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時は幕末、戦の世。
日本は新政府軍と旧幕府軍に分かれ、将軍が逆賊と言われるようになっていた。
動乱を目の当たりにしながらも、私はどこか他人事に処理していたと思う。
正直なところ、政にさして興味も知識も無いが故に、この日ノ本がどちらのものになろうとどうでも良かった。
夷狄などと称される海の向こうの人が日本に入ってくれば、新たな発見や文化、考えが増える。
それは勿論、日々の楽しみの数にだって比例するだろう。
かと言って、例えこのまま鎖国を続けてそこそこ孤立する島になったとしても、今まで散々そうしてきたのだから困ることも無い気がする。
第一、そうできなければ三途の川を渡ったときに御先祖様似合わせる顔がないじゃないか。
こんなことをあの人に言えば、彼はきっとうんちくと共にもっと深く丁寧に説明してくれるだろう。
私の考えない損な部分を。
実は既に一度、説明を受けている。
日ノ本がこのまま開国を受け入れていなければ、海の向こうから凄く強い武器を持った人たちが攻撃してくるかもしれない。
だが、そういった貿易や保身にばかり気を取られればこの島は彼ら乗っ取られてしまうだろう。
彼曰く、そんなことも引き起こしてしまうらしい。
その度に私は自分の楽観さを恥じては彼を尊敬するのだが。
「だが確かになまえの言う通り、どちらでも不利益は存在するな。」
損では無く得で物事を考える私の意見を、彼は決して否定することはなかった。
どちらかといえば損を基準に推察する彼は、時にそんな私に「あんたにはそのまま、変わらないで欲しい。」と微笑み、その角ばった優しく温かい手で撫でてくれた。
だけどその手は今、私の胸の辺りに差し出されたまま白で覆われて見えない。
『嫌よ』
「なまえ。」
『受け取らないわ、こんなの。受けとりたくないものっ』
地響きが遠くのほうで私の世界を揺らしていく。
危険が直ぐ傍まで近づいていることは、周りの音や彼の表情からも十分に読み取れた。
それでも私に京を発つ気は毛頭無い。
『こんな、こんな約束が無きゃダメだなんて、そんなの嫌よ』
「だが・・・、」
『一は生きて戻ってくるの、絶対に。だから私に預けて置く必要なんて無い』
「・・・なまえ、俺があんたにしてやれることはもうこれぐらいしか、」
『そんなっ、そんな保険みたいなのは必要無いのよっ!』
彼の手を下から掬い上げ、そのまま洋装を身に纏う胸に押し返す。
もう、煤が軽く付いたこの白い布は彼の首元に戻ることは許されないらしい。
認めたくはないけれど、彼にとってこの襟巻きは身に着けていられなくなったようだった。
『それで、もしも自分が帰ってこれなかったときの形見にするというわけ?』
「っ、」と息を詰めた彼を、私はただ睨み付ける。
肯定を意味していることは明白だ。
やっぱり彼は、否定できない。
何だかんだで私の意見は、どちらの意味でも的を得ていることが少なくないだろうと最近は思うようになった。
『そうならないためにも、私には何も残していかないでよっ』
私は楽観的で、馬鹿で仕方ないから、貴方以外の物に貴方を重ねることなんて出来ない。
襟巻きを見る度に貴方を思い出すようではこの先胸が何度も縛られるに違いなく、痛みを我慢するにも限界はある。
だから、私には何も残さないで。
そうすればほら、私は独り者。
貴方は絶対に帰らなきゃいけなくなる。
優しい貴方は、私を独りには出来ないでしょう?
とんだ束縛女だと嫌うかしら。
姑息な手段を考える、悪知恵ばかり働く人だと呆れるかしら。
でもね、一。
『貴方がこれを残していっても、貴方が帰ってこなければ何も得は得られないの』
得ばかりを優先する私のままがいいと言ってくれたじゃない。
政に興味はない。
ただ、ここまで来ると流石に他人事には思えなくなる。
どうして彼まで巻き込むの。
『いか、ないで・・・っ』
どうして、彼を連れていってしまうの。
『一っ、嫌よ・・・。いかないでよっ・・・』
「・・・すまない。こればかりはどうにもできぬ・・・。」
ふわりと、首元に巻かれる白い布はちっとも温かくなんてない。
それなのに振り払えない原因は、考えるまでもなく彼だけ。
私はきっと、もうこの襟巻きを外せない。
結局、貴方の思い出に縋ってしまう。
重ねられぬまま、傷ついて。
信じられぬまま、疲れて。
得しか考えない私は、彼のことになると損しか考えられなくなる。
いや、損、ではない。
悪い夢、被害妄想、全てにおいて否定的なもの。
未熟で曖昧な私の意見が、興味もない政を動かせるわけもなく。
ましてや、新選組の・・・あの、ほら、名前忘れたけど一つ縛りの偉い人の考えとか、彼らの幕府への忠誠心を覆せるわけでもない。
『・・・ごめんなさい、我が儘言って。こんなこと言ったってどうしようもないことは分かってるの』
「・・・すまない。」
何度謝るつもりだろう。
珍しく目を逸らす彼は、気まずいさを隠しているのか。
馬鹿ね。貴方が謝る必要なんて、これっぽっちもないのに。
『・・・待ってるわ』
「・・・。」
一つ近づいた一に、精一杯の笑顔を向ける。
ちゃんと笑えているかしら。
貴方の力にはなりたいけど、重荷にはなりたくない。
『一のこと絶対に待ってるから。
仕方ないから襟巻きも巻いててあげる。だから、だからちゃんと外し、・・・ん、はじ、っ・・・ふ、』
この笑顔と口づけで、どうか数秒前までの自分勝手な私を忘れてね。
押しつけられた優しさ。
溢れる涙と同じ生温さを残して、ソレは離れていく。
(あぁ。外しに帰ってくる。待っててくれ、なまえ)
(・・・はい)
(それでは、行ってくる。)
(・・・行ってらっしゃい)