しぶりねアスベルくん」
それを気にもしていないかのように、母は笑顔でアスベルに近づいた。
母は領主の秘書であったのだから、息子ならば知っているのも当然か、と独り合点する。
「おばさんはなんでここに?」
「うちの子を持ってきたわよー、こき使ってやってね」
「はあ…?」
困ったような表情で、アスベルがこちらに目をやった。
「お前、おばさんの子だったんだな」
「う、うん……」
「で、クロリはなんでここに?」
「クロリは今日からこのラント家の奉公人になる。お前の世話係だ」
え、と二人で振り向いた。
「クロリには苦労になるだろうが、この愚息の世話をしてほしい」
「アストン、そんな事をクロリに任せていいの?初心者よ?」
「構わん。さあ、お前はもういいぞ」
「あらそう。じゃあクロリ、後は頑張りなさい」
そうしてひらりと翻し、母はうきうきと出て行った。
残ったのは領主と息子と一人のメイド。
沈黙しか流れず、気まずさだけが空気を重くしていった。
「……いらねーからな」
ふと、アスベルがつぶやく。
「世話係なんていらないって言ってるんだ!俺はもうそんなに子供じゃない!」
びくりと今度はクロリが肩を揺らした。
いらないと言われたのが、まるで自分自身のようで、急激に不安が襲ってきたのだ。
「馬鹿者、お前など子供の子供に過ぎん。…クロリ、今日から頼むぞ。詳細はそこの者から聞いてくれ」
「は、はい、わかりました」
アスベルに向ける視線は厳しいが、こちらには優しい目を向けてくれた。
きっと緊張しすぎた自分に向けてくれるのだろう、もしかしたら、優しい人なのかもしれない。
パタリと扉を閉めて、部屋を出た。
ふう、と大きく息を吐く。
まだ緊張は解けないし、本音を言えばこんな仕事はやりたくない。
しかし領主を見て、安心した。
そしてアスベル達が居るのだ。少しだけ、母に感謝した。
「クロリさんね、よろしく」
年上のメイドが、にこやかに握手をしてきた。
自分がすることは主に屋敷の掃除、洗濯、領主の息子達の世話。
大まかに話を聞いてから、まずは挨拶と言われたので、二階の部屋へ行く。
深呼吸してノックし入ると、そこにはふてくされたアスベルと、不安そうなヒューバートがいた。
「あ…アスベル、様、ヒューバート様。本日付けで…えっと、メイドになりました?よろしくお願いします」
慣れない敬語、しかも昨日友達になったばかりの子に礼をする。
どうにもむず痒かった。
「クロリさん、大丈夫…?まだ、15なのに…」
「ヒューバート…さま、ありがとう。まだ、不安はありますが…精一杯、頑張ります。メイド…ですから、呼び捨てにしてくださいね」
苦笑して、兄の方を見ると、まだ納得のいかないような顔をしていた。
ぷるぷると震えるものだから、声をかけようとすると、
「…っだあーー!」
「わっ!に、兄さんどうしたのさ」
ぐしゃぐしゃと頭を抱え、アスベルが叫んだ。
「クロリ!!」
「は、はい!?」
がしっと両肩をつかまれる。
あまり身長差のない自分だが、アスベルより少しは高いので、ガバッと頭をあげて見つめられた。
「敬語やめろって言っただろ!」
「ええ?!で、でも私はメイドで…」
「お前は友達なんだ!メイドなんて…はあ…」
そこまで言って疲れたのか、ぺたりと座ってため息をつく。
弟に窘められ、嫌そうに、うううと唸った。
クロリはというと、たった1日、それも数十分しか話していない彼に友達だとはっきり言われた事のほうが嬉しかった。
「…クロリは嫌じゃないのか?」
「……嫌、だったよ。でも、アスベルたちが、いるなら…いいかな、って」
ふわ、と笑った。
彼らの前では、安心できる。
「…っ」
急激にアスベルの顔が真っ赤に染められた。
ヒューバートがそれを見てクスクス笑うが、クロリにはよくわからなかった。
(そんな風に言われたら、却下なんてできないじゃないか)
「ああ、もう!」
「クロリ、兄さんはね、本当は嬉しいんだよ」
「ヒューバートうるさい!」
「もう…僕も嬉しいんだ。頑張ろうね、クロリ。」
きゅ、と手を握ってきた。
相変わらず、ヒューバートは癒やしだ。
その後ろで、アスベルの表情はどんどん不機嫌になっていった。
「…まだ納得できないけど…クロリ、俺たち三人の時は敬語使わなくていいからな!」
「え、あ…ありがとう、アスベル」
はああ、とため息をつくアスベルも、なんとか了承してくれるみたいだ。
「まあ、いいや。よろしくな、クロリ」
「うんっ」
そうしてクロリは正式にラント家のメイドとなった。
前途多難ではあるが、彼らがいると思えば、勇気が少しずつでてきた。
(彼らが、友達から、小さな主になりました)
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